立山の石使い

あかなめ

結城史郎 一

 毎年のことだが、今日の俺はバレンタインデーよりも憂鬱で、誠一おじさんはがっついたユーチューバーのようにハイテンションだ。

「上滝中学校三年生のみなさん、ようこそ立山へ!」

 今年四〇歳のおじさんはまるでミュージカルの主人公のように両手を広げ、くるっと回りながら、周りをとり囲む七〇人の生徒へ歌うようにあいさつした。

 標高一四〇〇メートルの立山・多枝原だしわらの夏空はどこまでも青く、おまけにここは立山カルデラの立入禁止区域なので人がいない。北・東・南の三方を立山連峰にぐるりと囲まれ、これで花でも咲いていたらまさにサウンド・オブ・ミュージック@富山だ。

 ちなみに七〇人の生徒のうち半分は俺の同級生で、もう半分もたいがいはかつての同級生だ。そんな顔見知りのやつら全員が俺を遠巻きに取り囲んで、孤立無縁の俺をニヤニヤしながら見てきやがる。クソが。

「まずは自己紹介を。ぼくは祈祷師の高橋誠一といいます。よろしくネ。そしてぼくの相棒が、みなさんよくご存知の──」

 俺が黙っていると、おじさんがあごで、早く言え、と合図する。

「……結城ゆき史郎です」

 ゆきしろー、声がちいせえぞ、とアホの日合ひあいがヤジが飛ばし、しろたんガンバっちゃ、とボンボン地主の法土ほうどがオネエ声でエールを送る。俺はこの二人といつもつるんでいるのだが、実を言うと俺はお笑い芸人気取りのこの二人が心底大嫌いなのだ。

 そして、俺に友好的なごく少数の女子がこのヤジにクスクスと愛想笑いしてくれる。が、それ以外の女子は無反応──顔面が永久凍土だ。俺の目がいつもキョドっているのはお前らのせいなんだからな。クソ。

 そんな女子らを束ねるボス・高橋久美は腕組みをして、お手並み拝見とばかりに口角を上げ、俺にガンを飛ばしている。久美ちゃんは俺と違って勉強もスポーツも超できる誠一おじさん自慢の一人娘で、俺のいとこだ。小学生までは久美ちゃんも俺と一緒に誠一おじさんの手伝いをしていたのだが、悲しいかな、胸が膨らむのと引き換えに磁場があまり見えなくなってしまった。どんなに成績優秀でも、磁場が見えないことには石使いの仕事はできないのだ。

「みんなは立山っ子だから、立山信仰のことは知っとるよね。立山全体が神様だっていう信仰のことです」

 おじさんがニコニコしながら生徒を見回す。もちろん立山信仰なんかに興味を持つ中学生などひとりもいない。みんなの顔にそう書いてある。

「そう。立山には地獄も極楽も、すべてがあるのです。そして、本当に神様がおられるのです。みなさんが立っている地面、みなさんが吸う空気、みなさんを取り囲む雄大な山々──これらすべてがぼくたちの神様なのです。みなさん、なんだか神様に抱かれているような感じがしませんか? ぼくたちはそんな神様を喜ばせるために日々お祈りを捧げているのです!」

 よく言うよ、ごりごりのクリスチャンのくせに。

「さて、お祈りにはこのでっかくて真っ黒な石を使います。重さは五〇キロもあります。こんなの見たことないでしょ、君」

 そう言っておじさんはアホの日合に指をさす。

「ないでーす」

「なんでこんなに真っ黒なのかというとね、これは純度九九%以上の黒鉛だからなんです。黒鉛といえば鉛筆の芯の原料だね。鉛筆の芯は黒鉛と粘土を混ぜたものですが、これは黒鉛オンリー。スリランカから直輸入した黒鉛の貴重な原石です。触ってみたい人はいるかな?」

