第33話『覚悟をみせる時』

「これがパイス村……」


 マーリエットは、村に入ってすぐ感動の渦に包まれていた。

 しかし、日頃の経験からミシッダの方へ視線を向けて身構える。


「いや、さすがにおちょくったりはしないさ。というより、多少は同情しているんだ。生まれた場所が場所なだけに、ほとんど国民の生活を見る機会なんてなかっただろうし。それに、普通の生活ってやつを知らないまま生きてきたんだろうからな」

「……ありがとうございます」


 ――私は、本当に世間知らずの人間だったという事ですね。


 マーリエットは、今まで城下町より外へ出た事がない。しかも、その行った事のある場所というのは国民がいつも通りに生活している場所ではなく、衛兵に護られ、整備されて全てが用意されたような場所にしか足を運んだ事がない。

 だから今自分が観ている、誰もが分け隔てなく言葉を交わし、こんなにも生き生きしている人達を観た事がなかったのだ。


 ――私の前で、このように笑うよう人達は今まで誰も居なかった。全てが作られ、全てが用意され……それが当たり前で、それが作られ用意されたものだという事すらわからずに生きてきた。なんて情けない。そんな人間が、何を思って国民のためにって言えるのかしらね。本当に情けない。


「そんな事より、今は存分に楽しむんだな。私の読み通り、追っ手の気配すらないだろ?」

「今の私には、誰の目も警戒してしまいますが」

「そりゃあそうか。だがな、村の人達と話せばすぐにわかるさ」


 詳しい説明もない中、活気溢れる声の方へ足を進めていく。

 すると、それが当たり前かのように声をかけられる。


「おおうミシッダさん、今日は珍しく買い物ですかい」

「珍しいとは何だ。私だって普通に買い物をしにくるだろ」

「そうだったかな? いつもだったら、アルがせっせと走りながら両手一杯に買い物袋を抱えているはずだけど」

「アルはアルで、私は私だ」

「ん、今日は珍しく客人か?」


 串肉店の男店主は、マーリエットへ視線を向ける。


「ああ、ひょんな事から少しの間だけ一緒に住む事になったんだ」

「はえ〜、えらいべっぴんさんだなぁ」

「おいおい、そんな事を言っていて大丈夫か? どこからか途轍もなくヤバそうな気配が漂ってきているだ」

「ひっ⁉︎ こ、怖い事を言わないでくれよ。つい最近にめちゃくちゃ大変な目にあったんだから」

「ほどほどにしておきなよ。奥さんに叱られても知らないから」

「は、ははっ。大丈夫だ。俺だってしっかりと仕事をしているんだから、ちょっとぐらい息抜きをしたいって事で」


 男店主は、冷や汗をダラダラと垂らし始める。まるで、背後から漂ってくる鋭い殺気を感じ取ってしまっているかのように。


「それにしても、最近は目の保養が多くて助かる」

「どういう事だ?」

「いやさ、ここ数日はアルがここら辺では見かけない、それはすっっっごい綺麗なお嬢ちゃんと一緒に歩き回っていてよ。ありゃあ、アルもその子も楽しそうにしていたからな、デートだデート。かぁ〜、あのアルがよぉ〜! 羨ましいったらありゃしねえ」

「ふむ」


 マーリエットは、陽気に話を続ける男店主に対して未だ警戒心はなくなっておらず。そして、チラチラと向けてくる愛でるような目線は、とても気分が良いものとは思えてもいない。


