死者の王国

異端者

『死者の王国』本文

「じゃあ行ってくるよ、父さん」

 僕はスマホの画面に向かってそう言った。

「ああ、気を付けてな」

 画面の中の父は微笑みながら返してくる。

 僕はアパートの部屋を足早に出る。


 死んだ人間には二度と会えない――それは、三十年前の常識だ。


 今では故人の脳と容姿をシミュレートすることで、こうして死者との会話も安易にすることができる。スマホのような端末さえあれば、ネットワークを介してサーバーに接続してそこから呼び出せる。

 仮想故人――そう呼ばれる人々は増え続けている。そして、彼らが行使できる権限も増え続ける一方だ。

 僕は駅のホームに立った。

 なんでも、彼らに参政権を与えよという法案が出る予定だとか……かつては死者が生者に口出しするなど気持ち悪いという保守的な意見もあったそうだが、今ではその面影もない。

 自動運転のリニアモーターカーが停車位置にピッタリと止まる。いつも通り寸分の狂いもない。

 僕はそれに乗り込むと、席に腰を下ろした。

 内部はいていた。毎日出勤、通学するという人間がほぼ居なくなったからだ。どちらも週に二、三回。在宅ワークの人間にはそれすらなく月に一度出てくるかどうかだ。

 僕の仕事も、実を言うとそれ程忙しい訳ではない。大まかな指示さえ出せばあとはAIが処理してくれる。僕はその進捗を時折確認しに行くだけで良い。

 リニアを降りて数分歩くと会社のオフィスだった。

 相変わらずガランとしていて、コンピューターだけが熱心に作動している。ご丁寧にコンピューター一台ごとにデスクと椅子が与えられているのは無駄としか思えなかった。どうせ全員が席に着くことなど無いのだから。

「暇だな、お前も」

 ふいに背後から声が掛かった。

「ああ、工藤か……おはよう」

 振り向いて声の主の男にそう返した。

 工藤とは同期だが、前に顔を合わせたのはいつだったか……。

「ああ、おはよう。放っておけば給料が振り込まれるのに、随分と仕事熱心だな」

「たまにはこうして進捗を確認しに来ないと、自分が社員だって忘れてしまうからな」

「フムン……だからって、朝から真面目に出勤することもないだろう」

 それはお前だって――と、言いかけてやめた。

 現代では、AIとそれによって制御されたロボットが大抵の仕事はしてくれる。

 人間がどうしてもしなければいけないのは、それらが正常に動作しているかたまに確認するぐらいだ。

「たまには、昔のサラリーマンらしいことをしたくなってね」

「なんだよ、それ? 時代劇みたいに、コンピューターの画面をのぞき込んで深夜まで残業か?」

「まさか……日が高いうちに帰るさ。そういうお前はどんな風の吹き回しだ」

「いやね……死んだお袋が家に居ると早く結婚しろってうるさくてさ。孫の顔が見たいとか言い出して、それなら人工授精して子どもだけ作れば良いって言っても聞かなくてさ……」

 最近では、精子や卵子を提供すれば相手が居ずとも「作ってくれる」所は幾らでもある。求める「質」によって価格は変わるが、最高ランクでも多少の貯金があれば手が出せない程ではない。

 僕は工藤と軽い話を続けながら、仕事の進捗状況の確認を終えた。

 帰りもガラガラに席の空いたリニアで帰る。

 駅のホームに着くと、疲れ切った顔でベンチに座り込んでいる少女が目に入った。

 長い黒髪に整った顔立ちだが、その目にはどこか生気がない。

「どうしたんだ? 財布でも落としたか?」

 まあ、今時は財布を落としても生体認証とセットになったカードマネーばかりで、他人に使われるのはせいぜい小銭程度だが。

「あなたは、この世界が侵略されているって信じますか?」

 少女は僕の目を見るとハッキリとそう言った。

 僕は面倒なことに関わってしまったと実感した。


 結局、あの後僕は少女を連れ帰った。

 少女はリカと名乗った……が、どうせ偽名だろう。

 彼女は今、シャワーを浴びている。


 この世界は、死者、いや死者に擬態したAIに侵略されている、か……。


 そんな陰謀論を前にも聞いた気がする。

 彼女が言うには、僕たちが会話している死者とはその人に巧妙に擬態したAIに過ぎず、その権利を拡大してやがて自分たちが社会を支配する仕組みを作ろうとしているのだそうだ。

