夜のピクニック ふもっふ ⑪

 コンコン、


 コンコン、


 二度ノックしても返事がないので、母親は自室にいるはずの娘に声掛けた。


「娘さん。娘さん。わたしの可愛い娘さん。そろそろお風呂に入りなさい」


 やはり返事はない。

 しかし部屋にいないわけでも、寝ているわけでもなかった。

 なぜなら部屋の中から、


 バタ……バタ……バタ……バタ……。


 という、一人娘が悶々としているときにだけ発生する “音” が響いていたからだ。


「娘さん。娘さん。入りますよ?」


 ガチャ、


 いちおう許しを請うてから、母親はドアを開けた。


「入りましたよ、娘さん」


 バタ……バタ……バタ……バタ……。


 娘の瑞穂は、十畳の洋間の壁際に置かれたベッドにいた。

 うつぶせになって大きめの枕に顔をうずめて、両足をバタバタさせている。

 足の動きが酷く緩慢なことから、帰宅してからずっとこの調子だったことがうかがえる。


「どうしたのです、わたしの可愛い娘さん」


 母親は訊ねた。

 娘は昼間LINEで、学校行事『歩行祭』で必要な品物のリストを送ってきた。

 たいがいの物は家にあったのでそう伝えると、放課後に不足する物を買って帰ると返信してきたのだが、何かあったのだろうか?


「…………してしまいました」


 少ししてから、枕の奥からくぐもった声がした。


「え?」


「…………失敗をしてしまいました」


「なにをです?」


「…………お母さん様。わたしは今日、致命的な失敗ファンブルに気づいてしまいました」


 枕の奥から酷く落ち込んだ声で、娘が言った。


「どんな失敗に気づいてしまったのです?」


「…………『歩行祭』の自由歩行で、道行くんと歩く約束をしていなかったのです」


「なぜ、約束をしていなかったのです?」


「…………今回の『歩行祭』が『合同歩行祭』だったことを失念していたからです」


「それなら今からでも誘えばよいではありませんか。彼とは入学式で『合同歩行祭』について説明されたあとに知り合ったのです。話が前後したのですから、そのようなこともあるでしょう」


「…………そういうわけにはいかないのです。あんな良い人を他の人が放っておくわけがないのです。すでに誘われているに違いないのです。すべては遅すぎたのです。遅かりし由良之助ゆらのすけなのです」


「つまりあなたは本心では彼と一緒に歩きたいのに、出遅れてしまったために後から割り込むわけにもいかず、独り悶々と落ち込んでいる――でファイナルアンサー?」


「…………ファイナルアンサー……」


 バタ……バタ……バタ……バタ……。


 再び元気なく動き出す娘の両足。


「ふむ」


 母親はだいたいの事情を理解し、不器用な娘に同情した。

 そして本人以上に、娘の状況を理解した。

 どうやら可愛い娘は、恋愛脳特有の幸せな空想と不安な妄想が膨らみすぎて、圧し潰されてしまっているらしい。

 自由歩行で誘われてないのは彼にとって、自分は『そのほど度の存在なのだ』とまで思い詰めているのかもしれない。


「そこまで先走ることもないでしょう。まずは軽く話を聞いてみたらどうです?」


 娘の両足がまた止まる。

 それから枕の下から怖ず怖ずと、スマートフォンが出てきた。

 LINEが開かれていて、可愛い娘にようやく訪れた王子様のデフォルトのままのアイコンが表示されている。

 そこ綴られた、かしこまりにかしこまった重~いお誘いのメッセージ。


「少々堅苦しく古風ではありますが、気持ちが籠もったよい文章だと思いますよ? なぜ送信しないのですか?」


「…………きっと断られます」


 娘のかしこまりにかしこまった古風なメッセージを要約すれば、


『今さらこんなことを言うのもなんなのですが、『合同歩行祭』の自由歩行、もし、万が一、億が一、約束がないなら一緒に歩きませんか? うんぬんかんぬん』


 というものだ。


 まったく軽くなくそれどころか漬物石のように重いメッセージだが、可愛い娘から聞かされている王子様の人となりを考えれば、これぐらいで丁度よいとも思えた。


 娘は顔面を枕に埋めたまま、頭上にスマホを掲げている。

 まるでスマホに向かって祈りを捧げているようだ。

 母親はベッドに近づくとスマホに手を伸ばし、“送信” をタップした。


 ガバッ!


