四章 龍神のつがい /一 龍の伴侶になるということ【2】

 その夜、凜花の部屋に訪れた聖は、いつにも増して優しかった。

 ふたりは縁側に腰を下ろし、言葉少なに庭を見ていた。

 凜花に寄り添う彼と見上げる夜空は美しく、月も星も幾重にも輝きを放っている。



「今夜はあまり食欲がなかったな」


「ごめんなさい……」


「謝らなくていい。今朝、あんなことがあったんだ。無理もない」



 凜花は申し訳なさでいっぱいだが、聖の声音はどこまでも優しかった。



「火焔のこと、誰かから聞いたか? 紅蘭が来たようだし、耳に入っただろう?」



 彼は、数時間前の出来事を見透かすように苦笑している。

 凜花は、玄信から『天界を去ることも視野に入れていただきたい』と言われたことは伏せつつも、彼や紅蘭から火焔の話を聞いたことは正直に答えた。



「そうか……」


「火焔さんはまた来るのかな……」


「恐らくそうだろうな」



 聖が頷き、凜花の不安が大きくなる。



「あいつは今日、わざわざ屋敷を襲撃しに来た。あの時間なら俺が屋敷にいることも想定していたはずだし、結界が張ってあることもわかっていたはずだ。それでも、ここに来たのはあいつなりの宣戦布告だと受け取っている」


「聖さんと戦うつもりってこと……?」



 不安に揺れる凜花の瞳に、彼の苦々しげな顔が映る。



「あいつはそうだろうな。俺は無益な争いは避けたいが、恐らく火焔は凜花だけでなく、龍神の座を狙っている」


「それは……あのときに言ってた……」


「やはりそうか。これで今まであいつが姿をくらましていた理由がわかった」



 小首を傾げる凜花に、聖が深いため息をつく。



「火焔は、俺が再びつがいと巡り会う機会を待っていたんだ。凜のときと同じように凜花を傷つけ、俺からすべてを奪うつもりで……」


「あの……あの人はどうしてそんなことをするの? 龍神になりたいから?」



 凜花には、火焔の目的がわからなかった。

 龍神になりたいから聖を傷つけるのなら、聖がいない時間を狙って屋敷を襲撃すればよかったし、今朝も凜花を攻撃する機会があったように思う。



 しかし、火焔は凜花を狙いつつも、どこか余裕そうだった。

 それでも充分怖かったが、朝よりも幾分か冷静になった今は、彼の行動の意図がよくわからなくなっていた。



「それは大前提だが、火焔が欲していたのは龍神の座よりも凜だ」


「えっ?」


「火焔は凜を愛していた。でも、凜が俺と番うことを決した日、愛情が憎しみに代わったんだろう……。火焔は自らの手で凜を……」


「そんなっ……!」


「俺と凜がつがいになる運命だったとはいえ、親友に愛する者を奪われるのは我慢なかったんだろうな」



 凜花の目が大きく見開く。



「親友……?」


「ああ……。俺と火焔は、幼なじみで親友だった」



 聖の瞳が翳る。

 いつだって力強い双眸が、今は深い悲しみで満ちていた。

 言葉が過去形なのも、その事実も、凜花の胸を深く突き刺す。



「だが、今はもう、親友でもなんでもない。火焔は凜の命を奪い、凜花まで狙っている。俺はあいつと戦う覚悟を決めている」


「聖さん……」



 体を傷つけ合うような争い事なんて、現代の日本で生きていたときには無関係なことだった。

 けれど、今は違う。

 凜花も渦中にいるのだ。

 彼のつがい候補である限り、これは逃れられない現実なのだ。



「凜花のことは俺が守る。なにに代えても、火焔には奪わせない」



 聖の真っ直ぐな想いと言葉が、凜花の心を捕らえて離さない。

 同時に、凜花に決断のときが迫っていることに気づいた。



 火焔の冷たい目が、紅蘭の表情が、玄信の言葉が消えない。

 もし、凜花が本当に聖と番うのならば、凜花は三人のことや聖の過去、凜のことまで受け止めた上で、覚悟を決めなくてはいけないのだ。



(そんなこと、私にできる? でも……)



 知ったばかりの恋心は、たった一日でさらに大きく育った。

 まるで、聖と一緒にいたいと訴えるように。

 この想いを、彼を、決して失いたくない。

 そう強く感じた凜花の胸には、大きな決意が芽生えようとしていた。


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