黒板消し


『昨晩の強い魔力反応は何かの事故が考えられますね』

『魔族のテロにしてはギルドを一つ潰しただけで――』

『天候を変えられる魔法の使い手は賢者レベルではないかと――』


 水晶通信にギルドに謎の物体が落ちて火事になり全焼したニュースが流れていた。

 魔導大学の教授や有名冒険者が好き勝手にコメントを並べている。

 幸い死者も無く、一つのギルドが潰れただけで大事には至らなかったらしい。


「ふむ、いまいち加減が出来ない。どうにかして加減を覚えないと学園生活に支障がでるな……」


 俺は水晶通信をポケットの中へとしまう。

 スミレ先生以外に見つかると面倒だ。



 今は学園の朝礼の時間。

 生徒たちは体育館に集められて整列をして、学園長の話を聞いている。

 魔導学園高等部は三年制であり、貴族を中心とした生徒で構成されている。


 しかし、最近では王国の人材が不足しているのか、優秀な平民でも入学する事ができた。

 リオもその一人であった。


 ――あの出来事の後、リオを俺の家に連れて帰り、温かいご飯を三人で食べて、難しい話しは一切しないで、ゆっくりと時間を過ごした。


 魔力を帯びた学園長の声は体育館全域に響く。


『であるからにして――、青春とは大切なものだ。学園にいる間は貴族も平民も分け隔てなく思う存分切磋琢磨して欲しいものだ――」


 小柄な女子生徒と見間違えてもおかしくない学園長。

 過去の戦争を生き抜いたはずだから軽く百歳は超えているはずなのに、少女の姿を保っている。

 言葉には不思議なカリスマと強大な魔力を感じられた。


『ああ、そうだ。昨夜の王都で起きた光の柱の事件だが――、我ではないぞ? ふふ、悪くない威力だが、我が本気を出したら王都は壊滅してしまう。まあどこぞの悪ガキの仕業だろ? ――教頭、後は頼む』


 学園長がいる壇上から遠く離れているはずなのに、一瞬だけ俺と目が合った――

 魔眼の視線を受けた俺は――


「……セイヤ!? 体調悪いのか!? 耳から血がでてるぞ! い、今保健室へ――」


 俺の後ろにいるマシマが慌てふためき、倒れそうになる俺を支える。

 身体に駆け回る気色悪い魔力が俺を苦しめる。

 ……化け物め。


 俺は意地でも倒れるつもりがなかった。

 奴隷仲間とあの場所を逃げる時、学園長とその仲間が襲いかかってきた。

 圧倒的な力の前に、仲間達が倒れ……、俺だけ生き残って……。


 学園長は俺の存在を認識している。


 学園長は俺があの場所の存在の記憶があっても無くてもどうでもいいと思っている。

 油断しているんだ。俺を侮っているんだ。


 あいつは楽しんでいる。俺が仲間を犠牲にして生き残って、記憶を無くしてのうのうを生きているのを見て――、


「……ただの立ちくらみだ。……もう大丈夫だ」


「し、しかし……、い、いや、む、無理強いはしない。……もう関係ないんだからな」


「ああ、教頭の話も終わった。……む、あれは?」


 もう朝礼が終わるかと思ったら、一般職員の先生が戦闘服を着て壇上に上がっていた。


 生徒たちがざわめく。

 先生たちは生徒にとって学園長よりも近しい存在だ。


「おい、あれって学園最強の魔導学園パーティーだろ!」

「スミレ先生ーー! 弱いけど可愛いー」


 五人の先生が少し恥ずかしそうに壇上に立っていた。学園長の趣味で作られた上位ナンバーで構成されたパーティー『ナンバーファイブ』。


 スミレ先生はあの中でも最弱であるが、言い換えれば、学園の中で五番目に強い先生だ。

 そこらのランクS冒険者なら瞬殺だろう。


 こいつらは学園の慈善活動として、高位魔獣の退治や、騎士団へ出向して魔法の指導を行う。だが、俺は知っている。偽善の仮面を被っていたとしてもあの五人は、あの事件に関わっていた。

