第27話 これで、最後にするから



「……」


「……」


 静寂が、あたりを包み込んでいた。

 ここはアタシの部屋で、勉強をするために先輩と二人きりだった。


 ちょっとジュースを取りに行こうとして、小指をぶつけちゃって……倒れそうに、なっちゃって。

 それを、先輩が助けてくれた。手首を引っ張って、床に倒れないようにしてくれた。


 その結果……ベッドの上に、まるで先輩がアタシを押し倒したかのような体勢に、なってしまった。


「わ、悪い!」


 ふと、我に返った先輩が、アタシに謝る。

 それから、状況を把握して……


「す、すぐ退くから……!?」


 アタシの上から、退こうとしたのを……その動きを、止める。

 いや、止めたのだ。アタシが。アタシが先輩の服を掴んで、動きを止めた。


「さ、左希さき?」


 先輩は、困惑した様子だ。アタシの行動が、理解できないのだろう。

 だけど……それは、アタシもだった。


 なに、やってるのアタシ? 左希、あなたなにをやっているの?

 なんで、先輩を……先輩を逃がさないように、服を掴んでいるの?


「おい、左希。離してくれ……この体勢は、まずいだろ」


 先輩はアタシから目をそらしつつ、口を動かしていた。

 まずい? まずいって、なにがまずいんだろう?


 なんで先輩は、顔を赤くしてアタシをチラチラ見ているんだろう。


「……初めてだよね。先輩から、こうして押し倒してくれるなんて」


「! お、押し倒し……!?」


「ふふっ、冗談だよ」


 ちょっとからかっただけで、こんなに慌てるなんて。かわいいなぁ。

 あぁ……だめだな、アタシ。先輩とお姉ちゃんの仲を深めるって決めたのに、デートのご褒美もナシにしたのに。


 アタシ……こんなにも、欲しがってる。


「ねえ、先輩。アタシ、決めたよ。ご褒美」


「へ……」


 このタイミングで、保留すると言っていたご褒美の内容を決めたとは、思わなかったのだろう。

 先輩は目を丸くして、アタシを見ていた。


「……だけ……」


「え?」


 あぁ、なんでだろう。いざ、ご褒美を口にしようと思ったら……口が、震える。喉が、渇く。全身が、緊張で強張る。

 でも、アタシ……


 これが、いい。


「今日だけ、でいいから……

 アタシを、アタシとして抱いて……!」


「!」


 先輩の目が、大きく見開かれる。

 それはそうだろう。元々、お姉ちゃんの代わりとして……お姉ちゃんとするときの練習として、アタシは関係を迫った。


 それを、自分からナシにしようというのだ。

 いや、正確には……今日だけ、だ。今日だけ、お姉ちゃんの代わりじゃなくて……


 アタシを、晴嵐 右希せいらん うきとの代わりじゃなくて、晴嵐 左希せいらん さきとして、求めてほしい!


「いや、それは……てか、右希うきも帰ってくるんじゃ……」


「帰ってくるのは、まだ先だよ。晩御飯までには帰る、って言ってたから……まだ、時間はあるよ」


 アタシは手を伸ばし、先輩の頬に触れる。少しだけ、先輩の肩が跳ねる。

 あぁ、こうして触っていると……もっと、触れてしまいたくなる。もっと、欲しくなってしまう。


 アタシをアタシとして抱いてくれなんて、デートしてくれのほうがよっぽど簡単だろう。

 でも……


「お願い……お願い、だから」


「左希……?」


 お姉ちゃんの代わりじゃなくて、アタシを求めてくれたら……きっと、満足できる気がするから。

 もうこれ以上、邪魔はしないから。もう、求めたりはしないから。


 これで、最後にするから。


「お願い、たっく…………先輩」


「!」


 その直後、彼はアタシの唇を奪った。いつも、アタシからしていた口づけ……それを、彼からしてくれているという事実が、胸の奥を満たしていく。

 自分がどんな顔をしているのか、アタシにはわからない。


 でも、彼の瞳に映ったアタシの顔は……とても、泣き出しそうな顔をしているように、見えた。


「う……いや、左希!」


「!」


 いつもは、アタシではなくお姉ちゃんの名前を呼ぶ。当然だ。

 その口から、アタシの名前を聞けることはないのだと、思っていた……だけど。


 名前を呼ばれただけで、こんなにも嬉しい。荒々しい彼の手が、アタシに触れる度……心臓が、飛び出しそうになる。


「先輩……!」


 いつもアタシは、先輩のことをたっくんと呼んでいた。それは、少しでも先輩に、お姉ちゃんだと近づけるため。

 昔は、アタシもたっくんと呼んでいた。だけど、アタシを見てほしくて……アタシだけを見てほしくて、呼び方を変えた。


 いつの間にか、この呼び方もしっくりくるようになっていた。


「……んぅ!」


 彼の熱が、アタシを求めている。お姉ちゃんじゃなくて、アタシを。

 あぁ、こんな幸せなことがあっていいのだろうか。幸せで……でも、アタシはとんでもなくイケないことをしている。


 幸せだけど、この幸せは本来、お姉ちゃんだけのものだったはずだ。

 あぁ、ごめんねお姉ちゃん……きっとこれで、最後だから……


「っ、せん、ぱい……これ……」


 アタシは、ベッドの端に手を伸ばし、引き出しを開ける。その中に入れてあったものを、先輩に手渡す。

 先輩はそれを受け取り、アタシの意図を汲み取ったように……


「いいんだな、左希」


「……ん」


 そして先輩は……お姉ちゃんじゃなく、アタシを求めた。

 その事実が嬉しくて、今まで以上に声が出てしまう。枕でなんとか口を押さえるけど、あまり意味がないようにも思う。


 全身を貫く熱が、この世にアタシと先輩しかいないのではないかと、思わせてくれて……


「お願い、先輩……アタシを……っ、アタシを、抱きしめて」


 手を伸ばして、先輩にせがむ。先輩は、アタシの望みをかなえてくれた。

 今アタシは、なにを言おうとしたのだろう。そんなの、わかっている……無意識に、アタシがなんて思っているのかなんて。


 それを口にしたら、先輩を困らせる。お姉ちゃんを困らせる。だから、せめて今だけは逃がさないように、アタシを包み込んでくれる体を、ぎゅっと抱きしめて。



「アタシを……選んで!」



 口には出せないその言葉を、胸の中で叫びながら……アタシは幸せの絶頂に達したのを、確かに感じていた。


 あぁ……だめだ、アタシ。ごめんね、お姉ちゃん……

 これで、最後だって……諦められるって、思ったけど…………やっぱり、無理みたいだ。

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