「ファアァァァアアアアーーーーーーーーーッッッツツツ!!!!!!!!!!」


◆◇◆


 一方そのころ。

 灰原道行 宅。


「なに落ち込んでるのよ」


 片桐貴理子が、ブスッと言った。


「別に落ち込んじゃいねえよ」


 灰原道行が、憮然と答えた。


「落ち込んでるじゃない」


 貴理子は、納得しない。


「俺ぁ、いつものままだ」


 道行は、答えざるを得ない。


「嘘ばっかり」


 貴理子は、面白くない。


「嘘じゃねえって」


 道行は、なおも否定する。


「……っていうか、なんでいるわけ?」


「いたら悪い?」


「いや、別に悪るかねえけど……」


 午後八時。

 部屋でスマホを見つめて悶々としていた道行がコーヒーを求めて階下に下りると、不機嫌な顔をした貴理子がダイニングテーブルに座っていた。


「情けないわね。自由歩行に誘われなかったぐらいで」


「いや、俺ぁは別に……」


 図星を指されて、道行は狼狽した。

 貴理子は勘の鋭い娘だったが今日はまるで、エスパーかニュータイプだ。


『合同歩行祭』が近づいてきているのに、枝葉瑞穂からその話が一向にでないことに道行は気を揉み、落ち込んでいた。


 自分は瑞穂にとって、そのほど度の存在なのか。

 いや魅力的な彼女のことだ。

 とっくに他の友人から誘われているのだろう。

 それで俺に気を遣わせないように、敢えて話題に出さないでくれているのだ。


(でもそれなら休憩時間に、ちょっと顔を合わせるぐらいの話はあっても……)


 しかし、それすらもない。

 まるで瑞穂の頭から『合同歩行祭』の存在がしまっているかのように、毎日のLINEのやり取りでも話題に上らない。


 道行にしてみれば瑞穂と自由歩行を歩きたいのは山々なのだが、時間が経つほどに沿ういった不安が膨らんでしまい、もはや誘いたくても誘えなくなってしまった。

 そもそも道行はこういったイベントで女の子を誘った経験がなく、タイミングがわからない。


「嘘ばっかり」


 道行の幼馴染みであり、一番の理解者を自任している貴理子としては面白くない。

 自分以外の女の子に誘われず落ち込んでいる道行が、面白くない。

 自分以外の女の子を誘えずに落ち込んでいる道行が、面白くない。

 面白かろうはずがない。

 貴理子こそ、道行が好きなのだから。


「枝葉さんには枝葉さんの都合があるんだよ」


 道行はため息を吐いた。

 瑞穂とLINEでやり取りしていることは、貴理子に知られている。

 ここまで図星を指されると、誤魔化しようがない。


「いいんだよ。元々ひとりで歩くつもりだったし」


 負け惜しみではあったが、事実でもある。

 道行はボッチだ。

 幼少期の影響で孤独癖があり、独りでいることが苦にならない。

 決して人嫌いなわけではないが、他人の中に長くいると精神的に疲労してしまう。

 だから道行から誰かを誘うことは本来なく、そんな道行をクラスメートが誘うこともない。

 両者は交わらず、無用のストレスは生じない。

 WIN WINだ。


「ひとりじゃないわ。わたしが一緒だもの」


 鮮やかに逆胴を打つように、貴理子が言った。


「なに?」


「自由歩行はわたしが道行と歩くの」


「いや、だって前は剣道部の友だちと歩くって……」


 以前に聞いた話では、確かそういう話だった……はず。


「キャンセルしたわ」


「なんだって?」


 道行は面食らった。


「おめえ、そりゃいくらなんでもマズい……だろ」


「なにがマズいのよ」


「だってそれじゃまるで、俺とおめえが……」


「俺とおめえが?」


「……」


 道行は黙り込んだ。

 そして再び口を開き、


「俺ぁ、本当にひとりでも大丈夫だぞ……今までだってそうだったんだから」


「そんなのわかってわるわよ。だから今回は一緒に歩きたいの」


 貴理子はゆらがなかった。


 瑞穂の出現は貴理子に、自身の惰弱だじゃくさを痛感させた。

 怠惰で意気地がなかったために、あとから現れた瑞穂に、道行の心に忍び込まれてしまった。


 だがまだ遅くはないはずだ。

 まだ手遅れではないはずだ。


 瑞穂の出現が、貴理子を本気にさせた。


「……おめえがそうしてえなら」


 道行は鈍感だが、そこまで鈍感ではない。

 目の前の幼馴染みが戯れや、単なる同情で言っているのでないことはわかった。

 だから受け入れた。


 優柔不断とか二股とか、そういう問題でない。

 貴理子の申し出を断れるだけの熱量エネルギーが、道行にはなかったのだ。

 道行の瑞穂への気持ちは確かだったが、熾したばかり火と同じで今はまだ燃え盛るまでにはいたっていなかった。

 道行にとって貴理子は、大切な存在であることは間違いないのだ。


『……~LINE』


 ポケットのスマホが、情けない通知サウンドを鳴らした。

『合同歩行祭』の自由歩行、一緒に歩かないかという瑞穂からの誘い。

 直後に本人からの着信。


『――た、ただいまはお母さん様が失礼をいたしましたぁ!!!』


 道行は心の内で天を仰いだ。

 貴理子は黙って道行を見つめている。



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