 しかしミシッダはその全てに気がついているものの、男店主の話題に反応する。


「そういえば、アルからそんな話は聞いていたけど詳しい事はわからないな」

「アルも抜け目ないやつだな。一緒に住んでいるミシッダさんに説明してないなんて」

「いや、説明はされている。だが、気になってきたな」

「そうか? なら、今日もその子と一緒に買い物してるから覗いてみるのも良いんじゃないか? その子、お隣にいる子みたいに凄い美人さんでさ――」

「あ、そろそろ私達は撤収させてもらおうか」


 男店主がダラダラに汗をかいている原因が、ミシッダとマーリエットの視界に入ってしまった。


「それじゃあ、また今度。アルに頼んで買いに来てもらうから、その時はよろしく」

「おうよ。じゃあそちらのお嬢さんにサービスでも」

「いいや、それは断っておく。というより、とりあえず今はやめておいた方がいい」

「なんだよさっきから」

「まあ、後は頑張ってくれ」


 ミシッダの助言は、悲しくも男店主には届かなかった。


 二人は立ち去ってすぐ、背後から響いてくる悲鳴と怒声に苦笑いを浮かべる。


「まあなんていうか、ここの村に住んでいる人達っていうのは大体があんな感じだ。身構えるだけ無駄だろ?」

「そうなのかもしれませんが、さすがに動悸が治りませんよ。いくら髪を隠しているからといって、顔を出しているといずれは正体がバレてしまうかもしれません」

「まあでも、それはそれで面白そうではあるけどな」

「私は今、国民の声を聞くのが怖くて仕方がありません」

「ほう?」

「私は、勝手に国民は苦しい生活をしていると思っていました。私達だけ裕福な生活をしていて、皆さんは苦しい思いをしているのではないかと」

「そうでもあり、そうでもないかもな」

「何も知らず、身勝手に行動しようとしていた。笑っちゃいますよね。こんな私は誘拐されて正解だったのかもしれません。あのままでは、取り返しのつかない事をしてしまっていたかもしれません。それに、ただ権力だけがある厄介者でしかない」


 マーリエットは自然と視線が下がり、胸元をギュッと握りしめてやるせない気持ちに苦しむ。


「これも一種の社会勉強だ。予定変更で、ここからは一人で村を歩き回ってみろ」

「え……」

「なんていうか、想定していた以上に世間知らずだったのもあるし、それと同じぐらい頭が硬かったようだ。まあ、それはそれで仕方がない事なのかもしれない。だが、いつか国を背負おうとしている人間が、このままでは困る。いろいろと。だから、考えるより感じてみるんだな」

「私にできるでしょうか」

「そんな事は私が知った事ではない。変わりたいと願うのなら、変わろうと動け」

「……」


 ーー本当に、私なんかが変われるのかな……。


 自らの無能さに、変われる機会が与えられているにも関わらず前向きに気持ちを持ち直せない。

 だが、ミシッダから聞かされたアルクスの話が記憶に蘇る。


 ーーアルクスは、悲惨な事件を乗り越えて強くなりたいと願い、強くなろうと日々鍛錬に勤しんでいる。言葉だけではなく、願いだけでもなく、ただひたすらに真っ直ぐ。そんな彼の隣に立つ資格があるのなら、それは間違いなく同じく考え苦しみながらも真っ直ぐに突き進まなければならない。


「わかりました、やります」

「おう、その意気だ」

「ですが、ミシッダさんはどうされるのですか? さすがに、帰り道は一緒に居てもらわないと怖すぎて無理ですよ」

「ああ、その辺は安心していいぞ。さすがに崖から突き落とすような真似はしないさ」


 ーー一体、どの口が言っているのやら。


「さっきの店主が言っていたろ。アルは今、この村に居る。しかも、隣に可愛い子を連れて」

「まさか」

「そう、そのまさか! しかも、珍しく楽しそうにしていたんだぞ。気になって仕方がないだろ。あのアルが、まさかの一目惚れしたってせんもあるだろうし、まさかのまさか、もう既に恋仲とかだったら面白すぎるだろ?」

「え、いやまさか……」

「なんだ? 気になるのか?」

「いや別に……ですけど、人の色恋事情を覗き見て楽しむなんてあまりにも悪趣味だと思いますよ」

「そうか? でもさ、考えてもみろよ。私とお前、自意識過剰って言われるだろうが、少なくともお互いに美人の部類に入ると思うんだが。それだというのに、アルはそういった素振りを一度たりとも見せた事はあるか?」

「い、いえ」

「そんなアルが、女の子と買い物するのを楽しみにしているんだぞ? 気になって仕方がないだろ」

「まあ」

「帰ったらこっそりと教えるからさ、もう止めてくれるなよ」

「わかりましたよ。でも、邪魔をしたりするのはさすがにダメですからね」

「はいはい」


 マーリエットは、理解できない胸のざわめきを誤魔化すように盛大なため息を溢した。


「じゃあ、帰りは夕陽が見え始めたらって事で」

「え、さすがに長すぎませんか?」

「それぐらいでちょうどいいんだよ。なんせ、この村に住む人達には凄い力が宿ってるんだ」

「え」

「いや、そういう力じゃない。心を閉ざしていたアルの心を開いたのは、私ではない。この村に住む人達なんだ。それだけはハッキリと言える。なんだかお前もあの時のアルに似ているからな。それで今回の作戦がついさっきパッと思い浮かんだんだ」

「……違いますよ。私とアルは」

「そりゃあそうだが、まあ、行ってこい。私もさっさとアルを探し出さないといけないし」

「わかりました」


 心の整理ができていないマーリエットを置き去りに、ミシッダはアルを散策しに駆け出した。

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