 パーティーのリーダーである、【ナンバーワンのサトシ】が魔力拡声器マイクを手に取った。


『――そろそろ【全国高等学校魔法対戦】の時期だ。……我が校は昨年、惜しくも超大国に負けて準優勝という残念な結果となった――』


 学園長から食らった魔眼の効力も切れてきて、やっと俺は動けるようになってきた。

 ……魔法対戦? それはなんだ? 俺は知らないぞ。


 俺が不思議そうな顔をしているとマシマが恐る恐る俺に話しかけてきた。


「セイアは……、すまない、セイヤは……いなかったから知らないか……。ま、魔法対戦とは、国同士で代表校が争う競技だ。五年前から開催されている国同士の友好を深める競技である……、、名目上はな」


「そうか、俺には関係なさそうだ」


 俺が関係ないという言葉を使うと、マシマは苦しそうな顔をしていた。

 それでも、マシマは喋り続ける。


「わ、わたしはこの学園の代表選手候補の一人として選抜された。……正直荷が重いが、親の期待を応えるために――」


 マシマはそれだけ言って黙ってしまった。

 気まずい雰囲気が流れる。……な、なんだこの空気は? 俺が何か悪いことを言ったのか?

 勝手に話して、勝手に重くなって、勝手に沈んでいるマシマ。

 そ、そうか、これが理由でマシマはぼっちなのか。


 ――マシマは全然楽しそうに喋らない――空気が重たい女なんだ。



 程なくして朝礼は終わった。

 長々と喋っていたが、要は今年は必ず勝てという話しだ。

 ……なんだか疲れた。




 ***************




 朝礼の後、俺はリオと一緒に教室へと向かった。

 リオは俺の家に住むことになった。

 女の子のピピンが一緒に住んでいるのも良かったのだろう。


「ほ、本当にあんな広い部屋使っていいの……。ベッドがふかふか過ぎて眠れなかった」


「か、構わん、部屋は一杯ある、それにご飯はみんなで食べたほうが美味しい」


 ピピンは家にいる時は猫魔獣モードになる時が多い。本人曰く楽らしい。

 リオはびっくりしていたが、じゃれてくるピピンが可愛いのか、昨日はずっと一緒に遊んでいた。


「――あ、あの」

「な、なあ――」


 俺とリオは未だに距離感を掴みかねている。お互いそこまで話したことがない。

 と言うよりも、俺たちが人と話すのが苦手なだけかも知れない。


「い、いいよ、セイヤ君からで――」

「あ、ああ、昨日の炎の竜についてだが……」


 その話をするとリオが考え込んでしまった。


「そうだね。それについては家で今夜ゆっくり話す。今はあれが私の最大魔力だと思っていい。……学園で目立つと……更にいじめられると思ったから」


「そうか……、俺も同じ経験がある。お、俺の時はファイアーボールが――」


 俺は小等部の時の出来事をリオに語った。

 つっかえながら喋る俺の声は聞き取りづらいかも知れない。少し早口で喋っているかも知れない。

 それでもリオは真剣に聞いてくれた。


「――そう。本当にセイヤ君も私と一緒だったんだ。……私の時よりもひどいと思う」


「だ、大丈夫だ。い、今はピピンも……リオもいるんだ。あ、そ、そうだ。リオは俺に何を聞きたかったんだ?」


 リオは笑顔で俺に言った――


「ふふ、セイヤ君を見てたら忘れちゃった。――家でゆっくり話そう!」


 俺も釣られて笑顔で答えた。


「ああ、よろしく頼む」

