幼馴染は、にゃあと鳴いてスカートのなか。

半田 畔

第1章 第1話


「にゃあ」


 民家の塀の上でたむろする三匹の猫に話しかけると、一目散に逃げられた。あとには愚かなクオリティの物まねをした女子高生だけが取り残された。どれだけ猫をかぶって取り入っても仲間には入れてもらえないし、本物にはやはり見透かされてしまう。


 あきらめて離れようとしたとき、一匹の三毛猫がもどってきてくれた。体が白く、両方の耳が茶色と灰色でチャーミングな子。すらりと足の長い美人さんでもある。女の子だ。無粋に下半身を確認しなくても、性別が分かる。この町に長く住んでいるおかげで身についた特技の一つ。


 この子は三丁目と四丁目の間をテリトリーにしている「ミミ」ちゃん。両方の耳の色が違って特徴的だから、前からそう呼んでいる。野良猫に名前をつけるのはこの町ではマナー違反だけど、たぶん皆、覚えるためにやっていると思う。野良猫には一匹ごとにきっと名前がたくさんある。それだけ愛されている証拠ともいえる。


「ニャア」

「にゃあ」


 懲りずにそのまま真似して返してみる。やはり似ない。人間と猫では使っている発声器官が違うのだから、似なくて当然なのだけど。


 私の物真似に呆れることなく、ミミちゃんはその場にとどまってくれた。すかさずスマートフォンを取り出し、撮影を開始した。ミミちゃんはご飯をくれると思ったのか、取り出したスマートフォンを凝視してくる。


「いいよ、いいよぉ、はいもう最高いいよぉ! んふふふ」


 シャッターの音にまぎれて、濁った人間の声が漏れる。ついでによだれも垂れそうになる。ぬぐいながら撮った写真を確認して、満足する。前につくっておいたミミちゃんフォルダに写真をすぐさま格納する。


「ニャア」


 ミミちゃんがまた鳴く。それから右の前足をふっと、空気を殴るように一瞬だけ浮かせた。催促されたとわかり、鞄からブツを取り出す。小さなポリ袋に入れたかつおぶし。


 ミミちゃんが座る塀の上に、袋を開けてそっとかつおぶしを出す。ものの五秒で食べ終えて、契約が完遂したみたいに、飛んで立ち去って行った。どの猫様にも平等になるよう、同じポリ袋に同じ量のかつおぶしを入れている。ぴったり五グラム。鞄には常に一〇袋はしまっている。


 ちなみに勝手にご飯をあげるのも本当はルール違反だ。少し歩けば電柱に見慣れた看板が取り付けられていて、黄色い大きなフォントの文字でこう書かれている。


『猫に人間の食べ物を与えないでね!』


 文字の横には特定の種類への想起を避けるために配慮された黒いシルエットの猫に、ひとの手が描かれている。食べ物という単語の前に、人間の、と言葉をつけるあたり、この町らしいなと思う。


 町側もご飯をあげること自体の規制はとっくにあきらめていて、せめて猫の害になるものは与えないで、と訴える程度にとどめている。見過ごされる違反というのもこの世にはあるらしい。きっといつまでもエスカレーターの片側は空けられ続けるし、前日の夜にこっそりゴミも出される。


 猫にまつわる規則はぱっと思い出すだけでもあと三つくらいは挙げられる。それもこれもこの宮毛町みやげちょうが、「日本で一番多く猫が住む町」たるゆえんだ。


 猫の町として宮毛町が騒がれ始めたのは、私が三歳の頃。その数年前からなぜか猫が住み着くようになり、急激に数が増えていった。昔から住んでいた父はいままでこんなことはなかったと言い、母は私が生まれたから猫が増え始めたんだ、と重なった時期を都合よく解釈しておだててきた。


 そんな縁もあって、私が町中の猫を好きになるのに時間はほとんどかからなかった。一三年経ったいま、高校二年になる私を見てまさかここまで猫に取りつかれるとは思っていなかったようだ。教育の賜物である。私のせいではない。


 猫様に吸い寄せられて寄り道したせいで、いつもより一〇分ほど登校に遅れていた。スマートフォンに電話が入り、確認するとクラスメイトのさくらちゃんだった。走りながら電話に出る。


「もしもしミミちゃん」

「ミミちゃんじゃない。いま誰と間違えた」

「あ、ごめん。従姉。従姉と間違えた」

一歌いちかに従姉はいないよね。また猫と戯れてたでしょ」


 嘘がすぐに見抜かれる程度には、付き合いの長い桜ちゃん。高校に入って初めてできた友達だ。


「だってミミちゃんが可愛くて。前見せた耳の色が左右違う三毛猫。覚えてる?」

「一歌のスマホに無限に入ってるフォルダのなかの一匹でしょ。知らんけど」

「猫様にも多数の種類があらせられてそれを一匹様ごとに愛させていただきかつ分けさせていただくと、それはもうごたいそうな数になりけり」

「落ちついて、敬語崩壊してる。無理するな」


 ちなみに友達になったきっかけは、桜ちゃんの家で飼っているスコティッシュを見に行かせてもらったことだ。初めてお邪魔したとき、色々な角度から一〇〇枚以上は撮らせてもらった。


