この家には怪物が棲んでいる

第1話

 硝子ビードロのように透き通った紺碧の瞳。

 輝く銀の髪は絹の如き手触り。

 降り積もった雪花を思わせる白い肌。


 ――ビスクドールみたい

 

 真っ暗な、地下牢で角灯の明かりに照らされた光景。季節は真冬で、地下は凍えるような寒さだったのを今でもよく覚えている。

 けれども、そんな寒さなど二人を目にした瞬間に吹き飛んでいた。

 初めてに出会った瞬間、私は恋に落ちたのだ。

 

 整った容姿は同じ東洋の系統でありながら、銀の髪色の美しさが映えて、この世のものとは思えなかったのもあるだろう。

 火照りすら覚えるほどの感情の沸き立ちに、家の地下牢に閉じ込められた等身大の二つの人形を前にして、私の意識は人形ばかりに向いていた。

 そんなのぼせ気分のぼんやりとした目で人形を見つめる私に、地下へと連れてきた張本人である父が私の隣に立ち言った。


千鶴ちづる、今日からお前が世話をするんだ」


 真っ暗な地下、石壁は冬の寒さを貫き体の芯まで凍えるよう。父の苦々しい顔からしても、本来であれば人形の世話は汚れ仕事も同然なのだろう。

 五人兄妹の末っ子として生まれた私は、おまけのような存在だった。母は居らず、兄四人が横柄に家の中を闊歩して、家には居場所が無い。使用人達にとっても、私は存在しないも同然の扱い。あの家で過ごすことなど比べ物にならない程に、これほどまでに美しい人形の世話ならば私にとって最良と言えるものだった。


「良いね、千鶴。お世話は毎日だ。機嫌を損ねるような事もしてはいけないよ」


 父の顔は強張って、口調は柔らかいがやけに慎重な物言いだった。人形を相手に、機嫌とはどう言う事だろうか。首を傾げる私を前に、父は答えた。


「千鶴、これは人形じゃない。ほとんど動いていないが、生きているんだよ。毎日髪を梳かしてご飯をあげるんだ。良いね」


 石でできた椅子の上に、人形のように座る二人の男女。

 父は、ご飯の量を守る事を私に約束させると、そそくさと上階へと行ってしまった。




 それから、私は毎日のように二人の世話をした。

 髪を梳かし、ご飯をあげるだけ。本当に生きているかどうかはわからない程に、二人には動きはないけれど、ご飯を口に運ぶとゴクリと飲み込む仕草だけはあった。

 その時初めて、二人は生きているのだと実感する。何せ、胸に手を当てても鼓動が一切無いのだ。なので、実際は生きていると言う言葉が当てはまらないのかもしれないのだけど。


 そうやって、毎日、毎日、毎日、毎日――私は、父の言いつけ通りに毎日お世話をして過ごしていた。

 お世話が終われば、二人の前に座って眺めるだけ。時に語りかける事もあったけど、独り言も同然だった。

 夏は地下の方がよほど涼しいけれど、寒い季節は毛布を持って何時間も地下で過ごした。どうせ、家中に私の居場所はないので、尚更居心地が良かったのもある。


 そんな、ある日。


 私の何が気に食わなかったのか、兄の一人が私を殴った。いつも視界にも入れないのに、その日は腹の虫のいどころが悪かったのだろう。朝から蹴られ殴られと散々だった。

 おかげで、よろよろとなんとか地下へと辿り着いたが、結局床にへばりついてお世話ができなかった。

 それどころか、私はそのまま石床の上で眠ってしまった。

 

 ――――それから、どれだけ眠っていたのか。

 もう時間の感覚は消えていた。なにせ、角灯の蝋燭が全て溶けて消えて真っ暗だったのだ。私は慌てたが、いの一番に浮かんだのは――――


「……あ……ご飯」


 そう、日課のお世話だった。


 私は痛みが走る身体をやっとの事で持ち上げて、の用意を始めた。

 ご飯の用意は、部屋の片隅にある机の上だ。そこに変えの蝋燭もしまってあるので、手探りで蝋燭とマッチを取り出して角灯のあかりを灯す。

 機嫌を損ねてないと良いけれど。そんな事を考えて、今度は三つある引き出しの一番上を開ける。中にあるのは、幾つもの洗浄済みの注射器だ。

 その一つを手に取って、自分の腕を擦って浮き立たせた血管目掛けて針を刺し血を抜いていく。幼い頃こそ何度も失敗したが、今では慣れたものだ。


 ただ、いつもと違って目が霞んで目盛がよく見えない。なんとなくだが、いつもよりも多く抜いてしまった……そんな気がした。


 注射針を銀盆の上に置いて、今度は二番目の引き出しを開けて、こちらも洗浄済みの匙を取り出す。

 銀製のテーブルスプーンから溢れないように、注射器の中身を移し替えていく。


 ゆっくり、ゆっくり、慌てないように。

 いつもは慎重だ。ご飯は、このひと匙分だけ。そう決まっている。


 ゆっくり、ゆっくり。


 銀製のスプーンが、鮮血で染まってそれを先ずはの口へ運ぶ。


 親指で口をこじ開けて、スプーンの中身を流し込むと、喉がが動いて血液を嚥下する。

 嚥下までを見届けて、今度は


 身体が終始痛む。匙一本を持ち上げる事までもが辛いと感じ、手が震え始めた。


「……あ、」


 弟の口へと流し込んでいる時だった。手からスプーンがこぼれ落ちて、流し込む途中の血液が弟の服を赤く染めた。


 半分は飲ませられただろうか、それとももっと少ない?

 私には判断が出来ないでいた。が、幸いにもまだ注射器の中身は残っている。

 服を汚してしまった詫びに、もう一度同じ量のご飯をよそって弟の口の中へと流し込んだ。


 大した事はない、誤差程度。そう考えていた。

 だが――――


「ちづ……る……おなか……すい……た」


 嚥下が終わった音からそう間を置かずして、掠れた男の声が地下の静寂を遮った。

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