第13話 旦那さんの食事

 初日の仕事が終わると、旦那さんが夕食を用意してくれた。いつも、店内で食事は済ませているらしい。昼食は、昼時が落ち着いて手が空いた時に旦那さんが作ってくれた賄いを食べた。お店の空いている席で、一人で食べたのだが凄く美味しかった。

 ほのかなバターの匂いがする丸いパンに、ミルク仕立ての野菜のスープ。そしてキッシュ。このキッシュが、ベーコンとほうれん草が入ったシンプルなものながら塩味のきいたしっかりした味が美味しい。

 修道院では、最低限の食材で作ったものだったので味がどれも薄味で美味しいとは無縁だった。久しぶりの美味しい食事に、口に入れただけで顔がほころぶ。働けるのが、美味しい食事を食べられるところで良かったと心底思う。


 だから、夕食の用意ができたと聞いてワクワクしてしまったのだ。食堂の丸テーブルには、すでに夕食が準備されていて初めて三人でテーブルを囲う。


「初日で大変だったろう? よく働いてくれて助かったよ」


 女将さんが、そう笑顔で言うとグラスの水に手を伸ばす。


「いえ、私、接客業なのに服装も顔の傷も無頓着ですみませんでした」


 キャロルは、素直に頭を下げて謝る。何事も最初が肝心だから、あやふやにしない方がいい。


「聞いてもいいのか迷ったんだよ……、その傷はどうしたの?」


 女将さんが、聞きづらそうに訊ねる。キャロルはどう言おうか考えながら、頬の傷に手を添えながら言葉にした。


「この傷は、自業自得なんです……。私、今まで良い人生を歩んで来なかったので……」


 キャロルは、言える範囲で正直に話す。躊躇なくこの傷を作った、アルベルト殿下のことを思い出すと少しは怒りが沸く。でも、この程度で済ませてくれたことに感謝もしていた。


「そうかい……。修道院に入るくらいだから色々事情があるんだろうが……。折角の綺麗な顔がもったいないね……」


 女将さんは、今日会ったばかりなのに自分のことのように残念がってくれる。


「……あの、この傷隠した方がいいですよね? お客さん、今日みたいにびっくりしちゃいますよね?」


 キャロルは、思っていたことを訊ねる。明日は、ガーゼなどを張って隠すことも考えていた。


「キャロルが、隠す必要を感じてないならそのままでいい。うちは、殆ど常連しか来ないから一回見たらそれで終わりだ」


 黙って、自分の作った夕食を食べていた旦那さんが口を開いた。


「そうだね。隠すのも毎日だと面倒臭いだろ? 気にしてないなら、そのままでいいよ」


 女将さんも同意してくれる。キャロルは、それを聞いてそれならこのままでいようと思う。只でさえ、言えないことが多いのだ隠し事は少ない方がいい。


「はい。では、このままでいきます。何か問題があったらすぐに言って下さい」


 キャロルは、頭を軽く下げる。良い人たちで、本当に良かったと胸を撫で降ろす。


「さあ、食べな。この人のご飯は美味しいんだよ」


 女将さんは、自信満々だ。キャロルは、お昼に食べた賄いを思い出して笑顔が零れる。さっき食べた昼食は本当に美味しかった。期待の眼差しで料理を見て、目の前にあるお皿の料理に手を付ける。

 鶏肉を、小麦粉でまぶして揚げてある。さっきから、醤油の香ばしい匂いがして気になっていたのだ。一口口に入れると、サクサクしていてお肉がジューシーで美味しい。自然と顔が笑顔になる。


「このお肉、とっても美味しいです。お昼の賄いも凄く美味しくて、感動でした」


 キャロルは、口に入れたお肉を飲み込むとそう言って旦那さんの顔を見る。


「なら良かったよ。食べ物の心配だけは、する必要ないから安心しろ」


 旦那さんが、ちょっと頬を赤くしながら言う。


「なんだい、あんた照れてんのかい? 美味しいなんていつも言われてるだろ? キャロルみたいな若い子に言われたからかい?」


 女将さんが、揶揄っているのか笑っている。


「うるさい。ほらっ、さっさと食べて片づけるぞ。今日は、早く寝た方がいい」


 旦那さんは、フォークに手を伸ばして食事を続ける。キャロルも、美味しい食事を遠慮なく頂いた。

 食事が終わると、洗い物はキャロルがさせてもらうことにした。二人とも、仕事は終わっているからと遠慮していたが、これくらいはさせて欲しいとお願いした。

 こんなに美味しい食事を毎日頂けるのだ。食器洗いくらいして当たりまえだ。キャロルが、食器を洗い始めると二人は先に二階に上がっていった。

 すると賑やかだった食堂が、シーンと静まり返る。食器を洗い始めると、キャロルが洗うカチャカチャという音だけになった。そんな空間で無心でお皿を洗っていると、頭の中はこれからのことを考え巡らす。ここなら無理なく続けていける。

