かどわかし①
しばらくして合流した私たちは、園内にあるレストランで昼食を取り午後の目的地へと移動することにする。
その前に、とみんなでお手洗いを済ませようと園から出てすぐにあるトイレに来ていた。
「はぁ~、仲直りしてくれて良かったけど……まさかいきなりつき合うことになるなんて思わなかったわよ」
手を洗った美智留ちゃんはそう言ってさくらちゃんを見た。
「わ、私も急展開でまだちょっと実感がないけれど……」
照れて焦っている様子にも見えるけれど、なんとなく嬉しそうだ。
両想いになれてよかったね、って微笑ましく思う。
「で? その後親密になって名前で呼ぶようになったの?」
私と同じく微笑ましく思っていそうな美智留ちゃんは、ニマニマ笑ってさくらちゃんをからかった。
「そ、それは日高くんが名前で呼べば? とかって言うから!」
頬をピンク色に染めたさくらちゃんは慌てて言い訳をするけれど、全然言い訳になっていない。
陸斗くんがそう言ったからって、実際に“司くん”“さくらさん”と呼ぶことを決めたのは本人たちだ。
何だか初々しい感じがしてホッコリする。
でもそんな私にもとばっちりが来た。
「そういえば、日高はいつの間にか灯里って呼んでたけど、灯里はいつの間に“陸斗くん”って呼ぶようになったの?」
「そういえばさっきそう呼んでたね。朝は日高くんって呼んでいなかった?」
美智留ちゃんがふと思いついたように言って、さくらちゃんも思い出しながら続く。
ぐっ、私のことは気付かなくても良かったのに。
自分の気持ちもハッキリしていない状態なのに、陸斗くんにはドキドキさせられっぱなしで困っているんだ。
そこにみんなからもからかわれたら更に分からなくなってしまいそう。
「本当に! さくらちゃんたちが親密になってくれて私も嬉しいよ」
誤魔化すように大きめの声でそう言うと、私は二人より先にトイレから出て行った。
すると、突然誰かに乱暴に腕を掴まれる。
「っ⁉」
単純に驚いて声を上げようとすると、口を塞がれた。
「叫ぶなよ? お前、前にも日高と一緒にいた奴だろう?……たしか」
最後に不安そうな言葉を付け加えつつそう言ったのは、さっき見た飼育員らしき従業員の人だ。
どうして? と思うと同時に思い出す。
この人、お化け屋敷のお兄さんだ!
さっきは離れていたし、二度しか会ったことのない人なんてそんなにすぐには思い出せない。
近くで顔を見たのと、今の言葉でやっと分かったくらいだ。
それにしてもどうしてここに?
飼育員の格好してるってことはまたバイトとか?
……仕事放り出していいのかな?
またクビになるんじゃあ……なんて余計な心配をしてしまう。
私が叫ばないと分かると口に当てた手を離してくれる。
同時に、美智留ちゃんたちがトイレから出てきた。
「あれ? 灯里、その人は? 知り合い?」
まさか白昼堂々襲われるとは思わないし、そう思うのが自然だろう。
実際、このお兄さんがどういうつもりで私を捕まえたのか分からない。
まあ、良い予感はしないけれど……。
「ああ、こいつのダチか? ちょっとコイツ借りるぜ? あと、迎えは日高に来させろよ?」
「は?」
突然の事態に良く分からない表情を浮かべる二人。
でも、お兄さんの口の悪さから良い状態ではないんだろうってことは感じ取ったみたいだ。
「……あの、私たち今校外学習中で、別行動とか困るんですけど。……その子、離してもらえますか?」
刺激しないようにだろうか。
極力落ち着いた声音で要望を告げる美智留ちゃん。
でもお兄さんは面倒臭そうにそれを拒否する。
「チッ、んなもん知るか。ちゃんと帰してやるっつってんだろ? 良いから言う通りにしやがれ!」
「ひっ」
こんな乱暴な人と関わることなんてないんだろう。
さくらちゃんが明らかに怯え始めた。
美智留ちゃんはどうにか出来ないかと考えているみたいだけれど、下手に刺激するわけにもいかないといった感じ。
怯えつつも、もう一度私を離してくれるように頼んでくれる。
「でも、集合時間とかもあるから……取りあえず離してくれませんか?」
「それまでには帰すっつってんだろ⁉」
でもお兄さんはイライラするだけで私を離してはくれない。
このままじゃ平行線だって思ったんだろう。
お兄さんは私にだけ聞こえるくらいの声で呟いた。
「ったく、いっそ殴って黙らせるか?」
「!」
女の子を殴るなんてことを平気で言うなんて信じられない。
