女の子の髪を掴むな
廊下を出るとすでにハルカ先生とマシマの気配が無かった。
「……探知魔法をかけるまでもないか。どうせナンバーズ専用修練所だろう」
高等学校対抗戦が何をするかよく理解していないが、マシマは弱い。
クラスで中の下レベルで中途半端な位置に属している。それなのに騎士団長の娘という事で先生から贔屓をされていた。
本人は頑張っているが、その頑張りが空回りしている。
学園の代表に選ばれる戦闘レベルではない
かといって生真面目なマシマが不正をするとは思わない。
きっと様々な大人たちの思惑が絡んで、不幸な出来事になってしまっただけだ。
廊下は静かであった。
授業中なのに一人だけ廊下を歩いていると変な気持ちになる。
悪いことをしているわけではないのに、奇妙な罪悪感を感じる。
……ハルカ先生か。
俺たち奴隷があの場所にいた時は、大人たちは仮面を被っていた。
仮面を被っていないのは奴隷と、学園長だけであった。
戦う事を強制される毎日。
仮面の大人たちが奴隷を持ち駒として消費する毎日。
ハルカ先生は生粋のサディストであり戦闘狂だ。
嬲るように奴隷たちを蹂躙する。死者が出ることも日常茶飯事であった。
――廊下を抜けて、一旦校舎を出てグラウンドの横にある修練所へ……。
そう思いながら廊下の角を曲がった瞬間――
廊下の死角を狙われた――
「――学生はおとなしく教室戻って勉強してろってんだよ!!」
大きな物体が俺に迫った。
高速思考が物体を解析する。修練所に向かったはずのハルカ先生がマシマを振り回して俺にぶつけようとしていた。
この威力は、俺が防御するとマシマが壊れる――
俺は弾かれるように後ろへ吹き飛んだ。
知らない教室の扉を破壊して、教壇を破壊して、壁にぶつかってようやく止まった。
「うおぉ!? ひ、人が吹っ飛んで来たぞ!?」
「だ、誰? や、やばくない?」
「先生!!」
知らない教室は騒然としていた。
教室の先生がハルカ先生の姿を見ると、静かになってしまった。
マシマは肩を抑えながらハルカ先生の横に座り込んでいた。
ハルカ先生は苦痛で歪む顔のマシマを無理やり立たせた。
……いや、普通ならマシマは死んでいたぞ? 苦痛を浮かべただけ? ……馬鹿みたいな防御力だ。
「おいおい、不意打ちのお勉強だよ? マシマ、弱いお前が大会で勝てる方法は卑怯な手を使うしか無いだろ? いいか、勝てばいい。毒でも闇討ちでも何でもしろや」
マシマは苦痛に歪めながらも、ハルカ先生に口答えをした。
「せ、先生、セイヤは関係ない。わ、私だけで……、それが私の責任――」
ハルカ先生はマシマを蹴り飛ばした。
マシマが廊下の壁に埋まってしまった。
「はっ? お前キモいんだよ。責任とかどうでもいいだろ? お前が強かったらお前の親父は私に依頼しねえんだよ。わかる? ったく、自分だけが可哀想ってツラしてんな。マジムカつくぜ。ほら、早く立て――」
マシマの目には力がない。
マシマは……傘をさしてくれただけだ。それ以上何もしていない。
だけど、あのときの俺にとって、それだけで十分だったんだ。
俺の感情が身体と一致する――
心の奥がざわめき立つ。
俺の実力を他の誰かに見られたくないなら――
見えないくらい早く動けばいい。
――――【俊足】
教室に倒れ込んでいた俺が一瞬でハルカ先生の目の前に移動する。
ハルカ先生が動く前に俺は――
「――【首刈】」
マシマの髪を掴んでいる腕を刈取ろうとした。
「はっ――?」
瞬時に髪から手を離すハルカ先生。
マシマの髪の束が宙を舞った。
そこから俺とハルカ先生の激しい素手の攻防が行われた――
ハルカ先生が踏み込むたびに廊下の床が破壊される。
俺が動くたびに風圧で廊下のガラスが破壊される。
凄まじい勢いで高速移動しながら廊下を破壊する俺たち。すでに遠く離れたマシマは自分の手を髪に当てていた。その姿がひどく切なく感じた――
ハルカ先生はそんな中、笑っていた。
