第12話 初仕事
キャロルは、少ない自分の荷物を部屋の隅に置いた。ドレスを売ったお金と宝石を、どこにしまえばいいか考える。泥棒に取られるってことはないだろうけど、引き出しのような物や金庫も無いしただ部屋に置いておくのは心元ない。
とりあえず、シーツが畳まれたままベッドの上にのっていたのでそれの間に挟んでおく。休憩もせずに、さっき上がって来た階段を一階まで降りた。
厨房の中から、食材を焼いている音が聞こえ店の中は良い匂いで包まれている。どれくらいお客さんが来るのだろう……。カウンターの奥にある厨房に入っていくと、旦那さんと女将さんが忙しく動いているのが目に入る。なんて声をかけようか戸惑ったが、そのまま女将さんと呼ぶことにした。
「女将さん、準備できました!」
キャロルは、元気な声で言った。
「じゃー、こっちに来てくれるかい?」
女将さんが、キャロルに向かって手招きしたので彼女の近くに寄った。すると厨房の奥にある、物置からエプロンと三角巾を持ってきてくれた。
「これを付けてくれるかい?」
キャロルは、エプロンと三角巾を受け取る。前世では、使ったことがあるので難なく自分で付けられる。その姿を女将さんは、じっと見ていた。
「あんた、今更だけど。もうちょっとマシな格好の方がいいね。うち一応、食堂だし。エプロンで隠れるとはいえ、継ぎはぎだらけの服じゃないか」
女将さんが、キャロルの姿を上から下までざっと見る。キャロルも、自分の格好を改めてみる。確かに、接客業をするにはちょっと酷いかもしれない……。
服の布自体が薄汚れていて色が褪せている。今までは、余裕がなくて安さ優先で服を選んでしまった。働く場所によって、考えなければいけなかったと反省する。
「すみません。先のことがまだわからなくて……。服にお金をかけられなくて……」
自分のみすぼらしい格好が、一気に恥ずかしくなる。
「ああ、そうだよね。じゃー、ちょっと待ってな」
そう言って、女将さんは厨房を出てまた階段を上って行ってしまった。キャロルは、手持ち無沙汰でポツンと佇んでいた。暫くすると、女将さんが戻って来た。
「お待たせ。これ、娘が若い時に着ていた服なんだよ。古いけど、それよりマシだから着替えてきな。この奥が、食品の倉庫兼物置になっているから」
そう言って、女将さんにワンピースを手渡される。
「ありがとうございます。急いで、着替えて来ます」
キャロルは、服を手に奥の倉庫に向かう。扉を開けると、野菜や果物などが目に入った。扉をしっかり締めてキャロルは手早く着替えた。
よく見もせずに着替えたのだが、クリーム色のシンプルなワンピースだった。腰で切り替えが入っていて、フレア部分にギャザーが入っている。クルッと回ると、ふわっとスカートが膨らむ。
キャロルが着るにはちょっと可愛い過ぎる。まだ、どこか他人事のように思えてならないのだが、キャロルはかなりの美人なのだ。なので、服も可愛いよりは綺麗系が似合うと感じている。
でも、そんな贅沢なことは言っていられない。着替えが終わると、そそくさと倉庫を出て厨房に戻った。
「女将さん、ワンピースありがとうございます」
キャロルは、女将さんの元に行ってお礼を言った。
「うん。可愛いじゃないかい。キャロルにあげるから好きに着な」
女将さんは、にこにこ笑って嬉しそうだ。
「はい。大切に着させてもらいます」
キャロルも、笑顔を溢す。記憶を取り戻してからの自分は、優しい人ばかりに助けられて幸運だ。今までの自分のことを思ったら、本当に情けなくて後悔ばかりが押し寄せる。キャロルは、首を振ってネガティブな思考を振り切る。今は、そんなことを考える時じゃない! とにかく、目の前にある仕事を頑張ろう。
「じゃあ、早速だけどテーブルと椅子を拭いてきてくれるかい?」
女将さんが、布巾をキャロルに手渡してくれたのでそれを受け取ってホールに足を向けた。店内を見ると、四人掛けのテーブル席が4つ。カウンター席が8席。全部で24席だった。
キャロルは、女将さんに言われたようにテーブルと椅子を丁寧に拭いていく。特に汚れている場所もなくすぐに終わる。タイミングを見計らったように、女将さんが厨房から出て来た。
