熟成
エイ
第1話 事件名:××町五丁目傷害致死・死体遺棄事件
2023年3月2日、埼玉県××市××町五丁目のグリーンハイツの住人から「ひどい異臭がする」との通報があり、近くの派出所から警察官二名が確認のため当該アパートへ駆けつけたところ、周囲一帯に強烈な腐敗臭が立ち込めていた。
通報者から事情を聞きながら臭気の発生源を調べる作業に当たる。通報者の証言によると、ごみの不法投棄が多い地域であるから最初はどこかで回収されていない生ごみが腐っているのかと思っていたが、日増しににおいが強くなり、もしかしてアパートの住民が孤独死しているのではと不安になり通報に至った。
警察官二名はその証言を元に、アパートの管理者である不動産屋に立ち合いを求め各室への訪問をおこなう。六戸中二部屋が空室で通報者の証言を元に匂いの一番強い103号室を訊ねたところ、そこで一人暮らしをしている女性が応対に出てきた。ドアを開けた瞬間にひと際強烈な臭気がしたため、その場で警察官が室内への立ち入りを求めると、その女性の部屋のリビングに透明なビニールに入れられた腐乱死体を発見。
女性が保管していた遺体の所持品から、遺体の身元は製薬会社勤務の小林剛さん(30)と判明。警察は死体遺棄容疑で住民の唐田美伽(23)を逮捕。殺人の可能性も視野に入れ捜査を開始。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
被疑者唐田美伽の事情聴取の録音録画内容から一部抜粋。
取調官――あなたの部屋にあった遺体は誰ですか? 知り合いの人?
被疑者――恋人だった男性です。
取調官――遺体の腐乱が進んでいたけど、彼はいつ亡くなった?
被疑者――去年の11月の……祝日だったかな。
取調官――小林さんに何があったの? 彼の死にあなたは関係している?
被疑者――別れ話をされて……だったら貸していたお金を返してと言ったら殴られて、抵抗したら彼が転んで頭を机にぶつけたんです。それで……まあ、ハイ。
取調官――それで、どうして救急車は呼ばなかったの?
被疑者――泡を吹いてしばらく痙攣したあと動かなくなったので死んだのかなって。死体は救急車に乗せてくれないって話を思い出して、じゃあ警察を呼べばいいのかって考えたとこまでは覚えています。でも私も殴られて頭がふらふらしていたから、その後気を失っていたみたいで目が覚めたら朝でした。
取調官――どうして目が覚めた時点で警察を呼ばなかったの? 逮捕されるのが怖かった?
(被疑者、五分ほど黙って考え込む)
被疑者――通報しようと思ったんです。でも、目が覚めたら結構時間が経っちゃってて、死んでいる彼の顔を見たらなんか変な感じがして……。
取調官――変な感じとは?
被疑者――生きている時と同じ顔のはずなのに、違う人みたいに見えるというか、なんかよく似た作り物みたいに思えてしまって、手も足もマネキンみたいに固くて、本当に彼なのかなって、もしかして気を失っている間によく似た人形と入れ替えられたのかなとか考え始めたら通報することが頭から抜けちゃったんです。
取調官――混乱して通報するのを忘れたってこと? でもあなたは今回警察が訪ねていくまで普通に会社に行き日常生活を送っているよね? 死後硬直が解けたら、その時点でそれが偽物なんかじゃなく遺体だと理解したはずだし、そもそもあれだけ腐敗していたらマネキンなんかじゃないと分かっていたでしょう。それなのにパニックになって通報できなかったという主張は無理があるでは?