「――は、ははっ、マジか? まさかお前が蠱毒の頂点に立ったのか? いや、逃げ出したクズだから違うか」
俺は何も答えない。いや、答えられない。意味がわからない問いであった。
だんだんとハルカ先生の速度が上がってきた。
俺を攻撃しながら自分へと補助魔法をかけ続けている。
さすが魔法師の資格を持っているだけある。
極一部の天才魔法使いだけが持てる最上級の資格。
「やべーな、こんだけ壊したら流石に怒られちまうな。……おい、一瞬で終わらせてやるよ――」
流石に盛大に破壊音をあげているから教室から生徒たちが出てきた。俺達の速さが見えないのか、不思議そうにざわついているだけであった。
「な、何が起こってんだよ!?」
「サトシ先生呼べ! 廊下壊れてんぞ!」
「ま、魔物の仕業?」
「いやいや、やべえ魔力感じるだろ? これって、誰か戦ってんだろ!」
ハルカ先生はいきなり立ち止まった。
そして、空間から――刀と呼ばれる武器を取り出した。奇妙な力を感じる刀。あれは魔剣と言われる類のものだ。
「あれ、ハルカ先生じゃね?」
「あっ! もしかして慈善活動の一種かな?」
「そうだよ。きっと見えない魔物を退治しているんだよ!」
刀を静かに構え目を閉じた。
その瞬間、全ての物音が消えてなくなった――
教室のざわめきも、破壊された廊下もここにはない。
無骨な岩で出来た何もない空間。
俺とハルカ先生が二人だけが存在している。
刀を構えているハルカ先生が目を開けて俺に告げた。
「この場所がなんだか知ってるだろ? もう無理すんなって。記憶あるんだろ? けけ、散々実験した私の想像空間魔法だ。せいぜい数分で崩れるが、お前の殺すのには十分だ」
魔法師の極地である自分の領域で敵を倒す伝説級の結界魔法だ。
……あの場にいた連中が使えたのは知っている。
その威力も身を持って体験した事だからだ。
俺の動きは鈍り、魔力は半減して、常に状態異常に陥る。
術者は魔力と階位の上昇と、全ての補助効果が付与される。
「……なんで記憶があるってわかる」
「はっ? 本気ではないにしろ、私とやりあえる生徒なんて、あそこ出身しかいねえだろ? ていうか、お前、イケメンだから学園長に好かれてたからな」
「それは、困った」
破壊されることがない空間と言われてる想像空間魔法。
「ふん、ここなら誰にも邪魔されねえ。お前も本気出して戦えや。まっ、私の一刀流と魔法を合わせた技で瞬殺だけどな――――っ!? な、なんだその魔力は……、な、なに笑ってやがる!」
俺はおかしくて笑ってしまった。
だってそうだろ?
ハルカ先生は強者と尋常に真剣勝負をしたい。
だが、俺にとってハルカ先生は……、奴隷時代の憎しみの対象だ。
それを忘れているのか? ああ、そうか、いじめている側はわからないんだ。
さっきマシマのしていた横暴なんて優しい方である。
あれ以上の暴力を毎日受けていたんだ。
……暴力だけだったから楽だったけどな。
「これが笑わなくてどうする? これでやっと……」
俺にとって目標の一つが、先生に想像空間魔法を使わせる事であった。
この魔法が使えるのは、あの場にいた大人たちだけであった。
ここでの出来事なら気にせず力を使える、俺の本当の全力を――
俺は全力で魔力を高めた。
魔力の使い方が下手な俺は、今まで、リオを助けるときでさえ、俺の最低魔力量で動いていた。一瞬だけ高める時は針の穴を通す繊細さが必要だ。
魔力を全力で使いたくても、幼い頃のトラウマで身体が動かなくなってしまう。
だが、ここは何か壊す心配がない――
魔力が低くても、スキルを使うことでどうにか乗り切っていた。
俺がいつ本気で魔力を使った?
「ま、まてっ……、ど、どこまで上がるんだ? そ、その強さは一体……、いつから隠していたんだ!? あ、あそこではそんな魔力を感じ――」
――いつから隠していた? そんなの決まってる。いじめられていた子供の頃からに決まってんだろ!!
