3章

第12話

 満開の桜が帳を降ろしたように通学路に咲き乱れる頃、教室は近いうちに訪れるビッグイベントにそわそわとした落ち着かない雰囲気を醸していた。

 二年から三年へはクラス替えが無く、顔ぶれはいつもと変わらない。特に会話をするような人もいない僕にとってはどうでもいい話だけど。

 クラスが変わらないということは、担任も変わらないわけで、すっかり見慣れた猫背の人物がチャイムからだいぶ遅れて教室に入ってくる。


「えーっと、今日は雨笠が休みな。それと、この後修学旅行の班決めするから、決った班から用紙に書いて委員長に提出するように。鳥野は集まったら俺のところに持ってきてくれ。そんじゃ、解散」


 事務的なまでに淡々と要件を並べるホームルームが終わると、教室は一層ざわつきが増した。

 みんな、仲の良い人同士で固まって班決めに熱中しているようだ。修学旅行なんていう浮かれた行事について話す友達なんていない僕は、窓際の席で一人突っ伏してスマホを開いていた。

 惰性で開いたホーム画面に通知の表示はない。ほっとしたような、少し残念なような気持ちに苛まれる。

 気が付けば、涼音に文章を送っていた。普段なら自分から連絡なんて絶対に取らないのに、教室の浮かれた雰囲気に飲まれたせいだ。


『今日は病院?』


 彼女が月に二、三度通院していることは知っていた。彼女の現状を知っているからこそ、心配が前のめりになる。


『そうだよ~! 翔琉くんから連絡してくるなんて、珍しいね! 恋しくなっちゃったのかな?』


 続けて彼女がよく使う蝉のスタンプが飛んでくる。デフォルメされたアニメチックな蝉があきれたような表情。その横には“やれやれ蝉”と書いてある。

 こんなにくだらないスタンプをいつも器用に使いこなす辺り、彼女も立派な女子高生なんだと感じた。他の女子高生の基準を知らないから、もしかしたら彼女だけの変な趣味なのかもしれないけど。


『純粋に心配してあげたんだよ。体調は何ともない?』


『今日もばっちり元気! 翔琉くんはどうだい?』


 彼女の言う元気が、すごく重たく感じた。本人が言うのだからそうなんだろうけれど、僕はきっとこれから先、彼女の言う〝元気〟を言葉の通りに受け止められないだろう。


『普通だよ。今は修学旅行の班決めで教室がうるさくてしょうがない』


『えっ、今日が班決めだったの!? うわー、とんでもバッドタイミングだよそれは。私、塩ちゃんのところ入るから、翔琉くん代わりに言っといて!』


「えっ……」


 思わず、独り言ちた。

 幸い、教室はいつも以上の喧噪にまみれていたから、僕の漏らした言葉はすぐにかき消されたけど、背中には嫌な汗がじんわりと滲んだ。


『塩ちゃんって誰の事? っていうか、僕絶対喋ったことない人だと思うんだけど』


『塩澤さんのことだよ! 大丈夫、翔琉くんならいける!』


 そして、やっぱりと言うべきか、『ファイト一発蝉』なんていうふざけたスタンプが飛んでくる。

 少し憂鬱な気持ちになったけど、別に委員長として声をかけるだけだ。今までも何度もやってきたことだし、何も世間話をしに行くわけじゃない。

 重い腰を上げて、教室の真反対で数人集まってわいわい話しているグループに声をかける。


「あー……っと、塩澤さん?」


 急にクラスの置物が話しかけたからか、グループの人が一斉に会話をやめて、僕を見る。耐えがたい視線に汗が滲む。彼女じゃないけど、今日は春のはずなのに異様に暑く感じる。


「委員長? どしたの?」


 グループの中心で座っていた少女が、不思議そうに首を傾げる。肩に触れるくらいの梳きながした黒髪と、お淑やかな雰囲気が特徴的なクラスメイト。でも、実はお茶目な性格という見た目とのギャップが男子生徒にはかなり人気があるらしい。


「えっと、修学旅行の班なんだけど――」


「あ、もうすぐ決まるからちょっと待って。ごめんね」


 どうやら僕が声をかけた理由を、班決め用紙の提出の催促だと勘違いしたらしい。


「いや、そうじゃなくて。涼音が塩澤さんの班に入れといてくれって……」


 塩澤さんは用紙に向けていたそのつぶらな瞳をキョトンとさせて僕を見る。そして、一度スマホに目を落として何か確認をするように沈黙をつくる。


「わかったよ。元々、涼音ちゃんは班に誘おうと思って連絡してたから、助かったよ。ありがとうね、委員長」


 そういいつつ、僕をつま先から頭の先までじっくり観察する塩澤さんに、これ以上関わると余計な問題事が降りかかってきそうな気がして、足早に退散する。

 席に戻るまでも、奇妙な視線を向けられていることにはわかっていたけど、気づかないふりをした。大方、僕と涼音の関係を詮索しているんだろう。何か聞かれたら、先生に頼まれていると言えば大抵のことは押し通るはずだから、とりわけ問題は無いのだけれど。というか、そもそも別にただの友達ってだけだから、気に病むことは何もない。


『塩澤さんに伝えといたよ』


『ありがとー! 塩ちゃんからも連絡来た! どういう関係なの? って聞かれちゃったよ(ニヤニヤ』


 ため息がこぼれる。席に戻り、塩澤さんの方をそっと一瞥すると、彼女は僕を見ていて、お淑やかな笑顔で手を振っている。

 やっぱり、面倒なことになりそうだとスマホを閉じた。

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