「ぷ、よろしく頼むって、おじさん臭い」


 ゆっくり歩いていた俺たちは自分達の教室のドアを開けた――






 教室の空気がおかしかった。

 クラスメイト達が黒板を見てクスクスと笑っている。

 良い笑い方じゃない。嘲笑の類の笑い方だ。


 教室にはほぼ全員の生徒がすでに戻っていた。

 昨日のギルドの事故で、リオに意地悪をしていた女子生徒は休んでいた。

 何やら実家が大変な事になっているらしい。


「ねえ、セイヤ君……」


 リオの視線は黒板を向いていた。

 そこには呆然と黒板を見つめているマシマが力なく立っていた。


『金で選抜候補になってんじゃねーよ』


 黒板には悪意のある言葉がデカデカと書かれてあった。

 なんだこれは? まるで小等部の落書きじゃないか? 

 だが……、これは本人しかわからないと思うが……、子供みたいな悪口でも人の心は傷つくものだ。


 俺は教室を見渡した。

 姫は苦い顔をしているだけで動こうとしない。

 メルティが俺に近づいてきた。


「あ、セイヤじゃん! 朝話せなかったけど、おはよ! リオさんもおはっ! とりま水晶アドレス教えてよ!」


 そういいながらメルティは水晶通信を取り出して、俺だけに聞こえる声で呟いた。

「……メッセージで教えるじゃん」


 周りの生徒はメルティを冷やかしていた。生徒たちの視線が、昨日までの俺とリオに対する雰囲気があまりにも違い過ぎた。


 俺はメルティに頷いて水晶通信を取り出した。

 メルティはアドレスを交換するとすぐに俺の元から離れる。


 マシマは身体を震わせていた。

 悔しそうな顔で黒板消しを取って、落書きを消そうと背を向けた――その時、


「――おい、委員長消すんじゃねえよ」

「どうせ本当の事だろ?」

「はぁ……、あんたに教えてもらった勉強、全部違ってたよ」

「頭悪いのにでしゃばるなよ」

「あんた、くそ重いのよ――」


 全ての生徒ではないが、一部のチャラチャラしたグループを中心にマシマを糾弾し始めた。


 マシマは驚愕の表情を浮かべて――、後ろを振り返る。


 生徒たちは罵声をやめて、無言になってマシマを見つめる。

 マシマはその視線の圧にどうしていいかわからなくなって、目には涙を溜めながら嗚咽をこらえて立ち尽くしていた。

 そうだ、言葉の暴力は心を殺すんだ。魔眼でもない視線が心を傷つけるんだ。

 言っている本人たちに自覚はない。

 言われた本人の苦しみを理解できない。


 その時、俺の水晶通信がプルプルと震えた。

 水晶通信を操作して、メルティからのメッセージを確認する。


『超簡単に言うよ。いじめのターゲットがセイヤとリオから外れて、委員長が新しいターゲットになったの。理由はあんたが怖いっていうのもあるし、リオの魔力が強いって判明したのもあるし、あとは委員長に対する不満と嫉妬かな、選抜目指していた子もいたし。とりあえず、大会が終われば落ち着くと思うから様子を見た方がいいよ』


 リオはそのメッセージを見て……悲しそうな顔をしていた。

 そして自分が受けた仕打ちを思い出したのか、暗くなってしまった。


 俺はただただ驚いていた。

 奴隷時代、俺は死ぬほど苦しい目にあった。だが、それは肉体的な苦しみである。

 仲間が俺を支えてくれた。奴隷だけれども自由な時間を与えられていた。


 だが、この地獄はなんだ? 一体何が学生たちをここまで鬼畜な所業をさせるんだ?