俺の最大魔力で仲間たちのスキルを行使する――
「――【首刈】【氷帝】」
空間をえぐるような爪がハルカ先生に襲いかかる。
ハルカ先生は刀を犠牲にしてギリギリ躱した。刀はチリ一つ残さず消え去った。
「め、名刀ムラマサブレードが……、くっ!? い、移動出来ないだと!? こ、こんな氷ごとき……」
ハルカ先生の下半身から下が凍りついた。
その氷は炎では溶かせない。俺の魔力が尽きるまで溶けない氷であった。
「――【俊足】」
魔力を帯びた俊足は見える範囲限定の瞬間移動へと変化する。
ハルカ先生の目の前に移動した俺は――
「――【装填】」
奇妙な形の大剣をハルカ先生にゼロ距離で――
「ま、まて、話し合おう! わ、私も学園長のやり方が気に食わなかった。お前の仲間になって情報を――」
「【鑑定】――嘘だ」
空間中の魔力を吸い尽くしながら、俺は自分の全ての魔力を解き放った――
「――ってぇぇぇ!!! ――【砲撃】!!!」
ゼロ距離から放つその威力は、以前のそれを遥かに上回る。王都を壊滅させるには十分な威力である。
ハルカ先生の魔力障壁を簡単に突き破り、悲鳴を聞く暇も無くハルカ先生は消し炭となった。そして、砲撃は破壊不可能といわれている想像空間の領域を突き破り、空間自体が破壊された――
……この空間魔法は擬似的なモノだ。学園長が使う本物とは違う。
「えっ? だ、誰? 知らない人が現れたよ」
「えっと、二年生のワッペンしてるね」
「ちょっとかっこいいね。あれ、ハルカ先生が倒れてるよ」
「あっ、先輩が運んでるから大丈夫そうね!」
空間魔法は術者が解くか、時間が切れるか、死ぬかしないと現世に戻れない。
空間魔法内で術者は死んでも、現世でダメージを受けるだけで死ぬまでには至らない。
と言ってもほとんど瀕死と言っていいだろう。
現に俺が運んでいるハルカ先生は白目を剥きながら虫の息だ。
俺は廊下で呆然と立ち尽くしているマシマを見つけた。
マシマは俺とハルカ先生を見るとどうしていいかわからない表情をしていた。
俺はハルカ先生の頭を掴みながらマシマと向かいあった。
「セイヤ、な、なんで、私、関係なかったのに……」
俺もなんて答えればいいかわからなかった。
だって俺の心はまだまだ成長していない。
だから俺は――、心の赴くまま言葉を放っていた。
「――一瞬だけど、傘さしてくれた。……あの時言えなかったけど、ありがとう」
マシマはその言葉を聞いて、「セイア、セイア……、私が強がっていたから……、もっと弱さを認めていたら……、うぅ……」と泣きじゃくっていた。
冷たく言っても、優しく言っても泣いてしまうマシマ。
人の心って不思議なものだ。
「俺はセイヤだ」
意外と嫌な気持ちにならなかった。
マシマはわんわん泣きながら俺の後を付いてきて教室へと入っていった。
驚くことに、姫が率先してマシマに肩を貸して席へと着席させる。
姫はマシマに何か言いながら背中をさすってあげていた――
他の生徒たちとスミレ先生の悲鳴が聞こえてきた。
「え……、ハ、ハルカ先生が……」
「な、何があったの……」
「頭掴んでひきずってるよ……、やば……」
「な、なあハルカ先生って超強いよな……」
「ああ、王国ランキングベストテンに入ってるぞ」
「セイヤって、何者なんだ……」
「べ、別にセイヤがハルカ先生を倒したわけじゃねえだろ? き、きっと事故でもあったんだよ」
「そ、そうだよな」
俺はハルカ先生をスミレ先生へ投げつけた。
「あとは頼む」
「は、はいぃ!」
俺は震えている生徒たちを無視して、リオに視線を送った。
リオが小走りで近づいてきた。
「――セイヤ君……、心配した。マシマさんを助けたんでしょ? もう、怪我はない?」
「ああ、問題ない。――弁当楽しみだな。だ、誰かと一緒に弁当を食べるのは初めてだ」
リオは笑顔で俺に言った。
「へへ、私も初めて……。で、でも、と、友達だからね!」
「あ、ああ、と、友達だからな」
俺とリオはなんだかおかしくなって笑い合ってしまった――
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