第23話 気持ち悪い、怖い、嫌だ



 一人で、お姉ちゃんと先輩から離れた。

 そこへ、知らない声がアタシに話しかけてきて……アタシの行く手を塞ぐように、立っていた。二人組の男だ。


 あー……最悪だ。ナンパに絡まれるなんて。

 高校生……いや、大学生くらいか。髪を染めている。いかにも、ナンパしに来ましたって雰囲気を出している。


 別に、ナンパとかは禁止されているわけじゃない。個人の自由だけど……まさか、自分が受けるとは、思わなかった。


「あは、めっちゃかわいいじゃん」


「一人でいるのもったいないって」


 それに、ナンパ慣れしているのがわかる。

 このまま無視してもいいけど……それだと、相手を逆上させかねないし。


 ここは、一応丁寧に断っておこう。


「ごめんなさい。アタシ、人と待ち合わせているので」


 ぺこりと頭を下げ、下手に出てみる。

 待ち合わせ……しているわけじゃないけど、一人じゃないのは事実だし。いいよね。


 けれど、これでナンパ男が諦めるはずもなかった。


「へー? なら、そのお友達も一緒に遊ぼうよ」


「そうそう。人数は多い方が楽しいし」


 ……ダメか。あのくらいじゃ、諦めるどころか余計に火をつけただけだ。

 おとなしくしているアタシを、いいカモとでも思っているのか。アタシを逃がすつもりはないようだ。


 はぁ、最悪っ。ただでさえ、むしゃくしゃしているっていうのに。

 しかも、なにが嫌だって……こいつら、アタシの胸、見ているのがわかる。


「っ……」


 これは、お前らに見せるためのものじゃ、ない……!

 たまらず、胸を隠してしまった。


 すると、胸が強調される形になる。ナンパ男の目が開かれた。

 くそっ、余計に興味をひかせただけじゃないか。


「いえ、結構です。じゃ」


 今度は少し強めの口調で、返事を聞く前にナンパ男の横を過ぎて歩き出す。

 ペタペタと、素足だから走るのも危ない。急いでこの場から離れられないのが、もどかしい。


 気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い。あんな、めちっこい目で。

 嫌だ。触られたわけでもないのに……なんか、嫌だ。早く、ここから離れて……


「まあまあ、待ってよ」


「!」


 アタシの足が、止まる。

 それは、ナンパ男に手首を掴まれたせいで、無理やり足を止められてしまったからだ。


 触られた部分が、ぞわぞわと……変な感覚がする。


「っ、離してください」


「そんなつれないこと言わないでさー」


 このっ……振りほどけない。力、強い……!

 離してと言っても、離してくれない。本当に、嫌なのに……振り払えない!


 足場のせいだろうか。プールで、足場が濡れていて踏ん張りが効かないから……

 もし、普通の地面だったら、こんなやつら簡単に振り払って……


「人を、呼びますよっ」


 力で振り払えないなら、理性に訴えかける。

 これだけの人がいるプールだ。今はみんな自分のことに夢中だけど、声を上げればすぐに気付く。


 こいつらだって、騒ぎにはしたくないはずだ。

 だからアタシは、ナンパ男を睨みつけるように、振り返って……


「……は?」


「……っ」


 まるで、胸の奥にまで響くような冷たく、重い言葉に……アタシの中でなにかが、震えた。


 さっきまで、こんなナンパ男怖くもなんともないと、そう思っていたのに。

 なんで……今の、声を聞いただけで……こんなにも、怖い……?


「へー、そういうこと言うんだなぁ」


「……そ、そうよ。あなたたちも、騒ぎにはしたくないでしょ。今ならまだ、許してあげる。

 だから……っつ……」


 ぎゅ、と……力が込められたのが、わかった。掴まれた手首が、強めに握り締められたのだ。

 それだけ……たったそれだけなのに。アタシは……


「なら、声を上げてみろよ。なぁ?」


「ぁ……」


 声が、出せなくなってしまっていた。


 なんで怖いどうして怖いこんなやつらに怖い好きにさせたくなんて怖い。

 声が、震えてしまっている。足も、震えて動かない。


 身体にまとわりつく視線が、気持ち悪い。手首を握り締める力が、強い。

 男って……こんなに……?


「おいおい、さっきまでの強気はどうしたんだ?」


「お前が脅かし過ぎたんだろー、お前の顔面は怖いんだよ。あはは」


 ナンパ男は、ケラケラと笑っている。それが、とても不快で……情けなくて。

 なんで、声が出ないの。足も、動かないの。


 気持ち悪い、怖い、嫌だ。

 違う……こんなの、違う。だって、アタシに触れてくれたあの手は……アタシを見つめてくれたあの目は、こんなんじゃなかった。


 あの人は、こんなんじゃなかった……


「じゃ、どっか落ち着けるところで話でも……」


「あの、ちょっといいですか?」


 ナンパ男に連れて行かれそうになった、そのときだ……

 アタシが今、一番聞きたいと思っていた声が……聞こえたのは。


 その声の方向には……間違いなく、あの人がいた。


「あぁ? なにお前」


「すいません、その子俺の連れなんで」


「はぁ?」


 突然現れた男に邪魔されたことが気に食わないのか、ナンパ男はアタシの手を離し、二人して彼に迫っていく。


 だめ、二人相手なんて……

 でも、声が出せない。手を伸ばすことさえも、できない。


「おい兄ちゃん、別に俺らはなにもしてないのよ。ただちょぉっと、その子に道を聞いてただけよ」


「そうそう、あとちょっとだけ貸してくれりゃいいから。一時間くらいな、へへへ」


「……道を聞いてただけ、ですか」


「おう」


「なら……なんでその子が、泣いてんだ!」


「……え?」


 ナンパ男に詰められても彼は……先輩は、全然臆することはなくて。

 アタシのことを見るその目は、これまで見たことがないほどに、怒っていた。


 そして、ようやく気付いた……アタシが、自分でも気づかないうちに涙を流していたことに。


「ちっ、うるせえなぁ。もうてめえどっか行ってろ」


 ナンパ男は舌打ちをして、先輩の肩を突き飛ばした。

 それが軽く突き飛ばしたものなのか、それとも押し倒す勢いだったのかはわからない。


 けれど、肩を押された先輩は何歩か、後ずさりをして……


「これ、正当防衛だから」


「あぁ? なに言って……ぶっ!」


 次の瞬間、何事か呟いた先輩が、肩を押したナンパ男の頬をぶん殴った。

 それは、予想もしていなかったのだろう。ナンパ男はパンチを受けて、その場に倒れた。


 ドサッと倒れ、もう一人の男が驚いたように、倒れた男に声をかける。

 その騒ぎでようやく、周囲も何事かと異変を察知し始める。


「ぇ……」


「行くぞ、左希さき


「あ……?」


 アタシも、なにが起こったのかよくわかっていない。いや、脳が処理しきれないのだ。

 その間に、誰かに手を引かれる。それが誰か、確認するまでもない。


 ナンパ男と違って、優しい手で……優しい声で、アタシの名前を呼んでくれる。

 先輩の手に引かれて、アタシはその場を移動した。

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