 一部の生徒たちの顔を見ていればわかる。

 ……自分が楽しんでいるだけなんだ――


 子供みたいに泣きそうなマシマを見て、俺は自分の姿と重ね合わしてしまった。


 俺は何も言わずにマシマが持っていた黒板消しを奪い取った。


「――あっ……」


 そして、落書きを淡々と消す。嫌な感情が心を支配する。


「消すんじゃねーよ! でしゃばるな、記憶喪失のイカれた男が――」


 気配でわかった、誰かが俺に消しゴムを飛ばしてきた。

 俺は振り向きざま、黒板消しで消しゴムを弾き返した。


「――げふっ!? ……あが、う、腕が……」

「ちょ、ヤバいって消しゴムが肩に埋まってるじゃん!?」

「ほ、保健委員!!」





 呆然と俺を見るマシマの元へ足を向けようとした時、スミレ先生が教室へ入ってきた。

 スミレ先生の後ろには――魔法剣士である【ナンバーフォーのハルカ】がいた。


「み、みんなー、席に着いてね……、ひぃ!? な、何この騒ぎは……?」


 先生は生徒たちと俺を見て交互にみて、恐怖の表情に陥っていた。

 大方俺が暴れていると思ったんだろう。

 ……あながち間違っていない。


 スミレ先生の後ろにいたハルカ先生が音もなくマシマの近くまで移動をした。

 鍛え抜かれた筋肉で放たれる一刀流剣術の使い手であり、高位魔法師の資格を持っている。

 補助系のスミレ先生と違って戦闘に特化した存在である。


 マシマの顔が更に青ざめて、真っ白になってしまった。


「せ、先生……こ、これは……」


「はっ、朝練逃げるとは良い度胸じゃねえか。てめえは親父のコネで選抜になったんだろ? なら、死ぬ気で鍛錬しろや。スミレ、こいつは今日から対抗戦が終わるまで授業に来ない。よろしくな」


 ハルカ先生はマシマの髪を掴んで――、教室から出ていこうとした――



「女性の髪を掴むな――」



 俺はとっさにハルカ先生の手を掴んでしまった。

 なんで俺がそんな事をしたかわからない。

 マシマと俺はもう関係ないはずであった。なら、なんで黒板の落書きを消した?


 俺はマシマから冷たい目で――、でも、マシマは俺に傘を――

 冷たい目で見られていたが、マシマが暴力を振るうことがなかった。


 ……もしかしてマシマは、俺が助けてくれって言うのを待っていたのか?

 俺を助けたかったのか?

 今ではそれもわからない。だけど、俺が助けを乞うたら結末は違っていたのか?


 ハルカ先生は俺を見て――口を大きく開けてにやりと笑った。


「――はっ、記憶ないんだろ、スミレのお墨付きだ。……その手を離しやがれよ――」


 ハルカ先生が俺の腹に拳を突き刺す――


 俺の高速思考よりも更に早い拳が腹にあたり、背中へ突き抜けるような衝撃をまともに受け、俺はその場に膝をついた。


「セイヤっ!!」


 リオが俺に近づこうとするが、手で制止する。

 巻き込みたくない。


「ハルカ先生! せ、生徒に暴力は駄目ですって! ほ、ほら、早くマシマさんを連れてって、お、お願い……、あんたじゃ……ギリギリ……無理だから」


「スミレ? お前何いってんだ? ……いいじゃねえか、どうせ、こいつら実験体は壊れねえし。ふん、まあいい。それじゃあ後で職員室でな――」


 ハルカ先生の絶対的強者の雰囲気に飲まれた教室は静かであった。

 スミレ先生だけがオロオロと俺を見ていた。


「あ、ああ、や、ヤバいって、絶対、やばいって……、セ、セイヤ君、回復したら席に着いてね」


 俺は深呼吸をしてすくっと立ち上がった。


「え、な、なんで今のですぐに立てるの……? ハルカ先生は素手で魔獣を倒せる攻撃力なのに……」


 先生は俺の表情を見て、絶望が浮かべていた。

 生徒たちは寒いのか身体を震わせている。


「先生、トイレ行ってきます、色々頼みます。――リオ、すぐ帰ってくるから安心してくれ」


 リオは心配そうな顔で俺に言った。


「う、うん。きょ、今日、一緒にお弁当食べようね」


「ああ――、楽しみだ」


 俺はリオに笑顔で答えて教室を出た――



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