かんとく!!

雨ノ雫

プロローグ① 出会いはおんぼろバッティングセンターで

 「あ、あの……私に野球を教えてくれませんか?」


 暦の上での夏は終わり、夏の余熱がまだ残る夕暮れの中、薄っすら汗が流れている制服姿の楚々とした涙目の女の子にそんなことを言われた。


 人生を変えるきっかけは劇的で華やかな空間で起こるものだと勝手に思っていたけれど、客の居ないおんぼろバッティングセンターでも案外起こるのかもしれない。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 『野球は筋書きのないドラマである。』――三原 脩みはら おさむ


 金属音と共に白球が青空に吸い込まれる様子を本塁上で眺めながらふと、そんな言葉を思い出した。


 扇 賢吾おうぎ けんご、高校3年生、夏の記憶である。


 記録的な残暑により九月中旬に差し掛かっても尚、夏が終わる気配がない。担任教師が帰りのホームルームを進行している。今日は特に気温が高いからか、真横の窓から伝わる熱気が酷い。特段重要な連絡事項もないことに加え今日は金曜日だ、クラスメイトも担任教師の話をあまり聞いていないようで、各々帰り支度を始めている。そんな様子を頬杖で無気力で眺めている間に終業のチャイムが鳴り響く。


 二学期が始まって受験勉強も佳境に入り、最近は予備校に通う為、学校が終わると早々に帰宅するクラスメイトが増えてきたように思う。僕もそそくさと帰り支度を済ませ、クラスメイトとの挨拶もそこそこに昇降口を抜け学校を後にした。


 駅へ向かう坂道に陽炎が立ち昇っている。


 僕たちの夏が終わった日も今日のように蒸し暑かった。だからだろうか、嫌でも思い出してしまう。 本来なら受験生らしく速やかに帰宅して参考書と格闘すべきだろうが、そんなことを思い出すと如何せん気が乗らない。そんな毎日をここ一か月繰り返していた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


「……今日も行くか。」


 誰に言うでもなく零れた言葉とともに通学路を少し逸れた道へ歩みを進めていた。


 学校の最寄駅から数分歩いたところで緑色のネットに覆われた鳥かごのような建物が視界に入ってきた。建物を覆う防球ネットに『マルゴバッティングセンター』と看板が掲げられている。


 僕が小学生の頃から通っているバッティングセンター(通称、マルゴ)だ。築何年なのかわからないけれど年季が入っている建物であることは確かだと思う。


 建付けの悪い入口をくぐると、あるのはバッティングケージが5つとベンチ、自販機と両替機。無駄をそぎ落とした作りになっている。バッティングケージは入口から順に球速130km/h、110、100、90、施設最奥のケージが80と最も遅い設定となっている。休日は近所の少年野球の子供たちで賑わうけれど、今日は平日ということもあり110kmのケージに一人先客が居るだけみたいだ。


 いつものように管理人のおじいさんに軽く挨拶をして、入口近くのベンチに通学用のリュックを置いて、中から貴重品と愛用の打撃用手袋を制服のズボンのポケットに入れる。守備用手袋、捕手用ミットを装着し、130km/hのケージに入る。小学生の頃からバッティングセンターの1セット目はマシンからのボールを捕球するようにしている。


 小銭投入口に200円を投入するとマシンに赤いランプが点灯する。ちなみにここは200円で30球打つことができる。


 目が慣れていない状態でいきなりマシンに正対すると危険なので、始めは正対せずに打者と同じ立ち位置を取る。 目が慣れてきたところで本来の捕手の捕球位置に移動して捕球姿勢を取る。ミットの中心でボールを捉えるイメージで淡々と捕球していく。少しでも捕球位置がずれると捕球時に良い音が響かない。マシンの稼働音と捕球時の乾いた皮を叩きつけたような音がリズミカルに響き渡る。しばらく捕球を繰り返すうちに1セット目が終了した。


 今度は打撃用の用具を準備する。2セット目はバッターズボックスに立ち、送りバントの構えを取る。これは野球経験者あるあるだと思うのだけど、野球経験者は良くバッティングセンターの打ち始めの数球をバント練習に充てる。それに倣い僕もライト線、レフト線を狙い交互にバントする。ある程度バントを行ったところでようやく打ち始める。ボールを引き付け、自分のフォームが崩れないようにミートして打つ。

バントと同様にレフト戦、ライト線、センターラインに打ち分けていく。今抱えているモヤモヤとした感情を打ち払うように打ち続けた。


 もうすぐに夕方に差し掛かる時間になるというのに気温が下がる気配はない。そんな中、運動しているものだから2セット目を打ち終える頃には汗が滴り落ちるくらいには体が熱を帯びていた。マシンに点灯していた赤いランプが消えたことを確認して、ケージを出る。


 汗で失った水分を取り戻すように体が水分を欲している。ベンチ後方の自動販売機でスポーツ飲料を買って一気に飲み干す。火照った体を少し落ち着けるためにベンチに腰掛けたところで違和感に気づいた。


「そういえば、隣のケージ静かだったな……。」


 集中していたので打席に立っている間はあまり気に留めなかったけれど、隣の110km/hのケージでマシンは稼働していた。しかし、改めて振り返ると隣のケージから弾き返される打球を見ていない気がする。いや、それどころか打音さえ聞いていない。


 どんな人が打っているのだろう。逆に気になってくる。斜め前のケージに視線を移す。


 学生だ。しかも女子の。


 ちょうど視線を移した時にアーム式のマシンが次の球を装填し始めた。アームの動きに合わせてその子が構える。


 右打席に立つ女の子のバッティングフォームは綺麗だった。スクエアスタンス――打席に立った時の足の位置取りには色々種類はあるけれど、その中で最もオーソドックスな構え。投手と捕手を結んだ直線に対して打者の両足が平行となる位置を取る。

そして上体は力まず自然体。


「野球経験者なのかな?」


 明らかに指導を受けたことがあるバッティングフォームをしている。バッティングセンターに客として女性がいることは良くある。


 しかし、野球少年の付き添いで来るお母さんであったり、カップルがデートで来たり、学生が友達連れで利用するケースがほとんどだ。一昔前と違い野球の女性人気は広がったが、競技人口の面で考えると男性プレイヤーと比べて女性プレイヤーはまだまだ少ない。


 そしてボールが放たれるタイミングで打撃の予備動作、すなわちテイクバックを取り……


 美しいフォームからの豪快なフルスイング。――――そして空振り。


 空振りを特に気にすることなく女の子は再び構える。


 二球目、空振り。


 三球目、空振り。


 見事なまでの空振り三振だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る