第41話 トマトソースが好きな人

 その頃ティアナの店には、キースが訪れていた。


「ねえ、ティアナ。今日の夕食は何?」


「今日は白身魚のソテーよ。トマトソースにするかホワイトソースにするか迷ってるの」


「トマトソースが良いなぁ。ガーリックとペッパーをきかせてさ」


「なるほど、おいしそうね。ショートパスタを添えましょうか」


「いいね! それにしよう」


 ティアナが小首を傾げる。


「っていうことは、今日の夕食はここで食べるってことね?」


「うん、そのつもりだ。だめかな……」


「ダメじゃないわ。そうなるとちょっとパンが足りないかな。買いに行ってくるわ」


「良ければ私が行ってくるよ」


「あら! 助かるわ。シェリーの店はわかる?」


「もちろん。パンは何を買えばいい?」


「トマトソースに合わせるならライ麦がいいかな。でもバゲットも良いかも」


「わかった。じゃあひとっ走り行ってくるから」


 キースが勢いよく店を出て行った。

 ティアナが指を折りながら、今日の夕食に来る人数を数える。


「えっと、今日はララとウィスとキース、それとクレマンと頭取も来るから……6人ね」


 自分で納得し、取り出した白身魚の切り身に下味をつけ始める。

 トマトの皮をむきつつ、潰したガーリックをたっぷりのオリーブオイルで焼いていく。


「ただいま」


「あら、早かったのね」


「うん……」


「どうしたの? キース」


「いや、ちょっと見たくないものを見ちゃってね」


「なに?」


「いや、君は知らない方が良い」


「気になるわ」


「そりゃそうだよね。あとでみんなが揃ってから話すよ。それより何か手伝えることがあるかな?」


「今は大丈夫よ。それよりキースの引っ越しは進んでる?」


「私はウィスが出て行ってくれないと入れないからまだ先の話さ。それに引っ越すって言っても別宅だからね。趣味の部屋みたいなものだし、ベッドと簡単なテーブルセットがあれば十分だ。食事はここでとるしね」


「ベッドは必要よね。でもキースがゆっくり眠るなら大き目な方が良いわよね?」


「そうだね、寝相は悪くは無いけれど、最低でも寮のベッドよりは大きくしたいな。寮のは騎士用で大き目なのだけれど、もう少し広くないと……ね?」


 ティアナが不思議そうな顔をした。

 キースがニヤッと笑って話を逸らす。


「そう言えばここの家具はとても良いよね。どこで買ったの?」


「これは職人さんに作ってもらったのよ。良ければ紹介しましょうか?」


「別注かぁ、それも良いね」


「ケントさんっていう人よ。お隣の床屋さんに紹介してもらったの」


「床屋さん? ルイザさんだったっけ」


「そうよ。後で話しておくわ」


 そこでララが顔を出した。


「ねえ、ティアナちょっと手伝って……ってキースさん? 来てたんだ。丁度良かったわ、少し手伝ってくれない? ティアナに頼もうと思ったのだけれど、あなたがいるなら百人力だわ」


 キースが立ち上がる。


「何か運ぶの? じゃあティアナ、ちょっと行ってくるよ」


 ティアナは二人を見送り、トマトソース作りに戻った。

 それにしても先ほどのキースの言葉が気になる。

 私は知らない方が良いことって……

 先ほどまでウキウキとしていた心に落ちた一点の黒いシミが、じわっと広がっていくような気持ちになる。


「シェリーさんに何かあったのかしら……」


 気にはなるが、後で話すと言っていたキースを信じて、ティアナは塩が沁み込んだ魚の切り身に小麦粉をまぶし始めた。


 トマトソースも出来上がり、キースが買って来たライ麦パンも温まっている。

 あとは魚を焼くだけという状態にして、テーブルセッティングを始めた。

 ララもウィスもキースもまだ戻ってこない。


「お邪魔しますよ」


 入ってきたのはクレマンと頭取だ。


「お元気そうですね。それにとても良い香りだ。急に食欲が出てしまいました」


 笑いながらそう言うと、頭取が土産に持ってきたワインを数本テーブルに置いた。


「グラスはいくつかな?」


 慣れた手つきで食器棚を開けるクレマン。


「今日は6つよ。魚料理だけれどトマトソースにペンネを添えるつもり」


「では白も赤も合いそうだね。皿は大皿にするかい?」


「ええ、二つに分けるけど大皿にするわ」


「では取り皿も用意しておこうね」


 クレマンが手際よくテーブルセッティングを進める。


「本当に手伝っておられたのですね……驚きました」


 目を見開く頭取にクレマンが言った。


「ええ、本気でやってましたよ。とても楽しい時間でした。もしかしたら私は執事よりも商会の支店長よりも、食堂のおやじが向いているのかもしれません」


 三人が笑っているとララ達が帰ってきた。

 ウィスとキースは汚れを洗い流してきたようで、さっぱりとした顔をしている。


「じゃあ焼き始めるわね」


 着替えに上がったララがすぐに戻ってきて、ティアナの横に立った。


「パンは焼く?」


「ええ、お願い。カリッと焼いてちょうだい」


 キースがクレマンと頭取と挨拶を交わしている間に、ウィスがワインの栓を抜いた。

 全員がテーブルにつき、和やかな雰囲気の中で食事が始まった。

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