三章 共鳴する魂 /一 癒えていく傷【2】

 すべてを話し終えた凜花は、いつの間にか涙を浮かべていた。

 泣くのはずるいと思うのに、ずっと苦しかった胸の内を吐き出せたからか、涙が勝手に零れていたのだ。



「……そうか」



 聖が眉を下げ、親指で凜花の頬を伝う涙を拭う。



「ずっとつらかったな」



 その優しい手つきと声音が、傷だらけの凜花の心を癒していくようだった。

 悲しげに歪んだ瞳と目が合い、凜花よりも彼の方が傷ついているように見えた。



「でも……帰る場所がないのはともかく、必要としてくれる人がいないのは自分自身のせいでもあるから……」


「そんなことはない」



 自分自身を責める凜花に、聖がきっぱりと否定する。



「凜花を助けなかった大人には大きな非があるし、凜花を傷つけた奴らだってそんなことをしてもいい理由などない。だから、凜花は自分を責めなくていいんだ」


「聖さん……」


「それに、俺が凜花を必要としている。凜花の帰る場所ならここにあるよ」



 柔和な瞳が凜花を見つめ、優しい手つきで髪を撫でられる。

 そんな風に言ってもらえるのは嬉しいのに、凜花の中には不安が芽生えた。



「それは……私が凜さんの生まれ変わりだから?」



 聖は困ったように微笑んだが、すぐに凜花を真っ直ぐ見つめた。



「確かに、最初はそうだった。凜花を凜の生まれ変わりとして見ていた。だが、凜花と過ごすうちに、魂は凛と同じようでいても全然違う者なんだと思うようになった」


「え……?」


「凜花は凜花だ。俺はお前に惹かれている」



 真摯な双眸が本心であることを語っている。

 凜花の胸の奥が高鳴り、心がじんわりと温かくなった。



「俺は凜花が生まれたときからずっと、凜花の魂を感じていた。そして昔、一度だけ会ったこともあるんだ」


「えっ……! いつ……? 私はそんなこと、覚えてない……」



 凜花が目を丸くすると、彼が着物の袖口に手を入れてピンク色のリボンを出した。



「これに見覚えはないか?」



 ピンク色のリボンは、龍神社の池のところで撮った家族写真に写っている凜花が髪につけていたものである。きっと、母親が結ってくれたのだろう。



「俺と凜花が初めて会ったのは、凜花の五歳の誕生日だった。凜花は両親とともに家族旅行であの場所に来たのだ。もっとも、俺が引き寄せたようなものだがな」



 聖は小さな笑みを零すと、リボンを凜花の手に乗せた。



「凜花はあの日、池に落ちて魂だけが天界にやってきた。あの池は普通の人間が使えるものではないし、いくら俺のつがいでも子どもだった凜花の体には大きな負担がかかり、肉体と魂が離れてしまったんだ」



 リボンを見つめる彼が、懐かしげに瞳を緩めながらも眉を下げる。

 肉体と離れた魂は、普通なら元には戻れない。

 しかし、凜花は凜の生まれ変わりで、魂は凜のものでもあった。

 それが幸いし、聖が持つ龍の力を使えば下界に残ったままの肉体に魂を戻すことはできたが、そのためには魂を下界に戻す必要がある。



 ところが、天界と下界を結ぶ池に宿る力は強く、幼い凜花の魂ではもう一度池を通るのは耐えられない。

 そこで、彼は池ごと龍神社の力の一部を封印することにした。

 ただ、そうすることにより、聖は凜花の魂を肉体に戻したあとから天界と下界を行き来できなくなってしまう。

 それでも、彼は周囲の反対を押し切り、迷わず凜花の命を救うことを選んだ。



「魂の存在を感じるだけだった凜花と初めて会えたあの日は、心が震えるほど嬉しかった。だから、今度こそ大切な人を失いたくなかったんだ……。たとえ、凜花が大人になるまで会えなくなるとしても……」



 力を封印された龍神社は、次第に人々に忘れ去られていき、荒れ果ててしまった。

 聖の直接的な加護を失ったことによって、神社そのものに力がなくなったのだ。



「凜花が二十歳になれば必ず迎えに行くつもりだったが、一度封印したものを解くというのはいくら俺でも簡単なことではない。夢の中で凜花に語りかけることしかできなくなり、それも凜花が目を覚ますと忘れるほどささやかなものだった」


「じゃあ、封印を解いたのはあの日だったってこと……?」


「ああ。次に封印を解くことができるのは、凜花がここに来るときだった。そういう契約のもとで、封印の儀式をしたからな」


「そして、あの日……凜花の気配を微かに感じたんだ。その瞬間、俺は城を飛び出して池に向かい、封印を解いて十五年ぶりに下界に下りたんだ」



 凜花にとっては、初めて知る事実ばかり。



「十五年なんて、そう長いものではないと思っていた。凜花が生まれるまでに千年も待ったのだから、十五年などたいしたことはない……と」



 けれど、彼が語ってくれた過去は、慈愛に満ち溢れていた。



「だが、実際にはあの日からの十五年の方が、千年待ったときよりもずっと長く感じたかもしれない」



 両親から受けた愛情をもうほとんど覚えていない凜花でも、聖の深い愛と揺るぎない想いを感じる。



「きっと、あの日に凜花の魂に触れ、涙が出るほどに嬉しかったからだろうな」



 それは、凜花の心を癒しては優しく包み込んでいった。



「だから、俺はなにがあっても凜花を手放さない。絶対にひとりになどしないから、なにも心配しなくていい」



 胸の奥が大きく高鳴る。鼓動の中に混じる微かな甘切なさが、凜花の心をそっとくすぐる。



 この感情に名前をつけるのなら恋と呼ぶのかもしれない。

 柔らかな陽光の中、凜花はそう感じていた。


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