二章 天界と下界/四 心の距離【2】
その後、眠そうにし始めた蘭丸と菊丸は、玄信たちが連れて帰ることになった。
「五百年ほど生きているとはいっても、やっぱりまだまだ子どもだな」
「五百年!?」
聖がなにげなく零した言葉に驚くと、彼が目を小さく見開いた。
「ああ、言っていなかったな。龍というのは人間よりも年を取るのが遅いんだ」
「そうなんです……あ、えっと、そうなの?」
わざわざ言い直す凜花に、聖がクスッと笑う。
「俺は人間で言うと、二十代前半くらいに見えるだろう? だが、実際には二千年以上は生きている」
「にっ……!」
「桜火はもう少し若いが、俺とそう大差はない。玄信に至っては、四千年ほど生きているはずだぞ。人間の十五年が、龍の千年というところだろう」
龍というのは、見た目と年齢が比例しないらしい。
ただ、凜花の思考の範疇を超えた話に、頭がついていかなかった。
「龍は、一番力が強い時期に外見の成長が止まる。俺や玄信の場合は今がそうだ。蘭丸たちはまだいつになるのかわからないが、桜火は近いうちにそうなるだろう」
こうして話していると、玄信や桜火、蘭丸と菊丸の龍の姿は見たことがなくても、自分とは違うのだと思い知る。
「その後は緩やかに年老いていき、五千年ほどで急激に力が弱まって永遠の眠りに就くのだ」
「そんなに生きるなんて……」
人間の寿命は、せいぜい百年もない。龍の寿命はその五十倍と考えると、気が遠くなりそうだった。
そもそも、龍神である聖のつがいであっても、凜花は人間である。平均寿命まで生きられたとしても、彼にとっては数年程度に感じるのではないだろうか。
「心配しなくていい。俺と契りを交わせば、凜花の寿命は俺とともに過ぎていく」
まだつがいになるかもわからないのに不安を抱くと、聖が優しい笑みを浮かべた。
「どういうこと……?」
「つがいの契りというのは不思議な力があるんだ。龍と番った人間は、その龍とともに一生を終える。ふたりで共に眠りに就くのだ」
そんなことがありえるのだろうか、と凜花は首を傾げた。
しかし、もしそれが本当ならば、〝死〟というものに対する恐怖心はなくなるかもしれない。
それでも、まだ彼のつがいになることは考えられなかったけれど。
「そろそろ戻ろうか」
街を回りながら話しているうちに、いつの間にか橋のところに戻ってきていた。
やっぱり、ここは渡月橋とよく似ている。
「凜花、見てごらん」
「わぁっ……!」
凜花の肩を引き寄せた聖が、凜花の体をくるりと反転させる。
彼に手によって振り向く形になった凜花は、視界に飛び込んできた景色に感嘆の声を上げた。
「綺麗……」
大きな夕日が見え、川が夕焼けに染まっていた。
オレンジ色が差す街は、昼間とは違った美しさがあった。
天界の空は下界となにも変わらない。
昼間は青く、日が暮れると藍色に、太陽や月、星だって見える。
けれど、今目の前に広がっている夕日は、天界に来てから見た中で一番綺麗だった。
「凜花に贈り物があるんだ」
「え?」
「気に入ってくれるといいんだが」
聖が着物の袖口に手を差し入れたかと思うと、かんざしが出てきた。
「可愛い……凜の花だ」
「凜花に似合うと思ったんだ」
桜火がお団子に結ってくれた髪には、鈴飾りのついたかんざしが挿してある。彼がそれを取り、凜の花のかんざしを挿した。
「やっぱり、よく似合う」
聖が幸せそうに微笑むと、凜花の胸の奥ときゅうっと戦慄いた。
「私……こんなことしてもらうのは初めてです……。こんな風にお出かけしたり、みんなでおいしいものを食べたり、贈り物をもらったり……。こんなの、私にはもったいなくて……」
「凜花は苦労してきたんだな」
そう言われて、凜花は困惑と喜びでどうすればいいのかわからなかった。そんな凜花の姿に、彼の瞳が悲しげに揺れる。
「だが、そんな風に思う必要はない」
けれど、その双眸はすぐに力強い意思を浮かべた。
「凜花は俺の大切なつがいだ。贈り物も愛情も、これからいくらでも捧げよう」
贈り物なんて別にいらない。
ただ、ずっと誰かに必要とされたかった凜花にとって、愛情はなによりも欲していたものかもしれない。
自分の気持ちを上手く表現できないけれど、聖の傍にいたい……と思う。
彼の笑顔をずっと見ていたい……と。
今日一日で、聖との心の距離が近づいた気がしたからなのかもしれない。
まだ芽生えた感情の名前も知らないのに、凜花は彼に対して確かにそんな風に感じていた。
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