第一章 二十九話 野球ノート

 9/14(月)


 今日から板東シニアとの試合まで野球ノートを残すことになりました。目的はその時々の自分の考えや思い、日々の成長の過程を残すというもので、扇さんが皆でやってみたらどうかと提案してくれました。ちなみに都立板東高校野球部でも取り入れている活動だそうです。


 正直、最初なので何を書いたら良いか悩んでいます。


 というのも最初の1ページ目くらいはポジティブな内容を書きたいと思っているのですが、今日を振り返ると正直、苦い内容ばかりになってしまう気がして……。


 でもやはり都立板東高校との紅白戦について触れない訳にはいかないと思います。


 結果から言えば、三回コールド、11対3で私たち区立板東二中の大敗でした。このコールドというのは都立板東高校の最終下校時刻によるものです。


 試合結果を簡単にまとめると守備面では3ランホームランを含む8安打、2失策、3四球、11失点。攻撃の方は7安打、3四球、3得点。


 やっぱり先発登板した私からすれば11失点について重点をおいて振り返りたいと思います。


 まず第一にとても悔しかった。不甲斐ない投球でした。確かに相手はこれまでに対戦したどこよりも強かった。けれど相手の強さに関係なく、今日のような投球をしていたら勝てることはないと感じました。


 打たれた連打、味方の失策、慎重になりすぎて出した四球、それが繋がった結果の大量失点。今日の試合形式的にある程度の連打は仕方ない。味方がミスをしたのなら私がカバーできるような投球をすればいい。際どいコースを粘られるなら根比べで勝てばいい。試合が終わっている今だからそんなことを言えますが、その時の私はどうやっても打たれる、逃げたい、皆に申し訳ない、そんなことを考えていたように思います。


 だけど、そんな私を奮い立たせてくれたのはチームの皆、そして扇コーチでした。


 今日の試合を心に刻んで次は私が皆を助けることができるように技術、心を成長させていきたいと思います。


 ……もっと野球が上手くなりたい。


 久遠夏波


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ふぅ……。」


 時刻は19時半を少し回ったところ。場所は先日、久遠さんと沢井さんで作戦会議を行ったファミレス。そこで僕は学生らしくドリンクバーと軽いホットスナックを注文し、店の隅のテーブル席に陣取っていた。


 一息をつく。まさにそんな表現がぴったりなくらいな一呼吸が漏れた。そんな僕に目の前に座る沢井さんが反応する。


「流石に今までの倍近い量だと目を通すだけでも時間、掛かっちゃいますね。」


 空気混じりのメロンソーダがストローを通る音が2杯目のメロンソーダが空になったことを伝える。けれど、ストローを甘噛しながらも僕の対面に座る沢井さんの目はノートから外れない。


「今日から中学生組も『野球ノート』始めて、単純に倍量だもんね。……というより、僕たちが引退した後も『野球ノート』、続けてたんだね。」


「まぁ自然と流れで継承された感じですねー。」


「……沢井さんの負担になりそうなら別に止めても良いんだよ?元々、僕がやりたくてやってたことだから。」


 始まりは僕が個人的に付けていた日々のトレーニングの記録、試合結果の記録を記したメモ。それが段々目標や考え、思いも記すようになっていき、最終的にそれがチームの皆の取り組みとして波及していった。


 僕が個人的にやっていた『野球ノート』は定期的に内容を見返して、内容を思い出し、振り返るという使い方をしていたのに対し、チームの取り組みとして発展した『野球ノート』はチーム全体の利益になりそうな個人の考え、悩みをチーム内で共有するために使った。だから個々が付けた『野球ノート』をキャプテンであった僕、マネージャーであった沢井さんでチェックし、コメントを返事として付けて戻す、という運用をしていた。


 基本的には日々の部活動の終わりに部員それぞれに記入してもらい、それを僕と沢井さんで分担して持ち帰って自宅にてチェック、コメントを記入して翌日戻す。そのサイクルで回していたけど、いかんせん毎日のことなのでコメントを付けるのが間に合わないこともある。その場合、内容だけ目を通して、コメントは数日分まとめて記入なんてこともやっていた。そしてまとめて書く時には今みたいにこうしてファミレスで沢井さんと作業することが多かった。


 でも僕が引退した今、そのチェックは沢井さんが一人で行っている。


 三年の僕らが引退して人数が減ったとはいえ7人分、それを一人で目を通しコメントを書いていく作業は時間も手間もかかる。新チームになって、自分たちのやり方を模索しより良い方法があれば古いやり方は変えていくべきだ。……そう思って口に出した言葉だったんだけど。


「……別に私、先輩と一緒にこの作業やるの負担に思ったこと、ないです。」


「いや、でも僕、引退しちゃったし……。二人で楽しくても一人だとしんどいとか思わない?」


「まぁ時間はかかりますけど、先輩とやっていく内に段々と楽しくなってきたというか……。皆の頑張っている証、みたいな感じで結構好きですよ、これ。」


「そ、そう。」


 ノートに落としていた視線をふっと上げると僕にしっかり目を合わせながら沢井さんがそう言った。あまりにストレートに発した『好き』という単語に妙に意識が持っていかれる。