「早く来なよ。さすがに二年生初日の遅刻は格好悪いよ」桜ちゃんが心配してくれる。

「うん、いま走ってる」

「クラス発表もうされてるからね」

「今年も一緒だった?」

「猫より早く走って、確認しにこい」


 電話が切れる。急がないとな、と速度を上げる。走るのは昔から好きで、わりと体力もある。陸上部に何度か誘われているけど、断っていまだに帰宅部である。放課後には町を散策して猫と戯れるという、とても大事なライフワークがあるから。


 猫はすっかり町のシンボルとなり、受け入れられ、いまではどこでもその姿を見かける。路上に、民家の塀に、商店街の店のひさしの上に、誰かの家の庭に。


「ニャア」


 今日もまた、どこかで声がする。


***


「で、遅刻したと」


 手を膝についたまま息を整える暇も与えてくれず、昇降口で待ってくれていた桜ちゃんから説教を食らう。


 結局、あのあと別の場所で二匹の猫と撮影会をした。撮影に満足して、画面端に表示された時刻を見て血の気が引いたあと、ここまでノンストップで走り抜いてきた。桜ちゃんの長いポニーテールは伸ばせばそのままゴールテープとして流用できそうだったけど、到着したとき、そんなことはもちろんしてくれなかった。


「遅刻してない。セーフだよ。大丈夫、まだ六分ある」

「いいから早くクラス確認しておいで」


 促されて、昇降口を入った先にある廊下の掲示板に向かう。始業時間ぎりぎりだからか、ほかの生徒たちの数はまばらだった。


 確認してすぐ、『奈爪一歌』と、A組に自分の名前を見つける。桜ちゃんの名前もそばにあった。これで二年連続一緒だ。近づいてきた桜ちゃんにハイタッチを求めてみるが、当たり前のようにかわされる。


「というかクラス一緒だったのに、わざわざ待っててくれたの? 優しい」


 そうだ、と思いだしたように桜ちゃんがスマートフォンを取り出してくる。


「あたしも登校する間、一匹撮ってきたんだ。可愛いよ、見る?」

「え、うそどんな子だろ見るよ見るよ見ちゃうよ」


 宮毛町の猫には一応それぞれのテリトリーのようなものが存在している。彼女とは通学路が違うので、会える猫の種類が変わる。


「でもどうしようかな。可愛いからタダで見せるのは惜しいな。購買のパンが二つくらい手元にあったら、ついつい指が緩んで一歌に送っちゃうかもなぁ」

「まさか待ってた理由ってこれ……?」

「相場の価値は変動するよ。早く決めないとさらにつり上がるよ。パン三つ」

「二つでお願いします!」

「よし。じゃあいまから購買行こうか」

「遅刻する!」

「大丈夫、まだ六分ある」


 笑顔でしたたか。ぴんと姿勢が正しく凛々しくて、猫にたとえるならロシアンブルーみたいな子だけど、一緒のクラスになったことを本当に喜んでいいのか、ちょっとわからなくなってきた。


 腕を引かれて掲示板から離れかけたそのときだった。

窓の外の庭に、さっと横切る物体が見えた。反射で体が動き、窓に張り付く。やはり猫。きれいな白い毛並みの子だった。完全な白猫というわけではなく、毛先が淡い桃色をしている。


「あの子、この辺で見たことない……」

「教室につくのにあと何時間かかる予定?」


 呆れるように桜ちゃんが溜息をつく。


「いや、本当に見たことない子なんだよ。新しく産まれた子猫ってわけでもなかったし、なんだろ、新入りさんかな? 私のフォルダのなかにもない」


 窓の枠外に白猫が歩き去ってしまう。

 追いかけようと掲示板をはさんで隣の窓に移動しようとして、私の足は、そこでまたしても止まる。


 視線が吸い寄せられたのは、A組のクラス名簿にあった、一人の名前。


祭原さいはら まき


 その名前の引力に、どうにも動けなくなる。

 猫を追いかけることさえ忘れさせる、唯一の存在。

 祭原牧。今年は彼女とも、同じクラス。


「今度は何?」桜ちゃんが同じ方を見てくる。

「あ、いや、なんでもない。やっぱ行こう」


 彼女の名前から逃げるように、背を向ける。

 桜ちゃんは高校入学以来、私の猫好きな性格に呆れることなくかまってくれる、大切な友達の一人だ。

 けれど私には。


 誰よりも付き合いの長い、一人の幼馴染がいた。

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