説得 3
「この作品は面白い。…………………………アマチュアのレベルとしてはな」
私は絶句した。なんだって?
「それは、どういう意味ですか?」
「言ったとおりの意味だ。この作品はプロのレベルに差しかかっていないと、言ったまでだ」
私は言葉が継げなかった。お父さんが言っていることに今まで間違いがなかったから、その言葉も間違いがないんだろうなと勝手に解釈してしまった。
「………………そうですね」
小島くんはあっさり認めた。認めてしまった。
……そっか、そうだよね。
いくら面白くても、プロのレベルに達してなければダメなんだ。
「だが」
とお父さんは続けた。
「面白かったことはたしかだ。正直、私の想像のレベルを超えていた。それは間違いない。
だが、私はあかねが小説家を目指すと言うことを認めるわけにはいかない。
正直、もう少しレベルが高ければ認めてやってもよかったのだが……」
「なんで……」小島くんが言った。「なんでそこまで厳しくするんですか?」
「当然だろう。それが親というものだ」
「でも、あかねさんの情熱は伝わったはずです」
「情熱? 何だそれは? 私がそんなもので納得するとでも思ったか?」
やっぱりダメだった。私の胸の中に、そんな感情が渦巻いた。
厳しいお父さんのことだ。厳しいことは言うんだろうな、とは思っていた。
けど、まさかここまで厳しく言われるなんて思いもしなかった。
「どうしても、だめ?」
私は縋るように言った。私がどれだけ甘い声を出したところで、このお父さんを説得できないことはわかっている。
「ダメだ。あかね、用は済んだ。もう帰ろうか」
「待って! も、もうちょっと待って!」
「なんだというのだね、あかね。今日のお前はおかしいぞ」
「おかしくしたのはお父さんのせいだもん!」
「な――」
お父さんは意外にも、私の言葉にぐらついたようだった。いつもは厳しいお父さんが、まさかこんな言葉でぐらつくなんて。
「失礼。娘にここまで大声を出されるのになれていなかったもので」
「お父さん、せめてもうちょっとだけ話を聞いて」
「そうか。話を聞くだけで済むのだな。私もヒマではないのだが……」
お父さんは上げかけた腰をまた椅子に戻した。どうやら、話は聞いてくれるらしい。
「だが何度言われようと反対だ。たしかに小説一作品仕上げたことは賞賛に値する。だが、だからといって、私はこの作品を認めるわけではない」
「お父さん……」
私はうつむいてしまった。もうお父さんには、私の言葉なんか届かないのだろうか。
思えば、そんな予感はしてた。
お父さんは昔からそうだった。私がやろうとすることにケチをつける。
ケド、ケチをつけられたことは、全部私がやらなくてよかったなと思えることだった。
つまり、お父さんがしてきた選択は正しいのだ。
それに、私はあまり器用な方じゃない。
だとしたらお父さんの敷いたレールに従っていた方が、幸せなのかも知れない。
そんな考えが頭をよぎったとき、私の瞳から、ぽた、ぽた、と落ちてくるものがあった。
あれ、おかしいな……
泣かないって、決めたはずなのにな……
「………………………………ぅ」
私の涙は、堰を切ったように流れてきた。
そうだ、たとえ数日間とは言え、私がしてきた努力がむだになってしまったのだ。
悔しかった。
自分の実力で、お父さんを説得できなかったことが。
どうしようもなく悔しかったんだ。
もう、諦めるしかないのかな……
そのとき、ぱん、と机が叩かれる音がした。私は思わずビックリして顔を上げると、小島くんが机の上に手を載っけていた。
「……なんのつもりかね?」
「何のつもり、じゃない。作品であなたを説得できないことは充分にわかった。だから説得する方法を変えようってだけだ」
「ほう? なにをしてくれるというのかね?」
小島くんは啖呵を切っておきながら、他にいい考えもない、といった顔をした。
正直、彼も困惑しているのだろう。
作品がここまで呆気なくスルーされるとは思ってもみなかったのだろう。それは私も一緒だ。
「あかねさんは、初めて小説を見せてくれたときから、遥かに成長しています。実際、一ヶ月も経たずに急成長を遂げています」
「……それで?」
「あかねさんの才能は著しいです」
「…………はぁ、なにを言うか馬鹿馬鹿しい。だいたいデビューできたところで、成功するとは限らない。たとえば専業作家ではなく、兼業作家でやっていくにしても、あかねにそこまでの器用さがあるとは思えない」
…………………………言われてしまった。
ケド、私は唇を噛むことしかできない。
二足のわらじを踏むなんて、私にそんな器用な真似は多分できないと思う。
お父さんはそれを見越して、私に小説家を目指すことをやめるように言っているんだ。
ずるい、とは思わなかった。
単にこれは、私の能力不足の問題なのだから。
「あかねさんの熱意は、正直半端じゃないです」
「熱意だけで人生乗り切れるなら、誰も苦労はしない。違うかね?」
「いえ。まったくその通りだと思います」
小島くんはいったん区切るように深呼吸した。その間に、次になにを言おうか考えているのだろう。
すごい、と思った。お父さんについて行く小島くんがだ。
お父さんはいつも議論になると、自分のペースに相手を引っ張り込む。そして相手を翻弄する。
それなのに、小島くんは冷静だった。
私にはできない、と思った。
私なら焦って、あらぬ事を言ってしまう。