『いっそ』なんて言うくらいだから、今すぐ実力行使しようというわけじゃないんだろう。
でも、私はこのお兄さんが結構キレやすいってことを知っている。
このままだと本当に誰か殴られかねない。
陸斗くんが来てくれれば何とかなりそうな気はするけれど、よっぽど遅いとかでなければこっちまで探しに来てはくれないだろう。
陸斗くんが来るよりお兄さんがキレる方が早い気がした。
「私っ、付いて行きますから! だから乱暴なことはしないでください」
付いて行かない方が良いのは分かっていたけれど、美智留ちゃんたちが殴られるかも知れないと思うとそう言うことしか出来なかった。
「灯里⁉」
驚く美智留ちゃんに、「大丈夫だから」とぎこちない笑顔で返す。
実際、私はお兄さんのちょっと……いや、かなり残念なところも知っているから、少なくともさくらちゃんほど怖がってはいない。
まあ、何するか分からないという意味ではやっぱり怖いけれど。
「本人も行くっつってるから連れてくぜ? いいか? 迎えには日高をよこせよ?」
そう念を押して、お兄さんは私の腕を引っ張っていく。
どこをどう通ったのか分からないけれど、園の入り口の方へ行くことなく駐車場に着く。
そして一台の軽自動車の前で止まった。
鍵を開けて「乗れ」と指図するお兄さんに少し躊躇う。
車にまで乗るなんて、どこまで離れたところに連れていかれるのか……。
「早く乗れっつってんだろ?」
運転席に座って下から凄んでくるお兄さんに、私は勇気を出して聞いた。
「どこに行くんですか?」
「心配しなくても車で十五分程度のところだよ。ちゃんと帰してやるっつっただろ。早く乗れ」
私の心配を察したのか、そう説明してくれる。
けれどこれ以上は怒らせてしまいそうだったので、私は素直に助手席に乗った。
「シートベルトちゃんとつけろよ?」
……そういうところは律儀みたい。
私がシートベルトをつけたのを確認したお兄さんは車を走らせた。
しばらく無言で外の景色を見ていたけれど、気まずい雰囲気は何ともしがたい。
まあ、この状況で会話が弾むのもおかしいけれど。
「……あの、仕事は良いんですか?」
それでも無言の空気に耐えられなくて少し気になっていたことを聞いてみた。
「ああ? ある程度は終わらせたし、大丈夫だろ」
「……」
何か、察した。
これ、大丈夫じゃないやつだ。
このお兄さん、またクビになるんだろうなぁ……。
思ったけれど、キレられたくないしまた陸斗くんの所為にされても困るので口にはしないでおく。
代わりにもう一つ別のことを質問した。
「ところで、本当にどこに向かってるんですか? 迎えに来いって言ってましたけれど、陸斗くんはその場所言われなくても分かるんですか?」
「……」
すぐに返事はなかった。
少し待って、赤信号で車がいったん停止するとお兄さんは口を開く。
「……商店街裏にある川原近くの空き家だ。連絡しとけ」
端的にそう告げる。
「……」
うん、忘れてたんだね。
やっぱり残念な人だなぁと思いながら、私はスマホを取り出した。
実はさっきから何度もスマホが震えていたんだ。
消音モードにしていたから音はならなかったけれど。
見ると、案の定着信やメッセージがみんなから送られて来ていた。
電話は多分かけちゃダメなんだよね?
そう思って陸斗くんのメッセージを開く。
《無事か? 今どこにいる?》
《どこに向かってるか分かるか?》
短い用件だけの文章に、彼の焦りが伝わってくるみたいだ。
私はすぐに返事を打つ。
《大丈夫、今のところ変なことはされてないよ。今は車に乗せられて移動してる。商店街裏にある川原近くの空き家に連れて行かれるみたい》
そう送るとすぐに返事が来た。
《待ってろ、すぐ行く》
すぐ行く……来てくれる。
それが何だか嬉しくて、緊張の糸がほぐれるように安心する。
「送ったか? じゃあスマホはしまえ。もう連絡取るんじゃねぇぞ」
陸斗くんのメッセージを見ながら余韻に浸っていると、お兄さんの声が邪魔をした。
でも言うだけ言って運転に集中し始めたので、これ、もしかしてスマホいじってても気付かないんじゃないのかな? と思ってしまう。
とはいえ危険な橋は渡らない方が良いので、素直にしまっておいた。
陸斗くんとは連絡が取れたのだし、他のみんなにも伝えてくれるだろう。
そう思って、後は目的の場所に着くまで今度こそ黙って座っていた。
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