 すかさず末上すえがみが手を上げた。末上は工務店の息子だから、こういうのは好きそうだ。

 末上は人差し指を石の上に走らせ、掌を返し、黒光りする指先を見つめる。

「うおっ、4Bだっちゃ」

 そして満足そうな顔でみんなの輪の中に戻った。末上は飾らないいいやつだ。

「じゃあ、なぜ黒鉛を使うのか? それはユキシロ君に説明してもらいましょう」

 ええっ! 俺に振る? 何だよ、そんなの聞いてねえよ。

「……えっとね、神様はさ、そのう……、とにかく熱いのが好きなんだ。だから黒鉛を使う……」

 場が静まり返る。ヤジも飛ばない。言葉の続かない俺は冷たい視線にぐるりと取り囲まれていたので、目のやり場が自分のつま先しかなくなってしまった……。

「えー? おじさん全然わかんねえなァ。あははは」

 そう言っておじさんがまたもや両手を広げてくるっと一回転する。みんなが失笑する。ちくしょう、みんなは俺に失笑しているのだ。

 ……言葉が出ない。もう帰りたい……。

「じゃあ久美、説明しなさい」たまりかねたおじさんが自慢の娘を指名する。

 うつむいた俺には相変わらず自分のつま先しか見えておらず、久美ちゃんの様子は見えなかった。が、久美ちゃんがこんな些細なことで動じたりするわけがない。久美ちゃんは俺の百倍も男前なのだから。

「神様は熱いのが大好きです。熱ければ熱いほどお喜びになります。祈祷師は石を熱して神様を喜ばせるのですが、普通の岩石だと一〇〇〇度前後で溶けてしまいます。ところが黒鉛は四〇〇〇度でもまだ溶けません。それが黒鉛を使う理由です」

 堂々としすぎて、まるで弁論大会だ。

 さっすがー、と女子が小声でささやき合う。

「しつもーん。なんで神様は熱いのが好きなんですか?」久美ちゃんの友達の日俣ひまたさんがよく通る声ですかさず尋ねる。日俣さんは長身でサバサバした女子バレー部の部長で、下級生女子のアイドルだ。俺みたいな陰キャにも嫌な顔せず接してくれるが、俺に日俣さんは眩し過ぎてとてもじゃないが目を合わせられない。

「ゆきしろー、なんで?」久美ちゃんがとつぜん俺に振ってくる。いったい親子してなんなんだよ? ……それとも、名誉挽回のチャンスを与えるからありがたく思え、ってことなのか?

 日俣さんが興味津々にこっちを見る。……つらい。

「……全然うまく言えないんだけど、わかるんだよ、感覚的に」

 みんなが俺をじいっと見ている。俺の頭は真っ白だ。

「んーとね、熱いとさ、バコバコしてんのが、すうっと、整うんちゃ。そんで石もきれいに赤くなる。いつもはアセチレンで三〇〇〇度でやっとるんだけどさ、前、アセチレン切らしたときに焚き火でやったんだけど、焚き火ってさ、一〇〇〇度しかいかないんだよね。そしたらさ、バコバコはあんまり消えなくて、石も赤くなんなくて……」

 周りを見るとみんな引きまくっていた。あの寛大な日俣さんまでも。……もうマジ帰りたい。

「……以上です」

 しかし久美ちゃんだけは、うんうん、わかるわかる、といった表情でうなずいていた。

 おじさんが手を、パンパン、と打ち鳴らす。

「つまり、〈バコバコ〉が〈すうっ〉なんだ。みんなわかったかな?」

 わかんねーよ、と男どもがゲラゲラ笑う。あークソ、クソ、クソ!