 当面は、お金を貯めることを第一にして目標を達成したら次のステージに進む。焦らずに、一歩一歩だと自分に言い聞かせた。


 店の片付けを終わらせたキャロルは、階段を上って自分の部屋へと向かう。扉を開けると中は真っ暗だ。床の上にあった、ランプに火を付けベッドの脇にあった机の上に置いた。ベッドの上に腰かけて息を深く吐く。


「今日は、流石に疲れたかも……。でもなんか、働く感じが懐かしい。カロリーナは、働くなんて冗談じゃないって怒ってそうだけど。色々なバイトをしていたのを思い出すな」


 キャロルは、ポツリと独り言を言う。修道院では、一人になる時間が全くなかったので久しぶりに気が抜ける。マリーに気を使って我慢していた訳ではないが、やはり他人と同じ部屋で生活するのは疲れたみたいだ。ベッドの上を見ると、天窓から星が瞬いているのが見える。


「カロリーナ、ちゃんとディルクとララは許さないから安心してね。この小さな屋根裏部屋から始めるけど、必ずあの場所に戻って見せるから」


 キャロルは、瞬く星に向かって言葉を溢す。自分の決意を言葉に出しておかないと、その気持ちがどこかに行ってしまいそうだったから。

 その日のキャロルは、心地よい疲れと共に夢も見ずに朝までぐっすりと眠った。


 翌朝、天窓から注ぐ陽の光で目を覚ます。屋根の上に鳥でもいるのか、外からチュンチュンと鳴く声がする。キャロルは、眠い目をこすりながら体を起こして伸びをした。凄くよく眠れたし、体もスッキリしている。ベッドから起き出し、昨日女将さんから頂いたワンピースに着替える。

 流石にこればっかり着ている訳にいかないので、昼の休憩時にでも洋服を買いに行かせてもらうつもりだ。


 階段を二階まで降りると、お店の方から音がしていた。だからそのまま、一階まで降りる。すると、もう旦那さんが朝ごはんの準備をしていた。


「おはようございます」


 キャロルは、元気一杯に挨拶をした。


「ああ、おはよう」


 旦那さんが、鍋を掻きまわしていた。昨日と変わらず、こちらは見てくれない。


「何かお手伝いすることありますか?」


 キャロルが、厨房の方に行って訊ねた。


「いや、こっちは大丈夫だ。二階に行ってコニーの手伝いをして来てくれ」


 キャロルは、「はい」と返事をして二階に戻る。夫婦の部屋の扉を叩くと、中から返事が聞こえたので扉をあけた。そこは、リビングのような部屋だった。中を覗くが、女将さんはいない。


「こっちだよ」


 さらに奥から女将さんの声が聞こえる。声が聞こえた方に行くと、女将さんが洗濯をしていた。


「あんた昨日、疲れてシャワーも浴びずに寝ちまっただろ? まだ早いから、シャワー浴びといで。この奥だから。タオルも棚にある物つかっとくれ。」


 そこには、水回りが集約されていて洗濯場とシャワーと洗面台が置かれていた。キャロルは喜ぶ。本当は、シャワーも浴びずに寝てしまったのを後悔していたから。今日一日、我慢しようと思っていたのだ。


「すみません。では、使わせて頂きます」


 キャロルは、そう言うと女将さんが洗濯をしている先に足を向ける。一番奥に扉があって、中はシャワー室になっていた。素早くシャワーを浴びて部屋に戻ると、女将さんがベランダで洗濯を干している。


「女将さん、何か手伝うことありますか?」


 キャロルは、ベランダに出る窓から顔を出して訊ねた。


「ああ、じゃあこの部屋と、お店とあと自分の部屋を箒で掃除してくれるかい?」


 女将さんが、洗濯物越しにしゃべりかけてくる。


「はい、わかりました」


 キャロルは、笑顔で返事をして箒を掴むとさっそく部屋の掃除を始める。女将さん夫婦は、とても綺麗好きなようで散らかった気配がない。

 部屋の中は綺麗に整えられている。お店をやって忙しいだろうに、こんなに綺麗にしていて凄いなと素直に感心した。


 朝、女将さんが掃除や洗濯をしている間に旦那さんが朝ごはんを作ってくれている。朝の仕事が終わると、今まではゆっくり二人で朝ごはんを食べていたのだそう。

 今日からは、キャロルも加わった三人でテーブルを囲う。今日の朝ごはんもとても美味しい。しかも野菜たっぷりのスープとふっくら焼き立てのパン、それと目玉焼き。朝から、しっかり栄養バランスのとれた食事が食べられて幸せ過ぎる。

 修道院にいた時は、そこしか自分の居場所はないと思っていたから気にしていなかったけれど、やはり食べ物は相当我慢していたみたいだ。

 美味しい食事を食べられることが、こんなに幸せだなんてびっくりする。この御恩は、働くことで返していくぞと改めて気合を入れた。


 三人で、朝食を食べ終わると昼からのお店の準備に取り掛かった。

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