第26話
私とシュルツは隣に座り、机をはさんだ向かい側にはオリアス侯爵が腰掛ける。…この人、「次期皇帝の妃となる女の顔を早く見せろ!」と言って、事前に予告もなく勝手に私たちのところまで乗り込んできた。そして部屋の中に通されると、私の顔を見るなりこう言った。
「…こちらの方が、次期皇帝アース様の妃となられる女性、ねぇ…」
侯爵は気持ちの悪い不敵な笑みを浮かべながら、私の姿をなめ回すように見る。シュルツの話によると、オリアス侯爵は地方貴族ではなく、栄えある中央貴族に位置する人なのだという。それ故にシュルツの正体も知っており、おそらく私たちの関係を怪しんで乗り込んで来たんだろうという事だった。
「私は彼女を心から愛していますし、彼女もまたそれにこたえてくれています。妃となるための大変な仕事も、しっかり取り組んでくれています。彼女を私の妃とすることに、なんら問題はない事と思いますが」
私の隣に座るシュルツが、冷静にそう言葉を返す。私が震える右手でシュルツの左手を握ると、彼は優しく握り返してくれた。そのぬくもりのおかげか、手の震えが少しずつ、収まっていくのを感じる。
「けっ。愛などだけで帝国は機能しませんよ?大体どこの者とも知らぬ貴族令嬢を妃とするなど、これまで聞いたことがありません。特別顔が美人なわけでもなく、美しい容姿をしているわけでもない…この女はっきり言って」
「おっと。それ以上の発言は、侯爵様とて聞き流すことはできませんよ?」
伯爵の言葉を遮り、シュルツが彼を制止する。…口ぶりこそ冷静なものの、まるで二人の間を見えない攻撃が行きかっているかのような雰囲気だ。
…やっぱり、私なんかが皇帝の妃になるだなんて、無理だったんじゃ…と、顔を俯かせていた時、侯爵は再び言葉を発した。
「はぁ…これでは臣下の者たちも悲しみましょう。自分たちが帝国のために懸命に働いているというのに、その帝国の皇太子はどことも知らぬ下品なこんな女に…。あなたは本当に臣下の者たちの声をきちんと聴いているのですか?きちんと皆の事を理解しているのですか?本当にこのままで良いのですか?」
…笑みを浮かべながらそう言葉を発する侯爵は、もはや私たちを煽っている。いや、挑発しているともいうべきか。…きっとこの人は、貴族会で私たちの婚約を後押しする代わりに、何か見返りをよこせ、という腹積もりなのだろう…
「…なるほど、お考えはよく分かりました。ではひとつ、私から提案をさせていただきたい」
「ほぅ、さすが次期皇帝。話の分かるお方で助かるよ」
「シュ、シュルツっ!」
彼は私なんかのために、侯爵の口車に乗るつもりなんじゃ…本能的にそう思った私は、咄嗟にシュルツに小声で告げた。
「き、気持ちはすごくうれしいけど、これ以上話を進めたら侯爵の言いなりに…きっと侯爵には、あなたを蹴落とすだけの手立てがなにかあるんじゃないのかな…だからこんなにも高圧的な態度がとれるんじゃ…もしそうなら、次期皇帝のあなたの立場も…私はどうなっても大丈夫だから、せめてシュルツは…」
私の心からの言葉を聞いた彼は、一瞬目を閉じ、ゆっくり開いた。私の大好きな彼の笑顔とともに。
「…言っただろう?僕は君を愛してる。だから、僕を信じてくれって」
シュルツは優しく私の頭をなで、侯爵に向かい、提案の内容を告げた。
「ひとつ、提案をさせていただきたい」
曇りの一つもないようなまなざしで、侯爵に向かうシュルツ。
「言ってみなさるがよい、シュルツ殿」
こちらが自身の口車に乗ったからか、どこか強気に話す侯爵。
「侯爵は食には目がないとお聞きしております。中でも特に、ブレンシア料理がお好きだとお聞きしました」
ブレンシアと言うのは、ものすごく高級なお魚の一種だ。お金持ちであろう中央貴族の侯爵様には、相応しい代物…
「いかにも。各地よりいろいろな高級ブレンシアを取り寄せては、専属料理人に調理をさせておる」
…シュルツは侯爵に高級ブレンシアを賄賂として贈るつもりなんだろうか…?しかし次の瞬間アースが口にした言葉は、私の想像を絶するものだった。
「今からこのソフィアが、ある地から取り寄せもので調理をいたします。それをお召し上がりいただき、それがどの地から取り寄せたものかを、当ててみて頂きたい」
「えっ!?」
「はぁ??なぜ侯爵たる私がそのような事を…」
驚愕の表情を浮かべる私たちに対し、冷静に言葉を続けるシュルツ。
「先ほどおっしゃったではありませんか。きちんと皆の事を理解しているのか?と。民たちから巻き上げた税金で、贅沢にも高級ブレンシアを頬張るあなたは、それらに関してきちんと理解をされているのか。私はそれを確認したいのです。もし正確に当てられたのなら、あなたの言葉には真実味があると、私は考えます」
「…ほぅ、なるほどな。いいだろう、面白い。その提案に乗ってやろうじゃないか。それで、負けたら君らはどうする覚悟だ?」
「あなたのお考え通り、帝国のためと信じ、ソフィアとの関係はここまでとしましょう」
「くふふ。残念だったなぁ、ソフィアさん。どうやらあなたはここまでみたいだ…くふふ」
「…」
私は冷や汗をかいていた。理由は複数ある。まずなにより、私はサマリアの調理なんてやったこともない。ブレンシアに関して舌が肥えているだろう侯爵をだませるような料理方法も思いつかない…そしてもし私が失敗したら、シュルツとのこの幸せな時間も終わってしまうばかりか、彼は下手をすれば立場を追われてしまうかもしれない…ほかならぬ私自身の手で、終わらせてしまうことになる…
「じゃあ、早く作ってくれ。私は忙しくて時間がないんでね」
そっちから押しかけてきておいて、なんと図々しい。思わずむっとした表情の私の方をアースが優しく抱き、そのままその部屋を後にした。
「シュ、シュルツ…私ブレンシア料理なんて…」
消え入るような私のその声を聴いて、シュルツは不思議そうな顔を浮かべる。
「ソフィア、ブレンシア料理をしろだなんて、誰も言っていないよ?」
「へ?」
彼の言葉に、思わず変な声が出てしまう。確かにさっき侯爵と、そんな話をしていたと思うんだけど…
しかしそんな私には構わず、彼は言葉を続ける。
「ソフィア、君にやってもらいたいことがある。難しいのは承知の上だけれど、君のその料理技術なら、実現してくれると僕は確信してる」
シュルツのその真剣なまなざしに、私も深呼吸をして心を整え、その内容を問いかける。
「…うん、私にできることなら…私は、何をしたらいい?」
アースのアイディアは、衝撃的なものであった。
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