「さ、説明はこれくらいにして、実際にみんなにお祈りを見てもらいましょう。みんな、石の周り五メートルの草が丸く刈られているのに気付いていましたか? みんなが来る前にぼくたち二人で刈ったのです。さっきもユキシロ君が言ったように、ぼくたちは石を三〇〇〇度の熱で熱します。とても熱いです。だから石のそばに草があると、熱だけで燃えてしまう危険があります。山火事になったら大変です。だから石の周りの草はすべて刈り取るのです」

 消炎剤、とおじさんが俺にささやく。俺は渾身の力で消炎剤の入った二〇キロの紙袋とひしゃくを持ってくる。

「草を刈ったら、そこに毒々しいピンクの粉を撒きます。消炎剤です。これで絶対に石の周りから火が起きたりはしません。みんな、すこし下がってください」

 俺は粉が舞い上がってこれ以上ひんしゅくを買わないよう、ひしゃくで地面にピンクの粉をそっと、しかしたっぷりと撒く。多くの生徒が、えっ、立山を汚していいの、と言いたげに顔をしかめる。

「大丈夫。この粉はすべて自然に還ります。完全オーガニックです」

 石の周りの地面がまんべんなくピンク色になった。さながらピンクの魔法陣だ。

「そして僕たちが着ているこの祈祷師っぽい白い着物も、燃えにくい特殊な繊維でできています」

 この服はスター・ウォーズのルーク・スカイウォーカーの服のパクリで、おじさんの希望でそういうデザインになった。ちょっとコスプレめいてはいるが、俺はけっこう気に入っている。ちなみにその前の代まではモンペ服だった。おじさんはいい仕事をしたと思う。

 次、アセチレンね、とおじさんが俺にささやく。俺はピンクの魔法陣の外に置いてある、クソ重たいアセチレンガスボンベと酸素ボンベ、そして組み立て式やぐらを柵付きの台車に、ふんっ、と気合いで乗せて、石のそばへ、ゴロ、ゴロ、と後ろから押し進めた。荷物は何十キロもあり、地面は石ころだらけなので、台車を進めるのにもかなりの気合が必要になる。こういうのは普段はムキムキの自衛隊員がやってくれるのだが、今日はヒョロヒョロの俺がやるしかない。

 俺が手間取っていると、手伝うよ、と末上が前へ出てきた。そして台車の前部を少し持ち上げ、進みやすくしてくれる。ホント末上はいいやつだ。ヤジを飛ばすだけの日合や法土とは大違いだ。

「アセチレンガスバーナーで石を五分間加熱します。でも、バーナーを手で持って五分も加熱すると僕が熱さで死んじゃうので、やぐらを作ってそこにバーナーを固定させ、僕は炎から離れて操作します」

 やぐらはテントの骨組みのようなもので、アルミ製のパイプを差し込むだけですぐに完成する。アルミという金属はたったの六六〇度で溶けてしまうのだが、ホイル焼きのアルミホイルが全然熱くならないように、アルミパイプもさほど熱くならないのだ。

 俺と末上は二本のクソ重ボンベを台車から下ろして地面に転がし、やぐらにバーナーをセットする。

「では点火しますね」

 アセチレンガスバーナーを扱うには研修が必要なのでガキの俺にはできない。

 使い方は、まずアセチレンガスを出し、オイルの切れたチャッカマンで着火させる。すると大きなオレンジの炎が出る。つぎに酸素ボンベを開いて酸素の量をうまく調整すると、きれいな青い炎に変わる。手順は理科で使うガスバーナーに似ているが、炎が管の内側に吸い込まれてパンパン小爆発することが間々あるし、そこであせって対応を誤ると最悪死ぬので、俺はできれば関わりたくない。

 そんな危険なバーナーをおじさんはさもなんでもないように、慣れた手つきで操作する。

「それでは石が温まるまでしばらく待ちましょう。その間に立山曼荼羅まんだらをいっしょに勉強するといたしましょう」

 〈立山曼荼羅〉とは、昔の信者が信仰を広めるために描いた立山の日本画だ。おじさんが両手でその曼荼羅の複製画を広げ、あちらに見えまする剱岳つるぎだけはまさにこの世の地獄でございます、などと講談口調で話し始める。

