S先輩について

庭一

電報

 先輩から電報が届いた。K高校で同窓だったS先輩だ。私は先輩の厭世的な面立ちと、それに似合わぬ妙なバイタリティの高さを思い出す。同窓なのになぜ先輩かというと、彼は二年生の時分、生来の実験精神から最低出席日数での進級に挑戦していたのだが、運悪く流行性感冒に罹患して留年したのだ。先輩はビタミンC摂取の重要さについて切々と説いてくれたが、おそらくそういう問題ではないのではないか。

 しかし私は彼を笑うことはできない。文理選択のさい、どういうわけか志望の文系ではなく理数系を選んでしまい、二年間をそこで過ごした。魔がさしたとしか言いようがない。反抗期だったのかもしれない。度重なる補講のなかで、某有名予備校に惜しまれつつも教師の道を選んだという物理教師を何度絶望の淵に叩き落としたかわからない。結局私は地元の大学の文学部に進学し、文化コミュニケーション創成学科という如何わしいところに籍を置いた。私が所属していたゼミの異常さについては、またの機会に記すことにしよう。

 先輩はМ大学理学部実験数理学科をやはり二留して(理系では珍しくはないらしいが)卒業後同大学の大学院に進み、助手も兼ねてしばらく大学のあるМ市ですごした。人は最悪だが町はなかなかのものだ、と辛辣な先輩にしては珍しい称賛を聞いている。高校の時から日光を避けがちであった彼としては、全国いちの広さと機能を誇る地下街が気に入ったのかもしれない。

 同時期、М大学の認知科学の研究室はセオリー通り人工知能の製作を進めていたのだが、案の定暴走して学内の監視システムとついでに単位管理システムを壊滅せしめた。同時に近隣の生物研究所および化学実験棟を陥落させ、レベル5のバイオハザードを引き起こす。緊急出動した自衛隊との死闘が繰り広げられた挙句、敷地一帯は焼け野原と化した。これは無論大ニュースになったので覚えている人も多いかも知れない。二年前のことだ。

 S先輩はまさにその研究室で実験の工程管理の一部に携わっていたらしい。所属外の研究室であり、アルバイトのようなものだと本人は言っていた。

 ここからが判然としない。以下は人から伝え聞いたところだ。末端の仕事しかしていないはずの先輩は、事故の数ヶ月後には人工知能製作監督のひとりとして捜査対象となっていた。事故当時彼は学会発表の手伝いでイギリスにいた。一週間の滞在の五日目であった。その翌日、先輩は事故を知る。

 同じホテルに泊まっており、発表に参加したあとで暇だったМ大学の院生のひとりが話すところによると、その日、つまり六日目の夜に先輩は失踪した。杜撰な伝言ゲームのために断片的な情報しか入ってこず、S先輩は名をIというその院生の部屋で続報を待っていた。当初は荒唐無稽ではあるが痛ましいことには違いないその出来事について心配していたのだが、いつしか話題は英国料理への不満や教授の愚痴等に発展、場は単なる酒宴と化したという。

 そんななか、先輩はすっと立ち上がると豆腐などの和食が食べたい旨をIに伝え、部屋を出ていった。深夜十二時近くである。Iは彼の痙攣的な言動に慣れていたため、店は開いていないだろうと思ったがあえて止めなかった。

 翌日、つまり帰国の日になっても先輩は姿を現さず、連絡もなかった。それでも学会とその同行の院生たちが先輩のことを気にも留めず予定通りの飛行機で帰ったのは、彼の人柄によるものだろうか。

 数日後、Iのもとに現在ウィーンにおり帰国は先になるというS先輩からの手紙が届いた。その後現在に至るまで誰も姿を見ていないという。その間研究室を同じくするIのところには、ただ現在地を伝えるだけの手紙が届く。どうやら先輩は西ヨーロッパを中心に、無目的な移動を繰り返しているようだった。

 М大学は後始末やマスコミへの対応にうんざりさせられたが、二ヶ月後に起きた東北での大地震の方に世間の興味がすべてさらわれてしまうと、それはそれで寂しい気持がしたという。S先輩が捜査の対象云々の件がIの知るところとなったのはその頃である。捜査当局の人間が訪れて人工知能暴走事故へのSの関与と彼の所在について追及があったと、研究室長が地下居酒屋で語ったのだ。

 教授は事件と先輩の奇妙な移動は無関係だとみていたが、捜査員はそうは思わなかっただろう。Sは指名手配くらいには昇格しているのではないか、帰国して出頭し、自伝を書くべきだとIは言う。事を好む質なのだろう。

 私がIと連絡を取ったのはつい先月である。先輩が音信不通になって二年経とうかという頃、もしや死亡かと思いМ大学に連絡した。研究室で最も暇そうだということでIを紹介してもらい、電話で上記のようなことを知らされた。手紙はここ一月ほどない上に住所がまちまちなこともありほぼ一方的なものだが、できたらよろしく伝えておく。また何かあれば連絡するということで通話を終えた。

 表1は二十数箇所におよぶ先輩の滞在地と滞在期間をリストにしたものだ。その軌跡は意図ある人間の動きとは思えない。事故以降の彼の行動が怪しいことは確かで、疑われるのも無理はない。同窓の私としては、急に思い立って旅に出ただけではないかとも思う。未だ美味しい豆腐を求めて彷徨っているのではないかとも思う。S先輩を知る人は皆似たようなことを考える。故に、本気で心配している人はいないだろう。

 アントワープに潜っているかと思われた彼の名で電報が届いたのが今朝のことである。電報および電報を打つ人間が現存することに驚きつつ、内容を以下に記す。


(未完)

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