第2話 時は三国時代!呂布の最期の叫び

 雷鳴がとどろき空気が不気味に揺れる。呂布りょふは自らの死期を悟りながら、遠くに響く雷鳴の音に耳を傾けた。徐州じょしゅうの空を覆いつくしたどす黒い雲は、大地を押しつぶさんばかりに低く垂れ込め、雲間を引き裂く稲光りは、とどまるところを知らない。


 西暦198年、自ら兵を率い出陣した曹操そうそうは、ついに宿敵である呂布を追いつめ下邳かひ城を包囲する。呂布は3か月に渡り籠城ろうじょう戦を繰り広げたが、結局は配下に裏切られて降伏を余儀なくされた。


 今、呂布の眼前には、おびただしい数の軍旗がたなびき、ずらりと並ぶ長矛の穂先が寒々しい光を放っている。下邳城の南門にあたる白門楼はくもんろうには、もう何日も前から大軍が陣取っており、呂布の処刑の瞬間を今か今かと待ち構えていた。


 曹操が合図を送ると、呂布は刑吏けいりの手によって処刑台に引きずりだされた。曹操は感慨深く、その様子を見守っている。

 

 「呂布よ、実は貴様をわが配下にしたいと思っていた」


 曹操はひざまずいて呂布に話しかけた。呂布は顔を上げず、ただじっと地面を見つめている。にわかに降り出したぼたん雪が、またたくまに白門楼を白く染めあげ、呂布の甲冑かっちゅうにも雪が降り積もっていく。


 「だがな、貴様の主君になるということは、すなわち自滅を意味するということを、天下の誰もが知っておる」


 曹操は、かつて戦神と称された呂布をさげすむように見おろし「悪く思うな」と言い放つと、冷たい表情でひらりと手を振って命令を下した。


 「斬れ!」


 処刑を命じられた刑吏は、三国第一の戦神呂布の首を斬るという大役に興奮を隠しきれない。刑吏が意気揚々と大太刀を振りあげたその瞬間…


 ドドッ、ドドッ、ドドッ──。


 遠くから馬のひづめの音が聞こえてきた。


 呂布が音のするほうに目を向けると、雷鳴とともに稲妻が降りそそぐ中、赤兎馬せきとばが全速力で駆けてくる。体躯は傷だらけで痛々しく、血が滴り落ちていたが、希代の名馬はそれを気にかけるようすもなく、曹操軍の隊列を切り裂くように呂布へ向かって突き進んできた。


 「赤兎せきと!」


 呂布は、のどの奥から声を絞り出すようにして愛馬の名を呼んだ。


 幾人かの兵士が槍を突き出し、必死で赤兎馬の進路をはばむ。体に槍が刺さると同時に、赤兎馬の口から悲痛な嘶きが漏れた。鮮血が雪原に滴り、赤い模様が広がっていく。それでも馬は進むことを諦めず、力強く呂布に近づこうともがいていた。


 「やめろ!これ以上近づくな…」


 呂布の悲痛の叫びも虚しく、赤兎馬は大勢の兵士に取り囲まれた。兵士たちはニヤニヤした表情で、手に持った槍を掲げている。


 「畜生ごときがあるじを救おうなどと、片腹が痛いわ!!」


 兵士たちは呂布に見えるように槍を大きく掲げると、数本の槍を一斉に赤兎馬の腹に突き刺した。赤兎馬の口から咆哮が上がる。よろめいた赤兎馬は、ドスンという音とともに地面に真横に倒れ、土ぼこりが激しく舞い上がった。絶望のまなざしで呂布を見つめる赤兎馬の目からは、血の涙がこぼれ落ちている。


 呂布は自らの無力を感じ、天を仰ぎ見た。


 (三国第一の戦神とうたわれた俺なのに、赤兎せきとすらも助けることができないなんて……)

 

 一部始終を眺めていた曹操は、冷ややかな笑みを浮かべながら兵士に向かって顎をしゃくった。


 「さっさと殺して埋めてしまえ!」


 すぐさま縄を手に前に進み出た兵士が、ふたりがかりで赤兎馬を縛りあげている。呂布は鬼の形相で曹操を睨みつけた。怒りのあまり全身が震え、身体を拘束している鎖がカチャカチャと音を立てて揺れている。


 「おのれ曹操! 俺の赤兎に何をする! さっさと放せ!」


 呂布は曹操の背中に怒声を浴びせたが、曹操は顔色ひとつ変えることなく、チラリと横目で呂布を見やり、あざ笑った。


 「実に愚かしい。おのれの命も守れぬ男が、救える命などあるものか。もはや貴様の命運はつきた!」


 曹操は、宿敵の呂布に死を宣告したことに興奮の声をあげた。


 「俺が貴様の首を取れば、天下は震えあがるだろうな!」


 「曹操……貴様ぁっ!!地獄に落ちろ!!」


 呂布は怒りのあまり、飛び出さんばかりに目を見開いた。額には何本もの青筋を立ち、身体を縛りつけている鎖は今にも引きちぎれそうにきしんでいる。


 曹操は呂布からサッと視線を逸らすと、刑吏に向けて声を張りあげた。


 「何をぐずぐずしておるのだ! 斬れ!」


 命令された刑吏が大太刀を振りおろす。


 ドカーーーーーン!!


 大太刀が呂布の首に触れようとした、まさにその瞬間だった。突然、耳をつんざくような雷鳴が響きわたり、巨大な網のような稲妻が天空を覆いつくした。太い円柱状の稲妻が呂布の脳天を直撃し、突き刺すような真っ白な閃光が周囲を照らす。強烈な光を前に、人々は思わず両手で目を覆った。


 しばらくして光が落ち着き、曹操軍の兵士と見物に来ていた民衆が目を開くと、処刑台にいるはずの呂布の姿が消えていた。呂布がいたはずだった場所には、大きな穴だけが残されている。信じがたい怪奇現象を目の当たりにした人々は、次々にひざまずき、「お許しください」と、天に向かって祈り始めた。


 その中で、曹操ただひとりが、ぼう然と立ち尽くしていた。


 「消えたぞ! 呂布が消えた!」

 「天の神様の怒りを買ったんだ!」

 「戦神が昇天したぞ!」


 時空の渦が激しく回転し、瞬く間にときは現代へと移り変わる。

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