 そのあいだ俺は石の周りの磁場をじいっと見張る。俺が磁場を見ることができるのは石使い関係者以外には秘密なので、みんなには俺が精神的ダメージを回復できないまま放心しているようにしか見えないはずだ。まったく。

 磁場を見るのはけっこう疲れる。スマホ画面の極小文字など、ものすごく近くのものを無理に見続けると目が疲れてしまうが、あの感覚に近い。磁場にフォーカスを合わせると、近くのものも遠くのものもぼやけてしまい、輪郭がなくなる。かわりに磁場が、真珠貝の貝がらの内側の色、螺鈿細工のきらめきの色をした粒子の流れとなって見えてくる。そして石が十分熱せられると、石とその周りだけぽっかりと磁場が見えなくなる。磁場は熱で消失するからだ。

 磁場が見えるのは単純に血筋による。俺の知る限り、親戚の半分は磁場が見える。なぜ半分なのかというと、女の人は成長すると磁場が見えなくなるからだ。おじさんが〈おやじ〉と呼んでいる、石使いの雇い主である防衛省のお偉いさんの説によれは、原始人の男は狩猟から帰る時、地球の磁場を頼りに家路についていたのではないか、そして狩猟に出ない女は磁場を見る能力が退化したのではないか、ということらしい。

 生物全体で考えると、磁場を見る能力はけっして珍しいものではない。渡り鳥はもれなく磁場が見えているし、多くの魚、多くの虫にも見えている。哺乳類でも、犬や熊、オランウータンなんかは磁場が見えている。つまりはありふれた能力なのだ。だから俺の一族はきっと、たんに原始人に近いだけなんだろう、というのが〈おやじ〉の見立てだ。

「おじさん、石が温まりました」と俺は言った。

 おじさんは立山曼荼羅の話を中断し、石に目をやる。講談から解放されたみんなは、やれやれ、といった顔をしている。俺たちショート動画の世代にとって、おっさんによる五分間もの話は耐え難く長いのだ。

「どれどれ。……うん、ホカホカだな」

 そう言っておじさんはバーナーの火を消す。

「さてみなさん、いい感じに石が温まりましたので、これから僕たち二人で神様にお祈りを捧げます」

 『温まりました』と言われても、石は相変わらず黒いままだ。なので生徒の反応は鈍い。なんの変化もない退屈な光景に、誰もが〈早く帰りたい〉という顔をしている。まあ、それも毎年のことだ。

 が、見せ場はここからだ。

「ここから先はスマホで撮影禁止ね」

 時計で〇時の位置がバーナーを据え付けたやぐらだとすると、おじさんは三時の位置、俺は九時の位置に移動する。石のそばの地面はかなり熱い。おじさんと俺は火傷しないギリギリの位置で、石に向かって土下座の姿勢を取る。

 まわりがざわつく。

 ──土下座って、なんかヤバくない?

 ──なんか黒魔術っぽくなってきたぞ

 ──社会科見学でこんなことやっていいの?

 中二病のバカどもよ、これから起こることをよく見ておくがいい。

「それではこれからお祈りを捧げます。知っている人は一緒にご唱和ください。知らない人も手拍子おねがいネ!」


  星が降るあのコール グリセードで

  あの人は来るかしら 花をくわえて

  アルプスの恋唄 心ときめくよ

  懐かしの岳人 やさしの君


  白樺にもたれるは いとし乙女か

  黒百合の花を 胸にいだいて

  アルプスの黒百合 心ときめくよ

  懐かしの岳人 やさし彼の君


 これは登山家なら誰でも知っている〈岳人の歌〉だ。そして土地柄、登山が趣味の親を持つ生徒は多く、曲を知っている生徒も少なくない。そんなこの曲を、おじさんと俺は土下座しながら地面に向かって大声で歌っている。

 ──なんでお祈りがこんな歌なの?

 ──お経とかじゃないの?

