夜
夜の今川王城学園。
昼は多くの生徒や教職員でにぎわう学び舎には今は人の影すらなく、机や教室の壁が濃紺の闇にかすかに浮かんで見える程度。
二十四時間常駐し、校内を見回っているはずの警備員すらいなかった。
いや、影は二つだけあった。
「兼美様、ほんとにやるんですか?」
「当たり前ですわ」
以前近衛明日香にやりこめられた三井家令嬢と、その取り巻きの一人。
三井家令嬢、三井兼美の手には美術で使う染料に化学変化を起こして作った、特製の薬液が握られていた。
「でも近衛家にちょっかい出したってばれたら、ほんとヤバいですよ? 兼美様の実家にまでご迷惑が……」
「近衛家がどうしたというんですの!」
三井兼美は語気鋭く、取り巻きの言葉を遮った。
「わたくしだって家柄は負けてない。あんな転校生なんかに、負けてたまるかですわ」
「この地域の発展に協力してきたのは三井家。戦国時代から沼ばかりだった土地をならし、長屋を建て、屋敷を普請してきた。近代に至ってからは人力車の会社から鉄道や道路網の整備にもたずさわってきましたわ。
「先祖代々、この地に根を張ってこの地のために尽くしてきましたのよ。それをあんなぽっと出の女に、立場をかっさらわれてたまるか、ですの」
「わかりました。もう何も言いません」
「わかればいいんですのよ」
「そのために警備に手を回して、この時間帯に人が立ち入らないようにしてもらいましたの」
「よく納得しましたね」
「肝試しをするから大人は手出し無用ですわ、と言ったらこころよく納得してくださいましたわ! 三井家の権力に恐れおののいたのですわね!」
「理由がちょろい……」
兼美はふふーんと胸を張る。臙脂色の制服の下に隠された、つつましやかな胸がわずかにその存在を主張した。
同時、カップの固定されていない胸がブラにこすれて軽い痛みを生じる。
「無理して大人っぽい下着なんてつけるから。お嬢様はスポブラで十分なのに」
「あなた、使用人の分際で余計なお世話ですわあ!」
同学年なのに自分とは比べるべくもない取り巻きの胸を、兼美は横からビンタした。
見つかってはまずいのに大声で言い合う二人。
その声が消えると一気に周囲は静寂に包まれる。兼美自身が行った人払いのため、物音ひとつしない。
「兼美様、何か出そうですね」
取り巻きは冗談めかしてそう言った。
「なななにをおっしゃいますの!幽霊など非科学的ですわ、そもそも霊などは三つの点を人間の顔と錯覚できるシミュラクラ現象というもので」
「あー、はいはい、わかりましたから」
取り巻きは面倒くさそうに答えると、近衛明日香の座席の前に立つ。
兼美は手に持った薬液の瓶のふたを開け、口元をゆがめた。
「これであの女に一泡吹かせてやれますわ」
だが警備員すら人払いしたはずの校内に彼ら以外の影が二つあった。
一つは黒い鞘の脇差を腰に差した男子。もう一つは柿色の鞘の脇差を腰に差した女子だった。
宗徳と千佳は今日は公安五課の制服でなく、ごく闇に溶け込むような色合いのジャージ姿。顔はスポーツ用の首元まで覆うマスクで隠している。
彼らは教室の影に姿を隠している。夜の教室は用具入れ、教卓など実を隠す場所には事欠かなかった。
さらに夜の教室の色合いを計算し尽くされたジャージの色は闇夜に溶け込み、ほぼ兼美達には見えない。
逆に暗がりに目をならし、夜間視力の訓練に怠りない宗徳たちには三井たちの姿ははっきりと見えていた。
「千佳、お願い。周囲に人の気配はないから」
「了解さあ」
千佳が暗がりの中で脇差を抜き、切っ先を兼美に向けた。
テロ組織を相手取る公安五課は非情だ。
たとえ相手が子供でも手にかけねばならないときはある。『美作』の使い手である竹内薫のように。相手が同じクラスの顔なじみとて、例外ではなかった。
「春燕」
千佳が可夢偉を行使し、不可視の刃が三井兼美たちに飛んでいく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます