第2話 伝説のネタ系ダンジョン配信者『おパンティン』勇退

 

 当然、最初は冗談だと思った。

 らしくない、笑えない冗談。「またまた〜」とコーヒーを啜る。


「…………」

 

 しかし、変装用のサングラス越しにも、おパンティンの瞳が暗く沈んでいるのを見て、俺の憧れのおパンティンが、こんな悪質なドッキリをやるはずがないと思い当たった。


 ……本気、なんだ。


 ブラックコーヒーの苦味が消えていき、代わり湧き上がってくる激情が、俺の身体の芯を揺さぶった。

 手からこぼれ落ちたコーヒーカップがカシャンと割れて、気づけば俺は叫んでいた。


「……な、なん、で、登録者も、やっと1000人を超えて、収益化が降りたところなんですよ!? これからじゃないですか!!」


 何事かと駆けつけてくる店員をサングラス越しの視線でいさめてから、深々とため息をついた。


「パンティも厚めにしたし、髪色も声もなるべく変えていたんだけどね」


 そして今度は、おパンティンはチラリと窓の外、ビルの屋上に設置された巨大掲示板に視線を移す。


 おパンティン……ううん、この場合は、本名の佐々木悠里で呼ぶべきだろう。


 彼女のパンティ無しの顔がデカデカと載った、口紅の広告。彼女の白い肌に、真っ赤な口紅が映えていた。


「うちの事務所の人間が、『おパンティンTV』に行き着いたみたいでね。私だとバレてしまったんだ」


「っ」


 今年になってやっと収益化にたどり着いた『おパンティンTV』。


 それまでは一銭のお金にもなっていないので、悠里さんは配信者活動とは別に、ダンジョン探索者として、生活費を稼がなくてはならなかった。


 悠里さんほどの探索者だから、稼ぎ自体に問題はなかった。しかし、身体を張って笑いを取るおパンティンの芸風によって、彼女の身体は年中ボロボロ。


 回復魔法が万能ではないことは、無茶な回復魔法による健康被害のニュースからも分かることで、そんな負担の中探索者として働くことが、俺は心配でしかたなかった。


 転機は、探索者としてパンティを脱ぎ働いている時の悠里さんが、とある有名ダンジョン配信者の生配信に写り込んだことだった。


 彼女はすぐさま”美しすぎる探索者”としてバズり、数多くの大手事務所クランから誘いを受けた。


 しかし、悠里さんは最初、全くその誘いを取り合わなかった。


『私は、動画の面白さのみで評価されたいんだ!』


 そんなネタ系ダンジョン配信者としてのプライドは素晴らしいと思ったけど、正直俺は、ここまでいい話もないとも思っていた。


 芸能系の仕事なら、ガチの探索者と比べて、心身の負担は明らかに減る。その上で、潤沢な資金があれば、今よりもっと面白い動画が取れるはず。


 そうやって必死に説得した結果、悠里さんは渋々インフルエンサーデビューを受け入れてくれたのだった。

 

 そして、伸び悩む『おパンティンTV』とは対照的に、佐々木悠里という探索者の知名度は爆発的に伸び、いまや彼女は、一流インフルエンサークラン『スター・サージカル』の稼ぎ頭なのだ。


「清純派(笑)として売っている私がおパンティンだと世間に知れたら、今あるCMは全て打ち切りになり、莫大な違約金を支払わないといけなくなる。だから、どうしても辞めてくれと、涙ながらに説得されてね……本当に、すまない」


 悠里さんが勢いよく頭を下げ、帽子のツバが机に当たる。「いたっ」と、おパンティンらしくない地味なリアクション。


 ……ああ、本当に、引退するんだ。俺を死の淵から救ってくれた、おパンティンが。


「謝らなきゃいけないのは、俺の方ですっ」


 俺はコーヒーとカップの破片にまみれた机に、額をつけて謝った。悠里さんが、「ちょっとラビくん! 頭を上げて!」と言うが、こうでもしないと耐えられない。カップの破片で傷ひとつつかない自分の身体が、とにかく憎かった。


「俺が、インフルエンサーになってってお願いしたから、こんなことに……全部、俺のせいだ」


「……違う、それは違うよ、ラビくん」


 悠里さんが俺の頭を優しく撫でる。


「君の支えがなければ、とっくの昔に私は『おパンティンTV』を辞めていた。ここまで続けられたのは、他でもない、君のおかげなんだよ」

 

「……でも、でもっ」


「……もう一つ伝えたいことがあるんだ」


 悠里さんの手が離れ。席から立つ気配がした。帰ってしまうのか、と思わず顔を上げてしまって、驚く。


「よいしょ、と」


 悠里さんはスカートの中に手を突っ込むと、おもむろにパンティを脱いだのだ。


 赤の小さなリボンをワンポイントにした、純白のパンティ……いや、多少の汚れがあった。


「あれはいつの日だったか……そうだ。『マンドラゴラの絶叫をカラオケ採点したら何点取れるのか?』の撮影の後だったかな。ラビくん、言ったよね。私みたいな配信者になって、自分のように絶望している人たちを笑わせたいって」


「……ただの、冗談ですよ」

  

 悠里さんはクスリと笑って、首を振る。


「あの時は、微妙な反応してごめんね……いつの間にか、保護者面をしていたんだろうね。なんたって、ネタ系配信者として生きていくのは非常に厳しい。お金は稼げない。社会的地位は低い。親には泣かれる。何より、私の芸風だと、命の危険が危ないからね……ただ、無用の心配だった。君は、私よりもパンティの才能がある。私が断言するよ」


 悠里さんは喋りながら、足からパンティを引き抜く。そして、皆の注目を一身に集めながら、俺にそのパンティを差し出した。


「染みは私がつけておいた。受け取ってくれ」


「っ」

 

 珍しくスカートを履いていると思ったら……こういうこと、だったのか。


 俺に、女性が履いた下着に興奮するような性癖はない。悠里さんだって、実は意外と普通の人だ。


 つまり、このパンティの意味は、おパンティンの継承。


「無理に、決まってます」


 だって俺、今の今まで、悠里さん以外の人を、まともに笑わせたことがない。

 悠里さんはスライムがぷよぷよしてるだけで笑い出すゲラだから、実質誰も笑わせたことがないってことだ。そんな奴が、おパンティンの後継者なんて……。


「そうか……それじゃあこのパンティはどうしようか。私は元来ノーパン派だしな……そうだ!」


 すると、悠里さんは、コーヒーでびちゃびちゃになった机を見て、パンティを握りしめ、ポンと手を打つ。


「これで拭いてしまおう」


 そして、パンティを机に放り投げたのだった。


「なっっっ!?!?!?」


 反射だった。俺は悠里さんのパンティに手を伸ばし、純白(染み付き)のパンティが、ドス黒いコーヒーに汚れないよう、力強く鷲掴みにした。


 ドクン。


 パンティから伝わってきたのは、悠里さんの人肌の温もりだった。


「……卑怯ですよ、悠里さん」


「ふふ、だね。でも、そのパンティを被るかどうかは、君次第だ」


 ……このパンティが、だれにも被られずに、冷め切ってしまうなんてこと、あっていいわけがない……いや、言い訳はよそう。


 結局のところ、俺は、二代目おパンティンとして視聴者のみんなを笑わせたいと、心の底から思ってしまっているんだ。


 俺は、コーヒーで汚れた自分の顔をTシャツで拭うと、そのまま勢いよくパンティを被った。ファミレスのお客さんたちが悲鳴を上がるが、そんなの気にしない。


 俺は店の外にも聞こえるように、でっかい声で宣言した。


「俺が、日本一、ううん、世界一の、ネタ系ダンジョン配信者になります!!」


 悠里さん、いや、おパンティンは、どんな巨大パンティでも覆い隠せないほどの笑顔を浮かべたのだった。



 ⁂


 

 そして、八百本に及んだ『おパンティンちゃんねる』の動画は、一夜にして全て消えてしまった。


 万が一の流出を危惧してか、保存することすら禁止されてしまったので、俺はその時が来るまで、ただただ何度もスクロールからの更新を繰り返した。

 そして、パッと全ての動画が消え去った時の感情を、俺は一生忘れることはないだろう。

 

