第28話『勘の鋭さが際立つアルクスだが、それもまた無自覚』

「ただいま戻りました」


 ルイヴィスは完全に夕陽が落ちきってしまった後、自宅へと辿り着く事ができた。


「おかえりなさいアルクス」


 マーリエットは澄ました声でアルクスを出迎えるも、机に突っ伏しているその姿は実におかしなものだ。

 なんせ、どんな光が当たってもキラキラと輝くその黄金の髪を持つ美少女が、しおしおな顔をして半泣き状態なのだ。

 それに加え、誰がどう聞いても空腹音と判断できる盛大な『ぐぅ~っ』という音が、この面白い光景に拍車をかけている。


「お行儀が悪くてごめんなさい。だけど私、料理は何一つとして作る事ができなくって……」

「遅くなってごめんね。今から晩御飯を作るから、これを食べて待ってて」

「あ、ありがとう」


 アルクスは例の『味付き干し肉』の一部をドサっとマーリエットの前へ置き、両脇の衣類を自分の席に置く。残りの食材の袋を台所へ持っていく。


 人一倍空腹なマーリエットは嗅覚が鋭っており、アルクスに中身を説明されなかったが、その袋に入っている食べ物がなんなのかをすぐに理解してしまった。


 ――こ、これは! アルクスと初めて出会った時に食べさせてもらった味付き干し肉じゃないの!!!!


 その空腹を誘う臭いと、あの飢餓状態で口にした味覚が一気に蘇ってしまい、空腹は加速していく。

 しかしこうも思う。


 ――せっかくアルクスがご飯を作ってくれるというのに、今これを食べたら絶対に止まらなくなってしまう。そうなってしまえば、アルクスが作ってくれるご飯を美味しくお腹一杯に食べる事はできなくなってしまうじゃない。


 誘惑と葛藤が渦巻く。


「やっぱりここは耐えないとダメだよね。我慢我慢」


 歯を噛み締めて覚悟を決めるマーリエットであったが、永遠にも続く甘辛タレの匂いに何度も屈服してしまいそうになる。

 そうこうしていると、今度は台所から漂ってくるお肉や野菜などが炒められていく音と匂いは……もはや現在進行形で拷問を受けている人の気持ちを理解できてしまうほど。


 ――なんということでしょう。料理を自分で作る事ができない私が悪いのだけど、アルクスは無自覚に私を責めてきている。いや、別に食べて良いと言われているのだから、この干し肉を食べて待っていれば良いだけの話なんだけど……アルクス、なんて恐ろしい子なの!?


 完全なる善意が逆効果を生んでいるとも知らず、アルクスは料理作りを行いながらルイヴィスとの楽しかった村での出来事を思い出している。


 ――ああ楽しかったなぁ。ルイヴィスはどんな服を着ても似合っているし、食べている姿も可愛かった。そういえば、同い年の人とああやってお出かけするのは初めてだし、あんなに喋れる事ができたのも初めてだ。


 村にもアルクスと同い年の人間は居る。

 しかし、そもそも住んでいる場所が離れているせいで村で遊んでいられる時間はそう長くない。

 それに村へ来る際はミシッダの用事が大まかだったため、必然的にアルクスの自由時間はほとんどなかった。その結果、アルクスは村の人達からは友好的な関係を築く事に成功しているが、親密な関係になれた人間はそう多くないという事だ。


 ――ルイヴィスは一時的にパイス村で生活しているっぽいけど、いつ頃まで居られるんだろう。……それにしても、あの綺麗な銀の髪にあの服はないだろうに。もっと煌びやかで似合う服なら沢山ありそうだけど。


 アルクスの勘は鋭く、『もしかしたらルイヴィスは高貴な存在なのかもしれない』『もしかしたら訳あってお忍びで辺境の地に訪れているだけかもしれない』、と一語一句そのまま的中させているわけだが、『でもやっぱり高貴な人間が、僕みたいな人間と仲良くするわけがない』『護衛の一人もなしに他国の人間も普通に出入りする村へ来るわけがない』、と落としどころを見つけてしまう。

