夜のピクニック ふもっふ ⑫

「……ごめん……」


 道行はスマホの向こうで慌てふためく瑞穂に、謝った。


『もう他の友だちと約束しているから――』


 たったそれだけを伝えるのに、全身のエネルギーが必要だった。

 瑞穂の気持ちを考えると、どうしようもなく胸が痛んだ。

 彼女と歩けなくて残念という気持ちはなかった。

 あったのは、ただただ瑞穂を失望させてしまった辛さだった。


 同時に貴理子の気持ちを考えれば、当然こうしなければならないとも思っていた。


 他人ひとの気持ちを心ではなく頭で考えてしまう。


 道行の悪癖だったが、その悪癖がどちらをより傷つけるか判断すれば、間違いなく貴理子だった。

 そういう道行のいびつさを抜きにしても、先に誘われた貴理子を優先するのは当たり前の良心だった。

 誰かが道行の手から、スマホをさらった。


「――あ、枝葉さん? 空高です。ごめんね、道行のやつ俺たちと先に約束してて。それでどうかな? もしよかったら枝葉さんも俺たちと歩かない?」



「……なによ、あれ」


 家に送られていく道すがら、貴理子が剣呑に呟いた。


「助け船」


 隣を歩く空高がしれっと答える。


「はぁ?」


 こらえきれず貴理子が立ち止まり、空高を睨んだ。


「冷静に考えてみろ。あのまま道行と歩いたとして、道行はずっと枝葉さんのことを考えてるぞ」


「――」


 空高の説明に、貴理子は押し黙った。

 まさしく、もうひとりの幼馴染みの言うとおりだった。

 なるほど道行の性格を考えれば、当然そうなるだろう。

 あののことを考えている道行とずっと一緒に歩くのは、辛すぎる。

 道行との関係が決定的に壊れてしまう危険すら、はらんでいた。


「一緒に歩くのが枝葉さんでも同じさ。その時はずっとおまえのことを考えてる――それでいったい誰が幸せになれるっていうんだ? オファーが被った時点でこうする以外にないんだよ」


 そうして空高は言った。


「彼女と向き合えよ。剣道だって相手が目の前にいなければ戦いようがないだろ?」


 苛立ち、波立っていた貴理子の心が、落ち着きを取り戻していく。

 空高は正しい。確かに正しい。

 

「そうね……空高の言うとおりだと思う。気づかなかった……ありがとう」


「俺だって一緒に歩きたいからな」


 敢えてなのか。

 補語をぼかした空高に、貴理子はハッとした。


◆◇◆


 『合同夜間歩行祭』の当日。

 午後五時に学校の校庭に集合した瑞穂たちはクラスごとにバスに乗って、府中市の多摩川河川敷に向かった。

 河川敷にある運動公園が道行たち北校との集合場所で、スタート地点なのだ。


 到着後すぐに土手沿いの一般道に停車した何台もの大型バスから、約一〇〇〇人の生徒が降車しなければならない。

 交通量の多い時間帯なので安全管理はもちろん、手際の良さが求められた。

 実行委員たちの最初の難所だ。

 降車自体は一〇分も掛からずに終わったが、それでもあっという間に渋滞が発生してしまい、苛立たしげなクラクションが鳴り響いた。


 薄暮はくぼのグラウンドには混雑緩和のために先に到着していた北校の生徒たちが、手持ち無沙汰な様子で整列していた。

 学年ごとに違う三色のスクールジャージが興味深げに、土手から下りてくる瑞穂たちを見上げている。


「ほら早く並ぶ、並ぶ。リタイヤしなければ後で会えるわよ」


 キョロキョロと道行を探して足が止まっている瑞穂を、リンダがうながす。


「そ、そうですね」


 瑞穂はまったくもって、そのとおりだと思った。

 道行たちと歩くには、まずクラスで歩く『合同歩行』を完歩しなければならない。

 六時間の合同歩行を歩ききって初めて、友だち同士で歩ける『自由歩行』に参加できるのだ。


「整列したら蛍光ベルトを着けてくださーい!」


 実行委員の指示にデイパックから安全タスキを取り出して、身につける瑞穂。

 母親が夜のウォーキングで使っている物で、なんとなくだが歩行祭の雰囲気が出てきたような気がした。


「ダサすぎるわ……サイテー」


 安全ダスキを掛けたリンダがぼやきく。

 リンダは学校指定のジャージをダサいと嫌っていたので、ダサいの上にさらに……というわけだ。


「よ、夜だから大丈夫ですよ」


「そもそも夜だから着けるんでしょうが」


「……あ」


 励ますも容赦なく斬り返されて、瑞穂はぐうの音も出ない。


「顔は見えないってことさ――そうだろ?」


「あ、あははは……ですです」


(隼人くん……フォローありがとうございます)


 瑞穂が心の中で隼人に礼をいったとき、LINEのグループに着信があった。


 頑張ろう系のスタンプが三つ並んでいた。

 空高、貴理子、そして道行。

 瑞穂も早速返信をして、リンダと隼人もスタンプを送る。

 自由歩行はこの六人で歩くのだ。その前にリタイヤなんてしてられない。


「とにかく頑張りましょう! 是が非でもがんばりましょう! 何が何でも頑張りましょう! 合同歩行、なにするものぞ――です!」


 瑞穂が小鼻をピスピスさせて拳を固めたとき、両校の校長の短くもそれでも退屈な訓示が始まった。

 そしてそれが終わると、実行委員長がスターターピストルを打ち鳴らす。


 いよいよ一夜限りの興行。

 歩くワンナイトスタンド『二校合同夜間歩行祭』の開演だ。



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