 そう戸惑いながらも、何人かはメロディーを口ずさんでくれている。

 歌いながら、俺は地面の下の磁場に意識を集中する。

 磁場がバコバコと拍動している。地熱をスムーズに伝えるルートが地中にないのだ。

 立山の地下は血管が張り巡らされた人体に似ている。地底から絶えず湧き出る高温高圧の蒸気が、血管のようなルートを駆け巡り、立入禁止区域である地獄谷へと抜けている。しかしこの血管が詰まってしまうと、人のいるところで突如有毒な硫黄ガスが噴き出る恐れがある。石使いの本当の目的は、血管の詰まりを石の熱で取り除くことにより突発的なガス噴出を防ぐことにある。このこともまた口外禁止の機密事項なのだが、なぜ秘密なのかは中学校を卒業するまでは教えてもらえない。俺と久美ちゃんはただ、バラしたら殺す、とだけ自衛隊の人に言われている。アーミーナイフを首に押さえつけられながらそう言われたので、たぶん彼らは本当に殺すのだろう。小五のときのころだ。俺はもちろん、あの久美ちゃんですらそのときは大泣きした。

 石の熱を地中の血管に伝えるために、石と血管をつなぐ砂でできた垂直のルートを地中に作る。砂には空気の隙間がほとんどないので、熱をスムーズに伝えることができるのだ。

 砂でできた垂直のルートを作るには、はじめに直径一センチ程度の細いルートをいくつか作り、あとでそれらを一つに束ねて大きなルートにする。

 俺には理屈が全然わからないのだが、広げた手のひらに力を込め、作りたいルートを想像すると、なぜかそのように砂のルートができてしまう。湿気で固まった砂糖を指で潰すと崩れるように、地下の岩石の一部が手のひらから作用するなにかによって崩れることで、岩石同士がつくる隙間が消え、経路が空気で遮断されない熱の通り道ができるのだ。このとき地面が微かに揺れるので、知らない人にはまるで超能力のように見えるようだ。まあ、じっさい超能力なのかもしれないのだが、俺自身は超能力という実感は全然ない。少なくともこんな能力では魔王どころか、ミミズ一匹倒せやしない。

 〈おやじ〉によれば、これもまた原始人に近いがゆえの能力であるそうだ。

 人間は手のひらの感覚神経が異常に多い。加えて、アニメではよく登場人物が手のひらからかめはめ波なんかを出していて、かつ見る側はそれを自然に受け入れている。そして小さい子どもは自分もかめはめ波が打てないか練習したりもする。このように人間は手から何かを出す行為をごく自然なことのように感じるのだ。

 〈おやじ〉の推測では、それは太古の記憶なのだという。かつて人間の手のひらは特殊な器官であり、脳の指令によってなにかを出していたのではないか、というのだ。感覚器が外部の刺激を電気信号に変えて脳に伝えるように、脳の電気信号が感覚神経を伝わり、感覚器がそれを物理的な刺激に変え、手からなにかを発しているのではないか──その〈なにか〉を石使いは〈祈り〉と呼んでいる。

「ユキシロ君、もうちょっと強めに祈ってくれないかな?」

 おじさんはすでにルートを三本作っている。俺はまだ一本だ。同じ数にしないと束ねた時に石が傾いてしまう。そして、傾いた三〇〇〇度の石を元に戻す手段はない。

「すいません」

 しかし俺が怒られても、もうヤジは飛ばない。みんなはざわついている。地面の石ころのかすかな揺れにみんな半信半疑になっているのだ。中二病どもの頭の中では今ごろ妄想が炸裂していることだろう。

 手のひらに力を入れると手から触覚が消える。力を抜くと触覚が戻る。そして俺は手のひらが泥だらけになっているのを感じ取る。手のひらに触れる石ころの表面が少し砕けて粉になり、手の汗と混じって泥になるのだ。いっぽう誠一おじさんの手はそんなふうにはならない。思い描いたルートにだけ手のひらの何かが作用し、手元の石ころには何も作用しないからだ。俺の〈祈り〉にはまだまだ無駄が多いということだ。