 何が凄いって、最初の予想も落としどころの予想も全てが良い線をいっているところ。


 ――また明日にでも村に行ったら、ルイヴィスに会えないかな……いや、なんでかわからないけど絶対に会えるような気がする。


 アルクスは、勝手に悪戦苦闘しているマーリエットの事はつゆ知らず、ルイヴィスとの時間を楽しみに思っていた。

 両者それぞれの時間を経て、無事に料理が完成する。


「お待たせ……って大丈夫? 疲れが溜まってるの?」

「い、いえ……気にしないで……さ、さあ、ご飯を食べましょう」


 アルクスが心配そうに尋ねているのは、この少しの間に何があったのかと心配してしまうほどにやつれきっているマーリエットの姿がそこにあったから。


 白煙が上る料理が盛られた皿の数々をテーブルの上へ並び終え、いざ。


「いただきます」

「いただきます!」


 それぞれの挨拶後、食事が始まる。


「ミシッダさんは帰りが遅くなるって言ってた?」

「『夕方にはアルクスが帰ってくるから、一緒にご飯を食べていたくれ。私は夜ぐらいに帰ってくる』と言ってたわよ」

「じゃあ僕が帰ってくるのがちょっと遅くなっちゃったから、頃合い的にはちょうど良かったのかな」

「かも? それにしても、アルクスがこれぐらいの料理を作れるという事は、私の料理がテーブルの上に並ぶのは夢のまた夢ね」

「そんな事はない……と言いたいところだけど、ミシッダさんの例があるから何とも言えないかな。どっちにしても、人には得意不得意があるわけだから、マーリエットができる事を自分なりに頑張ってくれたらそれでいいんだよ」

「ありがとうアルクス……泣きそう。美味しい。泣きそう。美味しい」

「どっちかにしようよ。忙しくて大変だって」


 余程、自分が家事に関わる事で無能さを実感しているのか、マーリエットは感情の起伏が激しい事になってしまっている。

 当然、つい先ほどまでの拷問が効きすぎてしまっていて、しかもアルクスの料理が美味しすぎるというのも相まっているわけなのだが。


「上手にできない日が続くかもしれないけど、ある日突然コツを掴める時があると思うからさ。大変かもしれないけど頑張っていこう」

「そうよね。一度や二度の失敗でめげているようじゃダメよね。まだまだ始まったばかりなんだから。私もこの一家の一人として、ちゃんとやる事をやらなくちゃ」

「根を詰めすぎないようにだけ注意してね」

「ええ、頑張るわっ」


 決意に満ちた目で遠くを見ているマーリエットではあるが、手は食欲に純粋なようで、せっかく格好の良い事を言っていても口に料理を運んでしまっている。


 それを見て、アルクスは「あはは……」と苦笑いをする事しかできなかった。


 しかしその姿を観て、ふとマーリエットへルイヴィスの姿を重ねてしまう。


 ――なんでだろう。華奢な体でこんなによく食べるからか、マーリエットとルイヴィスが重なって見えてしまう。髪の毛の色も『黄金』と『白銀』で全然違うのに。ん……? なんでだろう、どことなく似ているような……? いや、まさかそんな事はあるはずがないか。


