第37話 このままアタシが戻らなかったら……二人は……



 ――――――



「ただいま」


「おかえりー」


 それからしばらくして、お姉ちゃんが帰ってきた。

 アタシは笑顔を作り、お姉ちゃんを迎える。その隣では、先輩もぎこちなくだけど笑顔を浮かべている。


 先輩ってば、わかりやすいな……これじゃ、なにかありましたって言ってるようなもんだよ。


「あぁ、おかえり右希うき。委員会、お疲れ様」


「ありがと、たっくん。はぁー……」


「! お、おい?」


 お姉ちゃんは、鞄を床に置くとそのままベッドに……ではなく、先輩の隣に座る。

 そして、体を寄せて先輩の肩に、自分の頭を乗せたのだ。


「う、右希?」


「なあに?」


「い、いやその……どうしたんだ?」


「えぇー? 彼女なんだから、いいでしょ?」


「それは、そうだけど」


 お姉ちゃんの行動に、先輩は驚いた様子だ。でも、それはアタシも同じ。

 だって、あのお姉ちゃんが。手を繋ぐのも恥ずかしがっていたお姉ちゃんが、家の中とはいえ先輩にこんなにくっつくなんて。


 今までのお姉ちゃんなら、考えられないことだ。

 もしかして、夏祭りの日のキスが、お姉ちゃんを大胆にさせたのだろうか。


「ほら、左希さきも見てるし……」


「……左希に見られると、なにかまずいことでもあるの?」


「そういうわけじゃ、ないけど……」


 本当に、どうしたんだお姉ちゃん。

 先輩がアタシをチラチラ見てくるし、先輩も混乱しているのは明らかだ。先輩ものこの様子を、お姉ちゃんが気づかないはずがない。


 わかって、やっている。それも、アタシがいてもお構いなしに……

 いや……むしろ、アタシに見せつけようと、しているような……?


「ねえたっくん、頭撫でてー」


「お、おう」


 お姉ちゃんの要求に従い、先輩はお姉ちゃんの頭を撫でる。

 アタシとは違って、長い髪。女の子らしい髪。切ると決めたのは自分だけど、やっぱりうらやましいなと思ってしまう。


 先輩からの、頭撫で撫で……いいなぁ。

 ……いや、さっき頭は撫でてもらったよ。でも、あれは……妹にするみたいなもので、違う。アタシが欲しいのは……


「んんー。気持ちいいー」


 そこにあるのは、彼氏と彼女の、微笑ましい光景。

 なのになぜだろう。胸の奥が、チクっと痛むのは。


 ……なぜ? そんなの、聞かなくてもわかっているじゃないか。


「っ……アタシ、ちょっとトイレ」


 その場から立ち上がり、逃げるように部屋を出た。

 それから、実際にトイレに入ったけど……便器の上で座るだけで、うつむく。


 どうして、こんな気持ちになるんだろう。こんな気持ちを、持つ資格さえアタシにはない。

 いいことじゃないか。お姉ちゃんが積極的になれば、先輩がアタシとの練習の成果を発揮するのも近いだろう。


 練習の……成果を……


「……はぁ」


 これが、アタシの望んでいたことのはずだ。

 お姉ちゃんと先輩が、そうい雰囲気になった時のための……アタシは、そのための練習。


 夏祭りでの、お姉ちゃんと先輩のキスを見てから……アタシの心は、おかしい。


「……戻ろ」


 あの光景を、見ていたくない。だけど、ずっとトイレにこもっているわけにもいかない。

 アタシはトイレから出て、部屋に戻る。


 部屋の前で立ち止まり、深呼吸。それから、ドアノブに手を伸ばして、扉を……


「う、右希……」


「たっくん……んっ……」


「!」


 そのとき、部屋の中から……声が、聞こえた。

 先輩と、お姉ちゃんのもの。


 いや、だめだ、見ちゃいけない。

 そう思っていても、体が勝手に動いた。ドアノブを捻り、扉を開く。ゆっくりと、中にいる二人に気付かれないように。


 少しだけ扉を開けて、隙間から部屋の中を見る。


「……っ」


 部屋の中の光景に、思わず声が出そうになってしまった。

 だからアタシはとっさに、口を押さえた。声が、出てしまわないように。


 部屋の中では、さっきまでは先輩の肩に寄りかかる形で、お姉ちゃんが隣に座っていた。今も、体勢は変わっていない。

 けれど、決定的に違うものがある。


 お姉ちゃんは、先輩の方に顔を向け……かなり、接近していた。

 というか……キスを、していた。


「右希っ……左希が、帰って……んっ」


「そうだね、だから……もうちょっと。んっ……」


 お姉ちゃんから、先輩に迫っている。

 先輩は口ではそう言いながらも、抵抗する気配はない。彼女からの口づけを、拒めはしないのだ。


 部屋の入口……つまりアタシからだと、お姉ちゃんの顔が正面に見える。お姉ちゃんは、先輩に夢中でアタシには気づいていないけど。

 お姉ちゃんの顔は、これまでに見たことがないほど、恍惚としていて……すごく……


「きもち……よさそう……」


 アタシは口を押さえていた手とは逆の手で、お腹を押さえる。

 これは……なんだろう。なんなんだろう、これは。


 お姉ちゃんと先輩が、キスをしていて……それをアタシは、見ている。見たくない光景のはずなのに、アタシはその光景から目を離せない。


「んっ……たっくん……」


 口の間から漏れだす声が色っぽくて、アタシまでドキドキしてしまう。

 もし、このままアタシが戻らなかったら……二人は……


「……くっ」


 アタシは、扉を閉めて……扉を、コンコンとノックする。

 中ではがさごそと音が聞こえて、それが収まったのを確認してから扉を開けた。


 そこには、お姉ちゃんと先輩の姿。アタシが部屋を出る前と同じ、お姉ちゃんが先輩の肩に寄りかかっている姿だった。


「あ、おかえり左希ー」


「お、おかえり」


「……うん」


 お姉ちゃんはにっこりと微笑み、先輩もまたぎこちなく笑顔を浮かべる。

 だから、そんなんじゃなにかあったって言ってるようなもんだって、先輩。


 おまけに、二人とも顔が赤いし、息だって荒い。


「……も、もう二人とも。そんなラブラブしてるの見せつけないでよー」


「えへへ、ごめんねー。じゃあ、左希もやる?」


「へ?」


「え!?」


 元の位置に腰を下ろすけど……お姉ちゃんの、思いもしない提案に、アタシは呆気に取られてしまう。

 それは、先輩も同じだ。


 アタシもやるかって、キス……じゃないよね。……アタシも、頭を肩に置かないかってこと?

 もちろん、やりたい……けど。


「い、いいよー、なに言ってんのお姉ちゃんってば」


 今、先輩に触れてしまうと……ヤバイ。多分、気持ちを抑えられなくなる。

 だからアタシは、やんわりと断った。でも、今度二人になったら先輩にお願いしようかな……とも思った。


 そんなアタシを見て、お姉ちゃんはにこにこしたままだった。

 気のせいか、さっきよりも顔が赤くなっているように感じた。


「そっかー。じゃあ、独り占めしちゃうね!」


「う、うん……どうぞ」


 それからしばらくの間、お姉ちゃんは先輩を堪能して……暗くなってきた頃に、今度は揃って先輩の家に移動した。

 ごちそうされた夕食は、とてもおいしかったけど……アタシの心には、ぽっかりと穴が開いたようだった。

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