被疑者――パニックになったなんて言ってないじゃないですか。話作らないでくださいよ。そうじゃなくて、彼の顔なのに彼じゃない感じがするのが不思議で、本人か確かめなきゃってそっちに気持ちがいっちゃって。それで服を脱がせて彼の体を――あ、上手く脱がせられなくて結局ハサミで服を切って確認したんですけど、ほくろとか調べてもちゃんと見たことある彼の体だったんで、ああ、これは剛さんなんだなって、本当に死んだんだなってその時にちゃんと理解しました。
取調官――それで数か月もの間、遺体を放置し続けた理由は? 遺体を密閉できるビニールに入れて発見を遅らせようとしたのは、警察に捕まりたくないから隠ぺい工作をしたと捕らえられてもおかしくないよ。
被疑者――それは、蠅が湧くと困るから仕方なく布団圧縮袋に入れたんです。隠ぺいというか……最後まで見られなくなると困るから、時間稼ぎの意味はありましたね。あ、それが隠ぺい工作になるのかな? だったらすみません。
取調官――困るとはどういう意味? 遺体であっても、恋人を手放したくなかった? それほど好きだったのかな。恋人さんのことが。
(被疑者、ここで声に出して笑う)
被疑者――ええ、確かに好きでしたけど……。なんか違う。でも刑事さんの思っている理由じゃないと思います。
取調官――じゃあどうして遺体を放置したの? そもそもいつまでも隠しておけるものじゃないでしょう。事実、腐敗臭がひどくて通報されてしまったんだから。
被疑者――そうですね、急に気温が上がり始めたら一気に腐敗が進んじゃって。会社でも臭いって注意されるようになっちゃって、もうばれるのも時間の問題だなって覚悟していたんです。
取調官――なんでそんな劣悪な環境で暮らし続けたの? 自首するか、いっそ家を捨ててどこかへ逃亡しようとは思わなかった?
被疑者――あー、どこか山奥の家とか借りられたら良かったんですけど、あれを移動させるのは現実的じゃないんで、しょうがないからそのままギリギリまで見ていようと決めたんです。
取調官――さっきも言っていたけど、見ていたかったというのはどういう意味? 死体に性的興奮を覚えたりしたのかな? 死体に対してそういった感情を抱く人のことをネクロフィリアというんだけれど、自分がそれに該当すると思う?
被疑者――興奮って……違うけど、別にそう思いたいならそれでいいですよ。なんか刑事さんが納得するストーリーにしたいなら、適当に理由付けしてくれていいです。
取調官――いやいや、そうじゃないよ。あなたの言っていることが抽象的過ぎて分からないから訊ねているだけ。もし違うならあなたの言葉で、理由を説明してほしい。
(被疑者、首をかしげて数分黙る)
被疑者――ううん。説明が難しいんですけど、死んだ彼の体を仰向けにしたら、顔が紫色で変なアザみたいなのが浮いていきて、すごく気持ち悪い見た目になっていたんですよ。あの人、すごいナルシストで肌ケアとかすごく気を遣っていたのにね。彼のことかっこいいって言っていた女の子が見たら絶対気持ち悪いって逃げちゃうだろうなって思ったら、なんかおかしくなっちゃって。
取調官――アザはたぶん死斑だろうね。血は体の下に溜まるから。
被疑者――シハン? ああ、でもだんだん体全体が網目模様みたいに全体に広がっていきました。日を追うごとに、彼の姿が変わっていくんですよ。何かの液が出てきて、一度しぼんだみたいに見えた彼の体がだんだん膨らんでくるんです。肌も青くなって。青い肌の彼はもう生前の姿とは似ても似つかない見た目でした。
取調官――ああ、なるほど。イケメンの彼が醜くなっていくのが嬉しかった? 振られたことに対する復讐の気持ちもあったのかな。
被疑者――うーん。まあ確かにこの見た目じゃあもう浮気できないなって思いましたけど、そういうんじゃないんですよね。私としては、生きていた時の彼と、死んだ彼の境界線を見てしまったから、その先も見たくなったんですよ。だって、死んだからって彼が彼でなくなるわけじゃないでしょう? でも彼の見た目は日々変化していく。それでも変わらず彼なわけじゃないですか。それってすごく不思議じゃないですか?