 それでもがんばって俺は三本目のルートを作り終えると、おじさんは歌をやめ、立ち上がって両手を広げた。

「さあ、お祈りも大詰めです。僕も頑張りますが、ユキシロ君も頑張ります。みなさんどうか、〈ユキシロ、がんばれ!〉と応援してやってください」

 なんだ? 去年まではこんなのやってないぞ。

 ユキシロ、がんばれ、とおじさんが歌いながら再び土下座の姿勢を取る。

 ユキシロ、がんばれ

 ユキシロ、がんばれ

 おじさんは一人で歌っている。

 おいおいやめてくれよ。みじめになってくるじゃないか。

 みんなは声を出すのをためらっていたが、いたたまれなくなったのか、バカコンビの日合と法土がはじめに声を上げた。

 ──ユキシロ、がんばれ

 ──ユキシロ、がんばれ

「ほら、みんなももっと! みんなと同い年の子が、たった一人晒し者になって赤っ恥をかきながら、それでも頑張っとるんだよ!」

 晒し者にしたのはアンタだろ。なんでこんな日に三郎さんは来ないんだ? クソ。

 ──ユキシロ、がんばれ

 ──ユキシロ、がんばれ

 ──ユキシロ、がんばれ

 ──ユキシロ、がんばれ

 声がだんだん大きくなる。

 地面しか見えない俺には、何人の人が応援してくれているのかわからない。しかし今や、かなりの大勢になったのは音だけでわかる。なんと女子の声も聞こえる。おかげで小っ恥ずかしさも吹き飛んだ。

 ユキシロ、がんばれ、と俺は自分に言い聞かせた。

 六本のルートを一つに束ねる作業は、二人が息を合わせて、まずは表層から、そして順に深層へ、と五十センチ間隔で進めていく。

「せーの」

 ドシン。

「よし、次」

 〈祈り〉によって地中の岩石が砕けて、六本の細いルートは一本の太いルートになる。地中からは隙間が消え、なくなった隙間の分だけ石がドシンと沈む。

 えっ! とみんながどよめく。

「せーの」

 ドシン。

「よし、次」

 石は数センチずつ沈んでいく。

 ──やばいよやばいよ

 ──どうなってんの?

 よしよし、おとなしく騒いでろ。

「せーの」

 グラッ。

「もうちょい。せーの」

 ドシン。

 ターゲットがだんだん深くなっていく。おじさんの〈祈り〉には無駄がなく、俺のは無駄だらけだ。俺の手のひらのなにかは、深い場所ほど拡散して伝わりにくい。俺は次第に苦しくなってきて、石はきれいに垂直に落ちなくなった。

「ユキシロ君、大丈夫だ。二五センチ間隔でいこう」

「はい、すいません」

「じゃあいくよ、せーの」

 そうやって〈せーの〉を二十回くらい繰り返し、けっきょく石は半分くらい地面に沈んだ。

 そして石が赤く輝き始めた。

 血管の詰まりがとれて地中に再び熱が流れ始め、その膨大な熱が石にも伝わる──ルートの完成だ。

 どよめきが起こる。

 どうだ、中二病爆発しろ。

 おじさんと俺はゆっくり立ち上がった。

「石が赤く輝くのは、神様がお喜びになった徴です。これでお祈りはおしまいです。みなさん、長いことお付き合いありがとうございました」

 七〇人の生徒は、お辞儀をするおじさんと俺に惜しみない拍手を送った。

「石は熱いからぜったいに触らないでね。それでは解散」

 おじさんが俺の肩をポンとたたく。なのに俺の祈祷服はぜんぜん汚れない。まったく。俺は手のひらにべっとりついた泥を払った。

(あー、とりあえず終わった)

 とりあえず、というのは、このあと一週間くらい、中二病者たちの付きまといが発生するからだ。まあ、毎年のことだ。

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