「拭き終わったね。じゃー、店を開けるから」
女将さんは、店を出て入口に降ろしていた準備中の札を営業中に変えていた。店の中に戻ってくると、キャロルに今度はこっちだと付いて来るように言う。
「あんた、もうこれは洗っても大丈夫かい?」
女将さんが、流しに置かれ使い終わった鍋などの調理道具を指さして言った。
「ああ、頼む」
旦那さんは、フライパンを動かしながらこっちも見ずに返事だけした。
「じゃあ、キャロル。ここにある洗い物を順番に頼むよ。洗い終わったのは、この布巾で拭いて横に置いていけばいいから」
女将さんが、丁寧に教えてくれる。
「はい」
キャロルは、返事をすると早速洗い物を始める。暫くすると、段々とお客さんが入ってきた。お客さんが入って来ると、女将さんが席に案内して注文を聞いているみたいだ。ホールの方が気になりながらも、無心で洗い物をしていた。注文が入り始めると、洗ったそばから旦那さんが、鍋などを持っていって調理に使っている。これは、結構重労働かもしれないとキャロルは気合いを入れた。
洗い場が少し落ち着いたかと思ったら、女将さんに呼ばれた。
「キャロル、お皿下げてもらえるかい?」
キャロルは、濡れた手をエプロンで拭いてホールに出る。すると、店内の客の視線が一気に自分に集中した。キャロルは、突然の視線にたじろぐが逃げずにホールを見回し食べ終わった皿がある席を見つけた。一番入口に近い場所で、店内を突っ切るしかない。
「コニーばあちゃん、新しい人雇ったのかい?」
我慢できなくて、女将さんに訊ねるお客さんがいた。
「ああ、キャロルって言うんだよ。綺麗だからって、ちょっかいかけるんじゃないよ!」
女将さんが、お客さんに釘を刺す。キャロルは、どう反応するべきか悩む。一応、訊ねたお客に向かって会釈だけした。
顔を上げた時に、ホールにいた客が驚いたみたいだった。その反応にも動揺することなく、淡々と空いたお皿をお盆に乗せる。その最中も、店内の客の視線がキャロルの顔に突き刺さる。
「ねーちゃん、その傷……。勿体なさすぎるだろ」
無遠慮な客が、キャロルの傷を見て言った。キャロルは、すっかり顔の傷のことを忘れていた。修道院では、誰も聞いてこなかったしそもそも鏡を見る機会が殆どなくて気にしていなかったのだ。
結局手当は、自分で簡単にしただけだったから結構はっきりと傷跡が残っている。確かに、女性で顔にこの傷はびっくりするかもしれない。
女将さんも旦那さんも、何も言わなかったから隠すのを忘れていた。
「えっと、あの……」
キャロルは、咄嗟のことで頬に手を当てて言葉に詰まってしまう。
「あんたは、デリカシーってものがないのかい! だからモテないんだよ。キャロル、いいから食器持ってっとくれ」
女将さんが、助け舟を出した。言われた男性は、顔を赤くして気まずそうだ。他の客たちも、女将さんの一言でキャロルへの視線を落とす。止めていた手を動かし、料理を食べ始めた。
厨房の流しに戻ったキャロルは最初が肝心なのにと落ち込む。服装といい、外見といい、接客業なのだからもっと気を使わなければいけなかった。お客さんに、不快な思いをさせてしまっただろうかと気に病む。
「おい。キャロル、気にするな。お前が綺麗なことに変わりない」
今までずっとキャロルに背を向けて、料理に向かっていた旦那さんがわざわざ振り返って一言そういった。キャロルは、俯いていた顔を上げて旦那さんの顔を見る。怖そうな旦那さんで、ちょっと気後れしていたのに……。突然向けられた優しさに戸惑う。だけど、嬉しい言葉に違いなかった、
「はい。旦那さんがそう言ってくれたから、もう気にしません」
キャロルは、零れそうになる涙をぐっと耐える。予期していなかった優しさを向けられ、心が緩んでしまったのだ。だけど、こんなことぐらいで泣いていい私じゃない! ぐっと奥歯を噛み締めた。
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