取調官――見た目が変化というか……腐敗が進んだ結果でしょう。
被疑者――そう、彼の体が腐って崩れていったんですよ。それでひとつ疑問が湧いたんです。腐敗して微生物が分解していったら、その分解された物質は彼なのかなって。液体と微生物の代謝物になったら、もう彼ではなくなるのかな? 崩れた肉はどこまでが彼でどこからが彼じゃないんだろう? ねえ、どう思います?
取調官――は? いや……。
被疑者――もし、最初から彼を瓶に詰めておいたら、腐ってもその中身は全部彼ってことになりますよね? でも腐敗って、微生物が物質を分解して代謝物を出すじゃないですか。それって別の物質に置き換わったということですよね? そしたらそれはもう彼ではない別の何かに成ってしまったって考えるほうが正しいのかな? 確かに、腐敗した物質が詰まった瓶を見たってああこれは剛さんだ、とは私気づけないと思うんですよ。じゃあ彼を彼たらしめるものって一体なんなんでしょう。見た目? 性格? 言動? でもそれって全部時と場合によって変化していくものですよね? だったら、日々変化していく彼を最後まで観察したらそれが分かるかもしれないと思ったんです。
(被疑者、早口で喋り少しせき込む)
取調官――ちょっと落ち着いて。最後まで観察? とはどういう状態を最後と考えていたの?
被疑者――ええと……。変化してなくなっていってしまうものは、その人の本質じゃないってことなのかなと考えるようになったんです。何も残らなかったら、最初からなかったことと同じじゃないですか。だから、なくなっていくものを取り除いて、最後に残るものは何かって考えたら…………骨かな? って。
取調官――骨? じゃあ……遺体を室内に放置し続けたのは、小林さんが骨になるところを見たかったからということ?
被疑者――そう、ですかね。死んで、腐って、それでも最後に骨だけは残るなら、それがその人の本当の姿なのかと思ったんですけど、結局中途半端なとこまでしか見られなかったから、よく分からないままです。骨はちゃんと彼のかたちをしていたのかな。していたんでしょうね。あー見てみたかったな。最後には骨意外にも何か残っていたんでしょうか? ねえ? 刑事さんはどう思います?
取調官――それは……私には分からないけど……本質も何も、そもそも人は死んだら終わりでしょう。生きているから意味があるわけで……。
被疑者――刑事さんって仕事柄、たくさんの死体をみるでしょう? やっぱり死体はもうその人ではなくなってしまった別の何かという認識ですか? 刑事さんは恋人とかいます? 恋人が死んだら、その瞬間からその人は恋人とは別の何かに変化したって感じます? 元恋人だったソレは、もう別の何かだから意味がないと思います? 本当に意味がないのかな? デートして一緒に遊んでご飯食べたり抱き合ってキスをしたりたくさんセックスをした体なのに、死んだらいきなりもう意味がないと切り替えられます? むしろ、恋人だったものが変化して、最終的に何に成っていくのか気になりませんか?
取調官――ええ、ああ……。そろそろ時間なので休憩を入れましょうか。
(被疑者、一時退出)
―――――――――――――――――――――――――
勾留中の女性死亡。
死体遺棄及び死体損壊の疑いで××署に勾留中だった二十代の女性が留置場にて心肺停止の状態で発見される。病院に搬送後、死亡を確認。
女性に持病等はなく、また目立った外傷もないため死因の特定に至らず。勾留中の死亡であるため取り調べ方法などに問題がなかったか県警本部が調査に入る。取り調べの映像記録によると、死亡前の取り調べ時間はおよそ一時間程度で、被疑者が興奮してきた様子をみて落ち着かせるために取調官が休憩をはさんだ経緯があり、その間身体的拘束や暴力等は一切なく取り調べ方法に問題はなかったと思われる。
熟成 エイ @kasasagiei
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