第一章 五話 作戦会議
バッティングセンターで自打球により涙目になっていた女子中学生に手を差し伸べたら、野球を教えることになった。
約束の時間の三十分前に
まずは現状の把握だ。久遠さんに持ってきてもらう予定の今までのスコア。これで大まかな敗因と選手個々の成績を数打席分ではあるが、把握できるだろう。流石にデータのみで選手の能力、個性をすべて把握することはできない。そこで練習風景の動画の撮影をお願いしてある。これで技術的な部分が見えてくるはずだ。他に補足があれば久遠さんに聞けば良いだろう。
そして次に敵の分析。都立板東高校では、過去に対戦歴のあるチームの場合、スコアブックの情報に加え、時間があれば試合中のビデオで分析をしていた。対戦歴がない場合、ビデオのみ。いわゆる強豪と言われるチームと試合をする場合は、その辺りの調査は楽だ。強豪チームはあらゆる面で露出が多いから。
今回の場合、シニアチームとの対戦だと言っていた。また久遠さんの双子の弟が所属しているチームだとも言っていた気がする。その辺を考慮して、まずは弟さんの技術レベルを聞いてみよう。もし弟さんがレギュラーだった場合はスタメンを同じようなレベルで想定してみよう。可能であれば相手の練習の偵察もできれば御の字だろう。敵を知り己を知れば百戦危うからず。昔の人は的を射たことを言う。自分たち、そして敵のことを知ったうえで今後の練習方針を二人で決めればいいだろう。
あらかた考えがまとまったところで飲んでいたお茶が無くなっていることに気づいた。いつの間にか結構時間が経過していた。約束の時間までもう少しある。そう思ってお代わりを注ぎに席を立った時、後ろから鈴のような柔らかい声で呼ばれた。
「扇さん、お待たせしてすみません。」
振り向くと声の主がひらひらと控えめに胸の前で手を振っていた。部活の後そのまま来たからだろうか、久遠さんの中学、板東二中の制服——半袖のワイシャツにチェックのスカートという装いだ。急いできたのか少しばかり汗がにじみ、息を切らせている。
「こんにちは。昨日ぶりだね。」
「こんにちは。」
簡単に挨拶を済ませ、メニュー表を渡すと彼女もドリンクバーを注文した。自分のドリンクも無くなっていたので一緒に取りに行く。僕はアイスコーヒー、彼女はアイスティーだ。座席に戻りお互いに一服する。彼女も少し落ち着いたみたいだ。
「ごめんね。部活の後で呼びつけちゃって。疲れてない? 」
「いえ、大丈夫です。練習も午前中だけなので。」
「それでお願いしてたものは大丈夫だった? 」
「はい、スコアがこれです。数試合分しかないんですけど……。動画はスマホで部員全員分撮ってきました。」
彼女はバックの中からバインダーに閉じられたスコアブックを取り出すと申し訳なさそうに言った。
「ありがとう。じゃあ拝見させてもらうね。」
スコアを受け取り中身を確認する。数試合分のスコア。それも自チームの攻撃の記録とランニングスコアだけ。しかし、記載できるところは全部書いてあるし、覚えている範囲で書いたのだろう守備側の目立つ記録は記載してある。
一試合目。日付は二年前の春先だ。久遠さんが一年生の入部したての試合だろう。
区立板東二中 対 区立城南 1対10
(負)久遠 (勝)伊藤
誰がどう見ても完膚なきまでの敗北。特に目を引くのが板東二中の失策10、すなわち一試合でのエラーの数が10個あるということを意味している。一般的にプロ野球や高校野球の強豪の試合なら失策の数が0~3くらいに収まることが多い。技術的に未熟な中学生の試合でも5個くらいだと思う。二桁の失策は多すぎる。
この試合でフォローする点があるとすると板東二中の取った1点、この取り方が良かった。四番が単打で出塁、続く五番の進塁打。そして六番のバント、七番が単打で得点。少ないチャンスをものにした感じだ。
二試合目、三試合目とじっくりスコアを読み進めていく。その間久遠さんは恥ずかしそうに俯いていた。誰だってボロ負けした試合の詳細を見られるのは嫌だろう。特に久遠さんは投手だ。スコアにも負け投手として名前が残る。
そして最後のページ。日付は一番新しい。今年の夏の大会だろう。
区立板東二中 対 区立平高中 3 対 5
(負)久遠 (勝)中里
この試合は得点こそ僅差で一試合目よりも得点も失点も少ないが、内容は一試合目と同様にあまり良くなかった。9安打、5失策、5与四球。まず攻撃面、9安打と毎回安打で出塁も3得点。チャンスは作れたが後の打者に一本が出なかったようだ。そして守備面、これは初めての試合と比較して失策こそ少ないが、その分、与四球の数が増えてしまっている。それでも失点を5点に抑えられたのはむしろ投手がギリギリで踏ん張ったといったところか。一通り目を通したところですっかり氷の溶けたアイスコーヒーを口にして軽く息を吐きだす。
「あのっ……どうでしょうか?」
客観的な視点からどんな評価がなされるのか、勝てる見込みがあるのだろうかという不安な気持ちが表情に出ている。さて、どう話したものかとこめかみに手を当て唸っていたところ、スマートフォンのカメラ特有の電子音が背後から聞こえてきた。
「せ~んぱいっ。」
振り向くと亜麻色のショートカットの髪が目立つ、都立板東高校野球部マネージャー――
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