『本当にどうしてそこまで勘が良いのか』、両方を知る関係者が耳にしたらそう疑問を持つに違いない。

 ここまでくると、透視能力でもあるのではないかと疑ってしまうほどだ。当然、そんな能力は持っておらず、その片鱗すらも持ち合わせていないのだが。


「あ!」

「ど、どうしたの」

「私、こんなに食べちゃっているけどミシッダさんの分は大丈夫なの?!」

「うん。一応は台所に別皿へ分けてあるから大丈夫だよ」

「よ、よかった」

「もしよかったら僕のも食べる? 予想以上にお腹が膨れていたみたい」


 マーリエットは、想定外のおかわりを前に唾を飲む。


「村に買い物へ行った時にちょっとだけ食べ歩きをって思ってたんだけど、ついね」

「アルクスって見た目によらず、歯止めが効かなかったり?」

「いや、そんな事はないはずなんだけど。買い物の相談に乗ってくれた人と一緒だったからかな」

「ああ、前に言って人ね」

「そうそう、マーリエットにプレゼント。ワンピース型のやつと上下別々のやつを買ってきたよ。ご飯を食べ終わった後だと大変かもだけど、時間を見つけて着替えてみて」

「え! ありがとう!」

「これが、正当な働きには正当な対価をってやつだね。マーリエットが頑張っているからミシッダさんもお金を出して良いって許可してくれたんだよ」

「そ、そうだったのね。本当にありがたい話だわ」


 ――あ、あの鬼教官がそんな事を……私も、少しは考えを改めなくちゃいけなさそうね。


「でもその前に、こちらのお料理もありがたく……いただこう……か……しら……」

「ん? どうかしたの?」


 マーリエットは嬉々として、今にもよだれを垂らしそうになりながらアルクスの皿を受け取ろうと手を伸ばしていた手が止まってしまう。

 その勢いの減速に疑問を浮かばないはずはなく。


「ね、ねえ。そのお料理はアルクスも食べたのよね……」

「うん、そうだよ?」

「あ……え……」


 生まれてからずっと、お城で暮らしていたお姫様のマーリエット。そんな彼女が、誰かが口をした料理を食べるなど、たったの一度たりともありはしない。

 かなりの幼少期に、両親が口にした食べ物を横取りするぐらいのやんちゃな時ならともかく、完全に物心がついた時以降ではありはしない。ましてや、親族以外の異性ともなればもはや想像した事すらもなかった。


 そう、今のマーリエットは羞恥心と食欲の狭間に立たされている。


 ――男性の、しししししかも、アルクスが口をつけた食べ物を私がたたたた食べようとしているるるるる。えええええ、私、このままか、か! かか間接キキキキキキッスをしてしまうという事なの!?!?!?!?!?


 それはもう、色恋すら知らぬ少女なのだから動揺を隠せないのも仕方があるまい。


 ――でも、こんなに美味しいお料理をおかわりできる機会を逃すのは、あまりにももったいない。いやでも、でもいや、いやでも! あぁああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!


 マーリエットは気が付けば、アルクスへ目線を合わせられずに顔を下げていた。


「……あ、ごめん。僕が少しでも口をつけたやつを食べるなんて嫌だったよね。配慮ができてなくて本当にごめん」

「え……あ……」


 ――ああもう! 私は恩人に、なんで気を遣わせてしまっているの! もう、迷っちゃダメ!


「いえ! まだ食べられるか、私のお腹と相談していただけなの! ありがたくいただくわ!」


 もはや焦点が合っていないマーリエットは、勢いよくアルクスの皿を受け取り、皿を立てて料理を口の中へカッカッと運び入れる。


「す、凄い食欲だ」


 がむしゃらになっているマーリエットの心境などこれっぽっちも知らないアルクスは、目の前で起きている光景に対して純粋な感情を述べる。


「ご、ごちそうさまでした!」

「お粗末様でした」


 半ば涙目となっているマーリエット。


「こ、こんなに美味しいお料理を食べられるなんて、私は本当に幸せだわぁ~」


 それだけではなく、目をぐるぐるに回しながら思考までも混乱してしまっている。


「じゃあお皿洗いとかは僕がやるから、部屋で休むか、お風呂にでも行ってきてもいいよ。そこで休んでいてもいいし」

「そ、そうさせもらうわぁ~」


 アルクスが皿を台所へ運びに行った後、マーリエットは頭のてっぺんまで感じる熱を悟られないように再び机へ突っ伏すのであった。

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