 登録者は、1000人から334人になった。俺たちの三年間の努力は、消え去ってしまったのだ……あくまで数字上の話、だけどな。


「カメラの準備、オッケーだ」


 ダンジョン配信でよく使われる浮遊カメラは、探索者について回るようにできている。

 別にそれでも撮れないことはないし、実際俺がスタッフになるまで、悠里さんは浮遊カメラで撮影していた。


 しかし、やはり人の手で取られた映像と比べると質が低い。

 その上、身体を張りまくる『おパンティンTV』のスタイルだと、カメラも一緒にダメージを受けてしまうことが多いので、どれだけ頑丈で魔法で強化したカメラでも、ライトニングケーブルくらいの頻度で壊れてしまう。


 なので、カメラマンがいてくれると本当に助かるんだ。


「悠里さん、本当にありがとうございます」


 悠里さんに頭を下げると、彼女は苦笑した。


「お礼はもうお腹いっぱいだよ……それに、お礼を言いたいのは私の方だ。こんな面白そうな動画の撮影に立ちあわせてもらえるんだから」


 悠里さんは、『おパンティンTV』のスタッフを続けられなければ、クランを辞めるとマネージャーに言ってくれたそうだ。


 今俺たちがいるのは、ダンジョンの下層。

 危険度Aクラスの魔物がうじゃうじゃいる、この世の地獄だ。


 一度、あまりに登録者が伸びないので、下層に潜って動画を取ろうとしたことがあったが、ここでの身体を張った撮影は命がいくつあっても足りないとすぐに引き返した。


 でも、命よりも大切なものがある。今なら、オーク相手に命がけで挑んだ悠里さんの気持ちがわかる気がする。


「……グルル」


 下層の中でも環境的に相当厳しい火山エリア。

 そして、目の前にいるのは、真っ赤な鱗を持つ火竜。危険度ランクはS−に相当する、魔物の王様だ。



【魔法なし】火竜をひのきのぼうで倒してみた!【命懸け】



 これが、今回の動画のタイトル。

 俺が救われた動画をパロディする形で、俺のデビュー作にはこれしかないって感じだ。


 ただ、オーク程度では、今の俺の演者能力ではどうやったって面白くできそうにない。特に魔物に攻撃されてからの面白いリアクションなんか、絶対に無理だ。

 

 だから、魔物の中でトップクラスの戦闘能力の誇る火竜を相手にすることにした。火竜の攻撃なら、本当に痛いので素のリアクションが出せる。素のリアクションが面白くなる保証はないが、素人は素で勝負するしかないから仕方ない。


 もちろん、どんな攻撃が来ても避けるつもりはない。

 俺には悠里さんのような才能はないんだから、せめて悠里さんよりも身体を張らないと、残ってくれた334人の視聴者たちをがっかりさせてしまうからだ。


 正直、怖い。けど、絶対に耐え切らないといけない。だって俺は、この動画に最高のオチをつけないといけないんだから。


『これは伝説の落語家が提唱したんだけど、笑いっていうのは、緊張の緩和で生まれるんだよ』


 スポッチャで一緒に遊んでいる時に、悠里さんから教えてもらったお笑いの理論。


 【笑いとは、緊張の緩和である】


 人間は極度に緊張した状態が続いた後、それが緩和されることで、ついつい笑ってしまうという、お笑いの理論だ。


 お笑い怪獣と呼ばれる芸人も、お笑いの全ては【緊張の緩和】で説明できると言い切るくらいで、確かに『おパンティンTV』の中で比較的再生回数が多いものは、緊張の緩和がうまく使われいるように思う。


 その理論を、今の状況に当てはめてみる。


 火竜相手に、ひのきのぼうで挑むというのは、まさしく緊張の極地だろう。

 画面の前の視聴者は、その命知らずの行為に、心臓をバクバク高ならせているはずだ。

 当然、倒してみた、なんてタイトルはミミック釣りと思い、いかにして俺が生きて帰るかに期待している。


 その緊張を、一番緩和させる方法。それは……。



 この火竜を、本当にひのきのぼうで倒しちゃうことなんじゃないか。



「火竜、打ち取りましたわあああああああああああああああ!!!」


 俺は、緊張を吹き飛ばすため、雄叫びを上げながら、ひのきのぼうを振り上げ火竜に飛びかかったのだった。

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