第2話:再会

お母さんから聞いた病院へ駆け付けた頃には、雨は上がっていた。

全身が凍えるように寒いが、気力を振り絞り病室にたどり着いた。


「みさきはどうなった!?」

「前方不注意だったらしい。」

「今先ほど、息を引き取りました。」


病室には医師と思われる人と母が居て、俺に説明をしてくれた。


「頭部外傷、外傷性脳損傷です。」

「見た感じは何処もケガしていないように見えるのになあ。」


母が涙を流したのはいつ以来だろうか?

そんな母の横顔を見て、ふと古い記憶が脳裏をよぎる。


「おにいちゃん、大好き。大きくなったら、おにいちゃんのおよめさんになる。」


そんな言葉を言っていた気がする。でも、アイツはもういない。

空から雨が晴れた代わりに、腫れた瞳から大粒の雨が降り止まない。


みさきの顔は雨で濡れたように光っていた。

こんなに綺麗な顔をしているのになあ。

みさきの手を握り、顔を覗き込む。

まだ生暖かい手のぬくもりは、彼女が生きていた証を残す。


「もう少し早く来てやれたら良かったのになあ・・・。」


思わず声が漏れてしまう。

バカバカうるさい妹ではあったが、いざ声を聴けなくなると心に来るものがある。


「もう一度、おまえに会いたいなあ。」


塗れた彼女の顔を覗き込みながら話しかけたとき、腫れた瞳に再び電撃が走った。

あまりの激痛に思わず立ち上がってしまった。


「イッテぇ、あれ?」


確かに強烈な痛みは一瞬走ったが、前回とは異なり、今回の痛みは長引かなかった。


「どうかされましたか?」


心配そうに顔を覗き込む看護師が声をかけてくれた瞬間であった。


「兄さん、ありがとう・・・。」


一瞬、自分の耳を疑った。もういないはずなんだ。

それなのに、どうしてみさきが俺に話しかけている?

だが、そんなことを気にする暇もなく、母はすぐさま彼女を抱きしめた。


「生きてたのね、本当に良かった。」


母は安堵したようで、ティッシュをクシャクシャにしたような顔で話を続けた。


「本当に心配したんだから、死んじゃったかと思ったのよ。」


強く抱きしめる母に呼応するように、みさきは思いもよらぬ言葉を放った。


「ごめんなさい。そして、サヨウナラ。」


みさきが右手で母の左耳に触れた瞬間、抱きしめていた母は、

糸が切れたかのようにカクンと力なく沈んだ。


「大丈夫ですか?」


医師や看護師が駆け寄った。しかし、みさきの指先から、何か液体のような軟体が

矢のように放たれ、俺を除く全員が地面に沈んだ。


「何が起きたんだ!?」


まるで超能力を行使しているかのようなコイツを、俺は思わず凝視した。


「兄さんにはお礼を言わなくちゃね。」

「何を言っているんだ!?」

「助けてくれたでしょう?あの時は、本当に危ないところだったのよ。」


俺の目の前にいるコイツはいったい誰なんだ?


「あと、ごめんなさいね。瞳を腫れさせてしまって。」

「お前はいったい誰なんだ?」

「私は、みさきよ。」

「・・・」


俺以外の全員が、事切れたように倒れている惨状。

いったい何が起きているんだ!?


「医者が言っていたが、お前は死んだと。」

「あなたが再び会いたいって言ったのよ。だから、この娘にしたの。」

「この娘にした?」

「ええ、そうよ。この娘は確かに一度死んだ。

しかし、死にたての体は少し修復すれば、まだ使えるのよ。」

「死体に憑依したとでも言うのか?」

「憑依とは少し違うわね。液体があれば、

その体を制御することができるのよ。この娘みたいにね。」


そんなオカルト話を聞いて、『はい、そうですか』とはすぐには言えない。


「俺の体も制御しようというわけか?」

「そんなことはしないわ。あなたは命の恩人ですもの。」


命の恩人とは・・・。こんな得体の知れない『何か』と接触した覚えはないのだが・・・。

どうやら現時点では俺に危害を加える気は無いようではあるが。



そんなやり取りをしている間に、倒れていた母や医師たちが目を覚まし始めた。


「あれ?こんなところで寝ちゃていたのかしら。」


倒れていた医師は立ち上がると、さっきまでの惨状を気にも留めず、俺に説明を続けた。


「妹さんは軽い脳震盪です。すぐに退院できますよ。」

「みさき良かったわね。お母さん心配したのよ。」

「心配かけちゃったね。」


俺はこの状況が全く飲み込めなかった。

彼らはさっきまでの記憶が無いかのように、全く別の会話をしている。

みさきは死んだと医師は言っていた。しかし、今度は脳震盪だと言い出した。

これも全部コイツのせいなのか・・・。


「あのぉ、みさきは死んだんですよね?」

「何を言っているの!この子は。みさきは目の前にいるじゃない!」

「大丈夫ですよ、不幸中の幸いにも軽い脳震盪なだけで済んでいます。」

「あぁ、そうですか。ありがとうございます。」


医師の記憶と自分の記憶が全く噛み合わない。

背筋に寒気を感じつつも、安堵している母の様子を見て、

これ以上は何も言えなくなってしまった。



狐につままれたかのように、夢でも見ていたかのように、

現実とは思えない不安感を感じつつも、何をしたら良いのかも分からない。


一度晴れた空は再び黒雨となっていた。


「傘が・・・。」


コンビニで買った傘は、何処かに置き忘れたようだ。

再びコンビニで傘を買う羽目になろうとは。

病院内のコンビニに入ると、その陳列は何処で見ても同じようなものが並んでいた。

異なるのは、カツラやニット帽子などの商品が追加されていることくらいだ。


「10円ガムも買うか。」


非現実的な状況を目の当たりにしたにもかかわらず、思いのほか動揺していない自分に驚いた。

人は驚きを通り越すと冷静にでもなるのだろうか・・・。

今日起きた出来事は俺のただの妄想ではないのだろうか?


「そうだ、ノートも買っておこう。」


このノートに自分の身の周りで起きた出来事を記載しておけば、

読み返したときに単なる妄想だったのか、それとも記録通りだったのかを確認できる。

少なくとも自分の精神を保つことはできるだろう。


購入したノートの1ページ目には、

『〇月×日、みさきは死んだ。そのはずだった。

外傷性脳損傷と医師からは聞かされた。しかし、アイツは再び目を覚ました。

そして、アイツが言うには、液体があれば他人の体を制御できる。』

と記入した。自分でこれを書いていて、妄想の物語でも書いているのかと疑うレベルだ。


ぐちゃぐちゃな頭では、これ以上は思考をまとめることができそうにない。

かと言って、母もあの場に居たにもかかわらず、状況を理解していない。

それ故、俺以外の人間には相談もできそうにない。


雨の中へ傘一本で飛び込む際、病室でアイツが放った最後の言葉が耳から離れない。


「これからもよろしくね! 兄さん。」

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