第19話

――アース伯爵視点――


――数日前――


 まさか、あの手紙にOKの返事をしてくれる貴族令嬢がこの帝国にいようとは…自分で送ったものではあるものの、正直驚きを隠せなかった。これだけ自身に関する悪い噂を流しているというのに、僕と婚約をしてくれるというそのソフィアという女性は、一体どんな人物なのだろうか…?


「しかしまさか、お前と婚約したいという物好きな女が現れるとはな」


「ぼ、僕だっていまだに信じられない…」


 忠実なる部下であるジルクもまた、僕と同じ考えのようだ。ジルクは僕を支えるため、皇帝府からここまではるばるついてきてくれた。今はこの屋敷に何人かの部下を従えて共に暮らしている。ジルクは口の利き方こそ乱暴なものの、その忠誠心と能力は本物だ。

 元々この生活は、帝国皇帝たる父上とともに話し合ったうえで決めたものだ。皇帝府でなんの壁にぶつかることもなく、ぬくぬくと育つ僕の将来を不安に思った父上は、一旦僕を皇帝府の外に出し、一地方貴族として経験を積ませ、皇帝の名に恥じない立派な男とするためにこのような方法をとり、僕もまたそれに賛同した。おかげで皇帝府にいた時には見えなかった貴族間の癒着や不正、帝国国民との間に起こる摩擦も見えるようになった。

 しかしこうなると困るのが、共に帝国を導く婚約相手だ。地方貴族は中央の貴族ほどではないにしろ、婚約をしたいという相手は無数にいる。その中からふさわしい相手を見つけ出すのは、はっきり言って現実的ではない。父上には人を見る鋭い目があるけれど、一人一人に会ってもらう時間なんてない。

 そこで僕が考えたのが、あえて悪評を流して評判を下げる方法だ。僕の正体など知らない上に、これほどマイナスな評価の男であっても婚約したいという、言ってみれば普通ではない神経と根性の持ち主こそ、ともに帝国の未来を築いていくパートナーとして、ふさわしい素質の持ち主であると考えた。これをジルクに相談した時、あっけにとられたような表情を浮かべながらも、彼もまた良い考えだと言ってくれた。

 しかし結果は当然ともいうべきか、反応は最悪だった。返事が来ないことなどざらにあり、中には攻撃的な言葉をつづったものもあった。この方法で相手を決めるのは厳しいかと、諦めかけていた矢先の出来事だったのだ。


「…ねぇジルク、ソフィアさんってどんな人だと思う?」


 自分が始めておいて何ではあるが、正直胸の内はざわざわしていた。そんな僕の表情を見て、ジルクはジト目で言葉を放った。


「…とても普通ではありえないような出会い方をした女性だ。きっとこれは運命だったのだろう。であれば、誰よりもお前が彼女の事を信じてあげなければいけないのではないか?」


 ジルクのその言葉を聞いて、心がはっとさせられる。…全くその通りじゃないか。僕が彼女を信じなくて何になる。


「まぁとにかく、俺たちは一旦引き上げるよ。しばらくは二人で暮らしてみると良い」


 僕は了解の返事を告げ、早速彼女を迎える準備に入ったのだった。




 想像していたよりも、かなり普通な女性だ。それが初めて彼女を見た時の正直な感想だった。気の強そうな図太い女性が来るに違いないと思っていたけれど、どちらかと言えば気は弱そうで、体も華奢。本当にあの人が手紙の主なのだろうかと、疑問に感じていた。しかし、そんな不安はだんだんと消えていった。

 まずなにより、彼女がここまで馬一頭で来たことだ。向こうの屋敷からはかなりの距離があるため、男であっても体力的にしんどい事だと思う。しかし彼女はあまり疲れている様子もなく、到着時は僕に綺麗な笑顔を見せてくれた。…彼女は屋敷で、一体どんな訓練をしていたのだろうか…?

 そして次に驚かされたのが、彼女の並外れた清掃技術。通常貴族家の掃除などは使用人が行うため、今まで掃除などした事もないだろうと思っていた。貴族令嬢ならなおさらだ。しかし彼女は、皇帝府に仕える清掃専門の使用人すら凌ぐレベルの技術と知識を持っていた。彼女は屋敷で、一体どんな訓練をしていたのだろうか…?

 そして極めつけが、彼女の料理技術。これも清掃と同じく、通常は使用人や料理人が行うため、貴族令嬢であるなら経験などない者がほとんどであろう。しかし彼女はここに来た当日に、ここにあるものだけであれほどの料理を完成させた。あの時つい口が滑って言ってしまったが、あの料理は本当に皇帝府料理人に引けを取らないものであった。

 …あれから数日の時を彼女とともに過ごし、僕はますます彼女の持つ魅力に取りつかれていった。

 そして今日、僕はどうしても気になった事を彼女に聞いてみることにした。


「ねぇソフィア、君は向こうで一体どんな生活をしていたの?」


「…」


 これだけの知識と技術を持っているからには、きっと何か想像もできないような訓練や特訓をしていたに違いない。てっきりそう思った僕は、無神経にもソフィアにそう疑問を投げた。

 彼女は答えずに目を伏せ、どこか暗い表情になる。…なにかよくないことを聞いてしまったか…そう思い話題を変えようとした時、彼女はゆっくりと僕の疑問に答え始めた。

 …思い出すのもつらかっただろうに、彼女は向こうでの生活のすべてを話してくれた。愛なき婚約関係に巻き込まれたことや、一方的な迫害を繰り返されたこと。その凄惨な向こうでの暮らしも、すべてを。

 気づいた時には、僕は彼女の前まで歩み寄り、その手を取っていた。


「…つらいことを思い出させてしまって、本当にごめんね」


 まず最初に、そう口にした。これは僕の心の底から出た言葉だ。彼女は少し笑って首を横に振り、気にすることはないですよと言ってくれる。


「いきさつはどうであっても、君はここまで来てくれた。途中で逃げ出すことだってできただろうに、君はそうはしなかった」


 彼女の手を取ったまま、その澄んだ瞳を見て僕は続ける。


「…今まで、本当に大変だっただろう。よく頑張ったね、ソフィア」


「伯爵…」


 僕は誠心誠意の思いを込め、そのまま彼女に告げた。


「どうか信じてほしい。僕は必ず、君を守ってみせる。君を、幸せにしてみせる。君がここに来てよかったと、ずっと思ってもらえるような男になってみせる」


 ソフィアは瞳に宿った涙を見せないかのように、僕の胸に飛び込んでくる。僕は繊細な宝石を扱うつもりで、彼女の頭に手を置き、やさしくなでる。少しして、落ち着きを取り戻したソフィアの顔を見つめながら、僕は彼女に言った。


「ソフィア、僕も君にすべてを打ち明けるよ。今度は、僕の話を聞いて欲しいんだ」

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