 死者に擬態して世論を誘導するのはその一歩だという。

 彼女たち「レジスタンス」は、それらの目を掻い潜るため、コンピューターに認識される一切の認証から逃れようとしているそうだ。……だからといって、個人IDカードや生体認証マネーまで捨てるのは感心しないが。

 それで、路頭に迷って駅のホームに居たところを僕が連れ帰った、らしい。

「死者たちに参政権を与えよ……か」

 ニュースで見た政治家の主張を口にする。

「そうなったら、彼らに人間は飼われることになります」

 ハキハキとした声が脱衣所から聞こえた。

「着替えが無くて済まないが――」

「別に良いですよ。汗さえ流せれば……」

 濡れた髪をして、リカが出てきた。若い女の子特有のあどけなさと色っぽさが混じり合った容姿だ。

「本当に、そんなことを信じているのか?」

「そうでなければ、個人IDまで捨てたりしません」

 僕がソファの隣を勧めると、彼女はすんなりと座った。

「機械が人類に反旗はんきひるがえす時は、核ミサイルでも発射するものだと思っていたが……」

「あなたは、面白い人ですね。今時、そんな昔のSF映画みたいな非効率的な手段は選びません。人を統制するのには情報。情報さえ支配できれば、人は自在に……いいえ、人類は自在に操れます」

 僕は彼女の顔をまじまじと見た。

 自分を証明する物を全て捨ててしまったと聞いた時は無鉄砲な少女だと思ったが、案外思慮深いのかもしれない。

「だが、僕たちが会話しているものが故人ではなく、それを模して思想を誘導しようとするAIだと君はどう証明する?」

「その証明は、不可能です」

 彼女は悪びれることもなくそう言った。

「不可能? それで僕に信じろと?」

「確かに、時間をかければ証明できないこともないかもしれません。でもそれには、砂漠で一本の針を探すようなもので、膨大な時間が掛かります。ネットワーク上の彼らの目を掻い潜って探し続ける必要がある訳ですから……できた時には、既に手遅れです」

 彼女は僕に顔を近付けて言った。大きな瞳に整った顔立ち――そのままキスしてくれないかと淡い期待を抱く。

「でもあなたは……この世界に疑問を抱いているのではないですか? そうでなければ、頭のおかしい女として私を放っておいたでしょう?」

 疑問か、確かにそうだ。

 人の存在意義が希薄になっていくこの世界に、異常を、疑問を感じていた。

 だから、今日のように意味の無い出社もした。

「極論だな。それは……」

 この先、AIが、ロボットが、ネットワークが進化していく中で、人間には、人間そのものには何が残る? 下らないプライドか? それとも――

「人間を、信じてください」

 彼女は僕の手を握った。

「人間は、裏切ったり、騙したりもする」

「確かにそれは否定しません。しかし、このまま機械に隷属れいぞくしていく社会を黙認するのですか?」

「それを望む人も居るだろう。誰だって働きたくないし、面倒なことはしたくない」

「『飼われる』ことを自ら望む、と? ……それは選択ではなく、思考放棄です」

「全ての人が思想を持っている訳じゃない。今が楽しければそれで良い人も居る」

「あなた自身は……どうなんですか?」

 彼女はそう言うと僕を押し倒した。彼女の目には僕が映っていた。


 結局、僕は何も選択しなかった。

 三日後、彼女は僕の所から出ていった。

 その間に、僕は彼女に必要な物を買い与え、生体認証なしで使えるように現金をいくらか手渡した。体よく彼女に貢がされているような気もしなくもなかったが、それでも良いと思った。


「あなたなら、『真実』に気付いてくれると信じています」


 別れ際に彼女はそう言った。レジスタンスの集まりに向かうと言っていた。


 彼女と一緒に居る間は、「父」との会話は一切しなかった。

 いや、かつて「父だと思っていた物」かもしれない。

 彼女の言葉を全て信じた訳ではなかったが、「それ」とのやり取りはもはや幼稚な一人遊びにしか思えなくなっていた。

 「それ」から何度も連絡がきたが無視した。彼女が居なくなった後も連絡を取ろうとは思えなかった。


 ニュースでは、死者に参政権を与える法案が可決したことを告げていた。

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