やっぱ、小島くんはすごい。
「熱意だけで認めろって言ってるわけじゃありません。ですが、せめて才能に賭けてもいいんじゃありませんか? 彼女はまだ高校生だ」
「高校生だから? それこそ馬鹿げている。もう二年生だ。進路を決定し、文理選択も終わらせないといけない。将来からの逆算を終わらせてないといけない時期だ」
「そうかもしれません。ですが、小説を書く、ということは将来からの逆算にはならないのでしょうか?」
「……なにが言いたい?」
「たとえデビューできなくても、小説を書くと言うことは能力の向上に繋がります。文章力はつきますし、決してむだにはなりません」
お父さんの目の色が変わった。
お父さんは正論に弱い。だからこそ正論を使って攻め立てる。
すごい……。小島くん、本当にすごい。
あのお父さんを押してる……。
「デビューできなかったらどうするんだ? 夢を追いかけて、そこですんなり諦めが聞くのかね?」
お父さんは小島くんではなく、私の方を見ていった。
「そ、それは……」
「できないだろう。私は娘のことはよく知っているつもりだ。諦めが悪いところもすべてな。だからこそ、ふつうに就職して、ふつうの幸せを掴んで欲しいと思っているのだ。
第一、夢が叶わなかったとして、その責任を君は取れるのかね? 小島洋太」
小島くんは舌なめずりをした。
「期限付きでなら、できます」
「どういう意味だ?」
「つまり高校卒業まで……とか、期限があれば、その期間の責任は僕が持てます」
「……………………なるほどな」
お父さんはアゴに指を当てて、考えた。
悪くない意見だと、お父さんも思ったのだろう。
私もその意見には賛成だ。ある程度期間が決まっていれば、私もその目的に向かって努力しやすい。
「だがな、私はやはり、時間をむだにして欲しくない、と思うのだよ。
こう見えても古くさい人間なのでな。
特に成績が下がったことは戴けないのだよ」
そこか。私は思った。やはり、ついてくるのはそこなのか、と。
小島くんも下唇を噛んで黙考しているようだった。
どうしよう。私は小島くんに先ほどから助けられてばかりだ。
自分からなにか仕掛けるべきか?
いや、不器用な私のことだ。きっと空回りするに決まってる。
だったら、小島くんに任せた方がいい。
「学生にとって、一番やるべきとの学業がおろそかになった。これは大問題ではないかね?」
私はさらに重たい気分になった。
あぁ……………………お父さんを説得することは、もうむりなのかな。
私はそんなことを思い始めていた。
学力が下がったのは、完全に私の責任だ。
私が勉強を怠って、小説を書いていたことがいけなかったのだ。
私は重たい気分で、小島くんの顔を見た。
そして私は目を見張った。
……小島くん?
なんでそんな自信ありげな顔なの?
小島くんは私の方を見て、「まかせろ」と言った。いや、実際には言ってないのかも知れないけど、私にはそう聞こえたのだ。
小島くんは切り裂くように、言った。
「――なぜ、あかねさんが小説を書き始めたのか知っていますか?」
「決まっているだろう。それは、小説家になりたかったからではないのか?」
「いえ、違います。あかねさんはクラスメイトの読んでもらうために、小説を書き始めたんです」
「本当かね、あかね?」
「う、うん……」
と私はうなずいた。ケド、それとこれと、どう話が繋がってくるのだろうか。
学生にとって一番の勉強をおろそかにしたことと、私がクラスメイトのために小説を書き始めたというその事実が。
「あかねさんは、小説のためだけに小説を書く時間を割いたわけじゃない。
あかねさんは、友達を作るために、小説を書き始めたんです。
自分がこんな人間だって、アピールするために。
それは不器用な彼女なりの、一種のコミュニケーションじゃありませんか?」
お父さんはまた、アゴに指を当てた。このサインは、お父さんを納得させられている証拠に近い。
「……つまり、それは、時間を割くべきことだったと言いたいわけか?」
「学校生活で大事なことは、勉強以外にもたくさんあります。友達を作ったり、あるいは恋人を作ったり。むしろそっちの方が大事だという人もたくさんいます。
そしてなにより、僕という人間は、小説を通じてあかねさんと仲良くなれた。
それはきっと、あかねさんにとっても、僕にとっても、かけがえのない大切なことだと思います」
……………………あぁ
私の目から、じんわりと熱いものが流れた。
そんな言い方ずるいじゃんか……。
私はまたうつむいてしまう。ケド今度のうつむきは、マイナスの感情から来るものじゃなかった。
あまりの不意打ちに、戸惑ってしまったのだ。
「今のあかねさんの涙こそ、学業よりも小説を書くことの方が大事、という何よりの証拠になりませんか?
だいたい、勉強の成績が下がったと言っても、ちょっと落ちただけでしょう? それくらいなら、きっとあかねさんなら挽回できると思います」
小島くんは言い切った。
お父さんはなにかを言おうと知って、やめたようだった。
これ以上の議論はむだに話が広がるだけだ、と判断したのだろう。
やがて、お父さんは手を挙げた。
「ダメだ。降参だ。どうやら、キミ達にはかなわない」
私は驚いた。
だってお父さんが、笑っていたのだから。
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