「……あー。そ、それで中学生組の内容どう?」


 そんな変な照れを隠すために苦し紛れに出した話題は野球ノートの内容について。この取り組みについては紅白戦の後、簡単なミーティングをする中で咄嗟に出したアイディアだったのでどんな感じで書けているか少し気になっている。


「初めてで急に書いてもらったにしては良く書けていますよ。若干、内容が『気持ち』に寄っているのが気になりますけど。」


「初回だし、それはしょうがないね。」


 確かにざっと中学生組の内容を見た感じ、今日の紅白戦の結果を受けて『悔しい』、『次は勝ちたい』といったような自分の気持ちを素直に書いてくれている子が多い。それと比べ、高校生組の内容は『勝てて嬉しい』、『良かった』という気持ちも表現しつつ、何故勝てたのか、嬉しいと思ったのか、そういう一段深い掘り下げがされている。


 この辺りは流石に高校生組が書き慣れている感じだ。


「でも、この気持ちをストレートに書いてくれている感じ、良いですね。高校生組はちょっと慣れすぎて作業感、出ちゃってますもん。」


 そう。その塩梅が難しい。中学生組みたいに気持ちだけが先行しても後の行動に繋がらないからダメ。かといって、具体的な内容が先行し過ぎてもダメ。僕は『悔しい』、『勝てて嬉しい』といった気持ちが大きいほど次への行動に繋がりやすいと思っている。そういう気持ちは辛く厳しい練習のモチベーションになってくれるからだ。


「うん。やっぱりマネージャーとしては紅白戦も野球ノートも区立板東二中とやれて良かったと思いますよ。………………だって少なくとも神場には火が付いたみたいですから。」


 そう言って沢井さんが苦笑いしながら開いたノートをずいっと僕に差し向ける。


『あの中坊たちとの紅白戦が終わるまでにあの直球ストレートを確実に捉えられるようにする。目標は打率6割5分以上。』


 そこにはそんな一文が筆圧の強い、大きめの文字で書かれていた。打率6割5分といえば、無茶苦茶な目標設定に思えるが、ちゃんと今日の『特殊な試合形式』を考慮して目標設定してあるみたいだ。……まぁぶっちゃけ、目標の妥当性があるのかは不明だけど。


「竜朗、あの三振がよっぽど悔しかったんだね。」


「まぁ悔しさ半分、恥ずかしさ半分って感じじゃないですか?散々夏波ちゃん煽って三振しましたから。」


 あの三振というのは初回の竜朗の第三打席のことだ。


「でも、あれは私も驚きました。ぶっちゃけ竜朗は何だかんだで打つと思ってたんで。まさか本当に直球ストレートだけで抑え込めるなんて。突き指で途中交代した子には申し訳ないですけど、捕手キャッチャーの差なんですかね?」


「うーん。こればっかりは何とも言えないね。仮に上原君と交代しなくても抑える可能性は十分にあったと思うよ。結果的に僕と代わって抑えたってだけで。実際、対竜朗の一打席目の配球は僕もありだと思うし。ただ……。」


「ただ……?」


「今日の結果で見るとあの交代劇が良い感じに『間』として機能したとは思う。それまで完全に止められないって流れをあそこで断ち切れた。」


 これは野球に限らずスポーツ全般に言えることなのかもしれないけど、『流れ』が持つ力は時としてチームに実力以上の力を与える、バフを掛けることもあるしその逆、デバフが掛かることもある。現代の科学は野球をデータ化し、野球のあらゆる要素を数値として可視化してきた。けれどそんな中にあって解析できない、オカルトじみた要素として野球黎明期から言われ続けた言葉として『流れ』は確かに存在している。


 ――『甲子園の魔物』、『魔の七回』プロアマ問わず、そんな様々な言葉で形容される『流れ』は一プレイヤーとして、司令塔捕手として無視できない要素だった。


「あとは、そう。捕手の差っていうよりも久遠さんが上手いこと立て直しできたってことなんだと思うよ。」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「あとは、そう。捕手の差っていうよりも――」


 ……これは言うべきだろうか。言うべきだとして、私はそれを言えるだろうか。


 先輩の今の言い方はまるで夏波ちゃんが自分で立て直せたという感じのものだった。でも私が見た限り、それは違うと思った。何故、夏波ちゃんは立て直せたのか。それはやはり先輩が捕手キャッチャーとして目の前に居たからだと思う。


 もし仮に交代劇がなかったとして、上原君が先輩と同じような配球をしたとして、果たして同じ結果になっただろうか?


 私にはグラウンド内の空気は分からない。でも流れが野球にあるとは観ていて思う。けれど流れとかそんなもの以前に夏波ちゃんの落ちていた気持ちを、テンションを引き上げる何かがその交代にあったのだとしたら……。


 先輩は野球が上手い。けれど何でもかんでも野球に紐づけるせいで間違えることはある。……特に対人間関係周りのコミュニケーションで。結局のところ、どんなに野球が上手くても心の在り方は同年代と同じようなものだ。


「……まぁこれは言えないですよねぇ」


「え、何の話?」


「……べっつにぃ」


 やっぱりこれは言えなかったし、考えていたら何かムカついたので意味が分からずきょとんとした表情をする先輩に素っ気無い反応しかできなかった。

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