夜のピクニック ふもっふ ⑱

「貧乏舌」「お釈迦様の舌!」


 貴理子と瑞穂が、同時に言った。

 同じ意味でも、こうまで表現が違うものか。


「……お釈迦様って」


 で感嘆する瑞穂に、リンダの顔面が歪む。

 いくら初恋の真っ最中あばたもえくぼだからといって、美化どころか神格化かよ!

 少しは自嘲しろ! のろけるのも大概にして、周りの人間に気を遣え!


 ――である。


「あ、いえいえ、そうではないのです。おのろけではないのです」


 と、瑞穂は慌てて両掌を振った。


味中みちゅう得上味とくじょうみそうです」


「……日本語でOK」


「仏様に現れる三十二の優れた特徴のひとつで、何を食べても最上の味に感じる味覚をいうのです」


(やっぱり、のろけてるじゃない)


 ドン引きするリンダ。


「よく知ってるなぁ――また物知りのお父さんに教わったの?」


 空高がニヤニヤと訊ねた。


「はい」


「さすがお父さん子の枝葉さん」


「そ、それを言ってくださいますな」


 瑞穂はクシャクシャっと顔を赤らめた。


「いやぁ、それだと枝葉さんの唐揚げが大したことなくなっちまうだろ……唐揚げは本当に美味かったよ」


 道行が本当に珍しく気の利いた言葉を吐き、貴理子にこれでもかと睨まれてすぐに黙った。


「ありがとうございます――でもなんでも食べられるのなら、どうしていつもゆで卵ばかり食べているのですか?」


 再びクシャクシャと照れた瑞穂の口から、不思議な言葉が漏れた。


「……え?」


「……あれ?」


 道行は面食らい、瑞穂もに気づいた。

 瑞穂の今日の大きな目的として、道行の好物を知ることがある。

 それなのになぜ自分は、道行がゆで卵が好きだと知っているのだろう?


 貧乏なブッダの舌を持つ道行は、実際ゆで卵が好物だった。


 道行と空高の両親は共働きであり、双子の弁当を作っている余裕がなかった。

 兄弟とも自分で弁当を作るほどのマメさはなく、昼食を購買やコンビニで済ますことにも抵抗がない。

 むしろ両親の負担が減らせるなら、それに越したことはないと思っている。

 ただ、空高がその日の気分でバラエティに富んだ品を選んでいるのとは対照的に、道行は徹頭徹尾 “ゆで卵” だった。


 寒かろうが暑かろうが雨が降ろうが槍が降ろうが、ゆで卵四個が彼の昼食だった。

 もはやそれは偏食に近いほどだった。

 過度の偏食は精神的な歪みに起因することがあるらしい。

 道行の場合も、あるいはそういうところがあるかもしれない。


 小学校のころは給食があったのでまだよかったが、中学に入学してからは毎日ひとり教室の隅の机で(“おでこ” で殻を割って)、モソモソと卵を食べる道行を見て、クラスメートたちは気味悪がった。


「筋トレしてるのか?」


 隼人がひょろりとした道行を見て訊ねた。

 ダイエットが必要とも思えないので、ビルドアップをしているのかと思ったのだ。


「いや、ただ選ぶのが面倒なだけだよ。物ぐさなんだ、とにかく」


 兄に代わって、双子の弟が苦笑して答える。


「そんなことまで話してるのね」


 貴理子の剣山のようにトゲトゲしい眼差しが、道行に突き刺さる。

 クラスメートの目を気にして、彼女が幼馴染みの少年に弁当を作ってやったことはなかったが、少女の弁当にも毎日ゆで卵があった。

 そしてには、灰原家の家計が少し楽になっていたのだ。


「いや、俺は……」


 道行は言葉に詰まった。

 そんなことまで話していない……はずだ。

 でも何かの拍子にポロリと漏らしてしまったのかもしれない。

 そうでなければ、瑞穂が知っているはずがない。


 瑞穂はといえば、やはりいぶかしく思ったものの、それ以上に残念がった。


(ああ! そういうことなら唐揚げではなく、ゆで卵にするのでした!)


 ――という、わけである。


 そんな瑞穂を見て貴理子の心は、暗く沈んだ。

 このなら他人の目なんて気にせずに、親の敵のように卵を茹でてくるだろう。

 自分よりずっと道行の家のエンゲル係数を下げるだろう。

 貴重な時間を無駄にしてきた、後悔ばかりが膨らんだ。





「……タフなだな」


 空高の呟きに、隼人はどう答えていいかわからなかった。

 視線の先には仮眠を摂る瑞穂の、幸せそうな寝顔がある。

 遅い食事を終えた瑞穂は元気いっぱい、率先して配られていた毛布を借りてくると、全員に配り、率先してくるまった。


 どこででも眠れるのが瑞穂の特技だ。

 普段は熟睡中の時間+六時間歩き通した疲労も合わさり、横になって一〇秒後にはすやすやと寝息を立てていた。

 女子には体育館が専用の仮眠所として割り充てられてはいたが、信頼できる男の子の側の方が安心できるからと、食事をした楠の下で眠ることにしたのである。

 これには貴理子やリンダも同意見で、顔を洗って歯を磨いてくると川の字になって毛布にくるまった。


 少し離れて道行も泥のように眠っていた。

 空高と隼人だけが、なんとなく起きている。


「……学校ではもっと大人しい」


 ようやく隼人は答えた。

 学校での瑞穂は受動的で、控えめな娘だった。

 自分から意見をいうことは滅多になく、常に周りの友人たちを立ててきた。

 それは自分やリンダといるときも同じだった。

 瑞穂がこんな顔を見せるのは――。


「……これは家にいるときの瑞穂だ」


 空高はそれについては何も言わず、


「……でっかい犬ってのは動作が緩慢で、撫でようが耳を引っ張ろうがなされるがままで、吠えたり噛んだりはしないものさ」


 ふたりの会話は噛み合っていないようで、根底で疎通していた。

 少年たちの気持ちは同じだった。

 自分の幼馴染みの少女が抱いて眠る想いが、『恋』以外の何かだと思いたかった。

 ただ安心できる存在に対する、恋情とは別の想いだと。


「……寝るよ」


 空高はそういうと、自分も毛布にくるまって横になった。

 ひとり残された隼人も、やがてならった。


 目が覚めれば、自由歩行が始まる。

 歩行祭に残された時間は四時間。

 その四時間で、高低差のある三〇キロメートルを踏破しなければならないのだ。



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