第39話『覚悟、覚醒』
完全に敵から包囲されている状況。
それは敗北の確定ではなく、もはや無害とも言える。
しかし、ルイヴィスがあまりにも気がかりな事を言い始めるものだから、マーリエットはどう心持ちを維持すれば良いのか困惑していた。
「ねえルイヴィス、動けないって事はマズいんじゃないの……?」
「大丈夫! この結界はほとんど無敵だから!」
「それだったら安心……なのかな」
「でもね――」
抱きついたまま会話しているから、会話の音量は控えめ。
しかしそれよりさらに声量を絞ってルイヴィスは話しを進める。
「あのね、この結界はほとんどの攻撃を通さないし弾いてくれる。でも、結界を維持し続けるには私の体力とか精神力とかが重要なの」
「じゃあ……」
「そう、永久的に攻撃を防げるわけじゃないって事」
「これからどうすれば……」
「私達でなんとかするしかないよ。でも、どうしよう」
ルイヴィスはマーリエットから離れ、座ったまま腕を組んで悩む。マーリエットもまた同じく。
「ごめんね。私は戦えないし、このままギリギリまで耐えるつもりだから絶対に戦力外だ……」
ルイヴィスは目線を落す。
「私、実はほんの少しだけ戦えるようになったんだよ」
「え?」
「信じられないでしょ。あんな毎日を過ごしていた私が、まさかって」
「いや、そこまで言うつもりはないよ。私だって戦えないんだし」
「でも私、人生観が変わっちゃうぐらいの出会いをして変わったの。だけど、肝心な時に剣を持っていながら戦えなくて、こうしてまた誘拐されちゃったんだけど」
「ふぅーん、なるほどねぇ~」
「な、何よその反応」
――やっぱり、そういう事だったんだね。お姉ちゃんが出会ったのはアルクスで、助けてもらった後は一緒に暮らしていたんだ。
ルイヴィスは、ニヤケ顔でマーリエットへ視線を送り続ける。
――『人生観が変わっちゃうぐらいの出会い』、かぁ~。本当に不思議。血の繋がりがあるからなのか、同じ人と出会って、同じ気持ちになっちゃってるんだもんね。
マーリエットはその視線から逃れるように、辺りに使えそうな武器がないか一瞥する。
すると。
「あ、まさか――本当にあるなんて」
「どうかしたの?」
マーリエットは立ち上がり、二歩ほど進んで屈んで自分の剣を拾い上げた。
「この剣ね、私のなの」
「そうなの? いつの間に?」
「その助けてもらった人に、護身用ってプレゼントしてもらったの」
「えぇ~いいなぁー」
――……もう、アルクスったら! 私だけじゃなくてお姉ちゃんにまで同じ文言で武器をプレゼントしてたなんて!
ルイヴィスは表情が変わらないよう自制するも、心の中では嫉妬心が燃えたぎってきてしまう。
「さっきは失敗した。怖くて怖くて仕方がなかった。自分が生きるために、誰かを殺めるなんて絶対に無理だって」
「お姉ちゃんは優しいからね。決断する事は簡単な事じゃないし」
「ありがとう。でもね、その人に助けてもらって、こうしてルイヴィスにも助けてもらって、いろいろとわかったの」
マーリエットは剣を抜刀し、握る手に力を込める。
「護られているばかりじゃダメなんだって。そして、自分のために力を使うんじゃなく、誰かを護るためなら――不思議と何も怖くなくなるんだって」
「お姉ちゃん、本当に変わったんだね」
ルイヴィスは、マーリエットが剣を見据える目に帯びている真剣さが嘘偽りのないものだと悟った。
「私、戦うよ。ルイヴィスが私を護ってくれたように、今度は私がルイヴィスを護ってみせる」
「お姉ちゃん……」
ルイヴィスは、マーリエットの覚悟をしかと受け取る。
マーリエットがいろいろと察していた通り、城や姉弟の派閥からすれば、本当に一人だけ浮いてしまっている存在であった。
自分の地位を過信し、政策に関与せず、ただのうのうと書物を読み漁っては部分部分をかいつまんで解釈していた。武術を学ぶわけでもなく、国民の前に出て発言をするわけでもなく。
そんな彼女が今、決死の覚悟を以って戦おうとしているのだ。
ルイヴィスは、他の人達と同じように思ってはいなかったが、今まで抱いていた考えを完全に改めた。
「ねえルイヴィス、後どれぐらい耐えられそうなの?」
結界は、先ほどからずっと男達の攻撃を弾き続けている。
ともなれば、それに伴って精神・体力が疲弊してしまっているのではないか、とマーリエットは予想していた。
「ごめんねお姉ちゃん。こういう時のために、もっと沢山練習をしておけばよかった……」
「いいのよルイヴィス。後はお姉ちゃんに任せて休んでいてちょうだい」
「……」
ルイヴィスは糸が切れてしまったかのように、地面へ身体が倒れ込んでしまった。
そして、それを合図に白光していた結界は消えてしまう。
「女子供を相手に、男が――十人も寄って集って武器を構えて恥ずかしくないの?」
「……」
マーリエットは少しでも時間を稼ごうと挑発するも、男達は終始無言を貫き通す。
「わかっているわよ、どうせ私を捕まえなきゃならないんでしょ? でも残念。私は最後の最後まで抵抗するわよ」
「……」
「どうせ、第一皇女は何もできないって聞かされてるんでしょ? なめないでよね」
――大丈夫、手も足も目線も震えてはいない。やれる。やれるんだ!
