第15話 世間知らずです
「あれ? さっきのお嬢さんじゃないか」
トマスはニコニコと笑いながらティアナの頭に手を置いた。
「このお嬢さんは僕の大切な友達なんだ。さっき聞いたら配達までしてもらえるって喜んでいたから、僕からも礼を言おうと思ってね」
「は……ははは……そういうこと? 参ったな……」
「今後とも僕の友人をよろしくね」
肉屋の親父が苦笑いをしてる。
そんな事などお構いなしに、今度は八百屋に突撃するトマス。
ティアナはどぎまぎしながら引っ張られていくしかない。
同じような会話を繰り返し、同じような反応を見せられながら店をでる。
「あのね、ティアナちゃん。言い値で買っちゃだめだよ。あちらも値切られるのを加味して値段を決めているから大丈夫。絶対に損はしない」
「そういうものなのですか」
「うん、そういうものなのです。心配な子だなぁ。あとはどこに寄るの?」
「あとはパン屋さんに行くつもりでした。昨日教えていただいたサンドイッチがすごくおいしくて」
「ねっ! あそこのおいしいでしょう? じゃあ一緒に行こう」
「え? え? え?」
戸惑うティアナの手をがっちり握って歩き出すトマス。
ティアナはもういっぱいいっぱいだった。
「私の心臓……もつかしら」
「ん? 何か言った?」
ぶんぶんと首を横に振り、走るようにトマスに着いて行くティアナだった。
「あら、いらっしゃい。トマスじゃない。今日も来てくれたんだ」
「ああ、シェリーのパンがおいしいってこちらのお嬢さんが言うから案内してきたよ」
「まあ! ありがたいわ。昨日のお嬢さんね? 毎度御贔屓にありがとうございます」
焼きたてのパンの香りに包まれつつも、ティアナは複雑な心境だった。
この二人の空気感は何だろう。
とても親しそうだけれど、それ以上に親密な感じだ。
「ん? どうしたの? ティアナちゃん。欲しいパンがない?」
「えっ、違います。どれもおいしそうで迷ってしまって」
「うんうん、そうだろう。シェリーが焼くパンは最高だからね。僕の大好物なんだ」
「そう……ですか。えっと……これとこれと……これを下さい」
シェリーが不思議そうな顔をする。
「そんなに家族がいるの?」
ティアナの代わりにトマスが答える。
「違うよ、シェリー。ティアナちゃんは角の店で食堂を開くんだ。今は準備中」
シェリーの笑顔が弾ける。
「あそこで? 改装してたとこ? 一等地よね。いつ開店なの?楽しみだわ」
「まだはっきりとは決めてなくて……でもできるだけ早くとは思っています」
「そうなのね? パンも自分で焼くの?」
「いえ、パンは仕入れようと思っています。一人でやるので手がまわらないので」
「そういうことなら協力させて下さいな。卸価格はここに書いてある値札の8割でいいわ」
「え? そんなに安く?」
「毎日買って貰えるのだもの、そのくらいはさせてもらうわよ」
「ではその時にはよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますね。でもうちは配達はしてないのよ。大丈夫?」
トマスが口を挟んだ。
「シェリーのパンなら僕が毎日届けてあげるよ。どうせ出勤前には焼けているんだから」
「そうね、あの店なら出勤の途中だものね。よろしくね、トマス」
トマスがふざけるように敬礼した。
ティアナは口から心臓が飛び出すような気分を味わった。
「あの……私、お昼までに戻らないといけないのでそろそろ……」
「ああ、ごめんなさいね。すぐに包むわ」
シェリーがバゲット三本を紐で縛り、くるくると紙で包んだ。
「頑張ってね、ティアナちゃん」
シェリーがトマスの真似をしてティアナの名を口にした。
ティアナは引き攣りそうになるのを何とか抑えて、笑顔で礼を言った。
「送っていくよ、ティアナちゃん」
「大丈夫です。これくらいならぜんぜん持てますから」
少し驚いた顔をするトマスにも笑顔を向けて、ティアナは店を出た。
バゲットを抱えて速足で歩く。
少しでも早くあの店から遠ざかりたいと思っている自分に嫌気がさした。
自宅に着いた頃には、ほとんど走っていたティアナの息が荒い。
「どうしたのよ、走ってきたの? まだ来てないから大丈夫だったのに」
顔色の悪いティアナを心配してルイザが通りまで出てきた。
「大丈夫です。ちょっと遅くなったので」
「来たらお店に行かせるわ」
「よろしくお願いします」
急いで店に入り、水をごくごくと飲んだ。
「あんなに親切にしてくれたのに……悪い子としちゃった」
自己嫌悪に陥っても、もう過去のことだ。
椅子に座ってぼんやりと買ったばかりのバゲットを眺めていると、八百屋の親父がドアを開けた。
「たくさんにありがとうね。店を開くんだろ? 安くしとくからこれからもよろしくね」
「はい、こちらこそ」
「トマスの紹介だから。これオマケだ」
大きなレモンが10個入った紙袋を渡された。
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