「アールス帝国皇帝アインノエル・ヴァイ・アールスの娘――マーリエット・ヴァイ・アールス第一皇女の名に懸けて戦い抜く!」
アルクスは駆ける。駆け続ける。
その頭にはマーリエットの無事な姿を思い浮かべ――。
――お願いだ。無事でいてくれ……。
もうすぐ夕陽は落ちきってしまう。
普通の人間であれば、馬で移動した人間に追いつくのは不可能。
ましてや、追っている人間がどの方向へ進んだかは正確に把握しているわけではない。
駆けている地面は、草が禿げ上がるぐらいには人などが通っているため、足取りを辿る事もほぼ不可能。
しかしアルクスは駆け続ける。
信頼できるミシッダの情報を辿り――その、普通の人間では出せない速度を出しながら。
アルクスのスキルは、ミシッダが語るほど大それたものではない。
ただ、護る対象となる人間への想いが力を向上させるだけ。
「――っ!?」
アルクスは、衝撃的な光景につい足を止めてしまう。
「はははっ、ミシッダさんってば。これは確かに僕だけがわかる目印かもしれないですね」
道の壁として無数に並んでいる木々。
それらが、綺麗に薙ぎ斬られていたのだ。たった一撃の剣撃で、綺麗にスパッと斬られたかのように。
「でもありがとうございます。後もう少し!」
アルクスは迷いを捨て、矢の如く駆け出した。
「はぁあああああっ!」
「――」
マーリエットは全身に斬り傷が増え、それら患部から出血をしている。
それだけではない。
何度も拳や肘を体へ叩き込まれ、地面へと何度も叩き落されていた。
それでも立ち上がる。何度でも。
「どうせ、あなた達はこう思ってるんでしょ。『どうせ後で回復薬でどうにかなるんだから、ある程度痛めつけたら勝手に降参するだろう』って。でも残念。これぐらいの痛みじゃ、私は音を上げないわよ。もっと痛い思いを何度も経験しているんだから」
顔は腫れ、服は破れ、口で言っている事とは裏腹に痛みで体に力が入らない。
今も、なんとか剣を杖に立っている事ができている。
「私、初めてお姉ちゃんらしい事をしてるの。――大切な妹を護ってみせる。そして、私も助かってみせる!」
「……」
「そこまでだんまりだと、少し寂しいわね」
男達は互いに視線を交わす。
マーリエットが言っていた通り、情報として与えられていたのは『無能な皇女』という事だけ。
そんな存在が、何度も打ちのめされようと立ち上がり、こうして抗い続けている。
対処に困った男達は、この際、生きていれば大丈夫だろう。という最悪な判断を目線で伝え、意思を削ごうと腕などを斬り落とそうと前進し始めた。
――ああ、これはもうダメそうかな。ごめんねルイヴィス、約束を守れそうにない。
男達の雰囲気が変わった事に気が付いたマーリエットは、自身の最後を悟る。
――ごめんなさいお父様、お母様。ごめんなさい。
自身の不甲斐なさを後悔してもしきれず、感情が涙となって溢れ出す。
――最後にアルクスと話をしたかったな。まだ、ちゃんと恩も返せてないのに。こんな私でごめんね。
男達は足を止めない。
「――最後まで……」
歯を食いしばり、眉間に皺を寄せて最後の抵抗を試みる。
先頭の男が剣を振り上げた、その時だった。
「――マーリエット!!!!」
誰もが予想もしていなかったその声に、この場に居る全員の動きが止まる。
男達はその声を知らない。
しかしそのたった一言で、その声の主がアルクスであると悟ったマーリエットは、滲む視界の中――最後の力を振り絞って声を出す。
「――アルクス!!!!」
男達は、声の方へ振り返って剣を向けた。
「あなた達が、マーリエットを……――!? ルイヴィス!? どうして!」
アルクスは全貌を把握しているわけではないが、隙間から見える傷だらけの後ろに見える、どうやってみ見間違えるはずのない白銀の髪が視界に入ってしまったのだ。
「――僕は、あなた方を絶対に許しません」
「……」
アルクスは、腰に携える黒短剣を抜刀。
「もしかしたら、僕は負けてしまうかもしれない。ですが、これだけは覚悟してください。僕がここであなた方に負けてしまっても、僕なんか比べ物にならないぐらい強い人があなた達を倒しに行きます」
「……」
剣が薄く白い光を放ち始める。
夜空に光る、月のように。
「覚悟してください。行きます!」
「……?」
アルクスから一番近い男が、地面に倒れる。
「……」
次も同じく。
「――っ!?」
三人目も。
人間とは思えない速度と力に、男達は一歩、また一歩と後退りしていく。
――あ、ありえない。あれが、アルクスの
圧倒的な力は、次々に男達を無力化していく。
倒れる人間だけではなく、残されている人間も理解が追いつかず、それは目の前の光景を目の当たりにしているマーリエットでさえ同じ事。
右に、左に視界を動かしてなんとか姿を捉えられても、その次の瞬間には別の人間が倒れている。
――これが、ミシッダさんが言っていた圧倒的な力を有している人間だからこそできる事の意味だったんだ……。
「最後の一人になってしまいましたが、最後に何か言い残した事はありますか」
「……」
「そうですか、わかりました」
アルクスはスーッと大きく息を吸い、ほぼ一瞬で怒りが込められた拳を腹へねじ込んだ。
目の前の男が、全身の力が抜けて地面へ崩れ落ちたのを確認し終え、マーリエットへ視線を移動させた。
「マーリエット大丈夫!?」
「え、ええ……なんとか」
頭から倒れるマーリエットを、アルクスは間一髪で体を滑り込ませて抱く。
「これ、飲んで。全回復はできないと思うけど、今よりは全然良いから」
「あ……ありがとう」
アルクスは腰のショートポーチから回復薬が入った小瓶を取り出し、マーリエットの口へ流し込んだ。
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