第6話 アリスとマリー

 キャロルは、就寝前の自由時間に今日修道院長から言われたことを考えていた。基本的に計算と言えば、たす、引く、かける、割るがある。

 どうやって教えればいいだろう? とベッドに寝そべって考える。すると、扉を叩く音が聞こえた。


「私、アリス。入ってもいい?」


 キャロルは、朝アリスに髪を切ってもらう約束をしていたことを思い出す。修道院長に言われたことが印象強くて、アリスとの約束をすっかり忘れていた。


「マリー、アリスに髪を切ってもらう約束があって……。入って貰ってもいい?」


 キャロルは、ベッドに座って本を読んでいたマリーに声をかけた。マリーは、声を出すことなくただ頷いて了承の意を示す。


「どうぞ」


 キャロルが、扉に向かって返事をする。すると、腕に小さなカゴを下げたアリスが部屋に入ってきた。


「良かった。もう寝ているのかと思っちゃった」


 アリスが、笑顔を溢す。


「返事が遅くてごめんね。どうしよう? どこで切ればいいかな?」


 キャロルは、アリスにそう訊ねる。すると、その話を聞いていたマリーが、小さな丸椅子を部屋の奥から持って来てくれた。


「あっ、マリーさんありがとう」


 アリスが、笑顔でマリーにお礼を言う。マリーは、ちょっと照れたようにして元いたベッドに戻って行った。


「じゃあ、キャロルはここに座って」


 アリスが、椅子を指し示してキャロルを促したので、言われた通りマリーが持って来てくれた丸椅子に座った。


「うーん。どうしようか? 一番短いのに揃えちゃうと、男の子みたいになっちゃうし……」


 アリスは、腕に下げていたカゴからクシとハサミを出してカロリーナの髪を梳かしながら何やら考えている。


「アリスに任せるよ」


 キャロルは、笑顔でそう言った。すると、アリスは更に考え込んでしまう。暫く考えた後に、ハサミを手に持ちキャロルの髪をカットしていく。

 キャロルの赤い髪が、床に落ちていく。髪と一緒に、カロリーナの悪の一部も抜けていくようだ。貴族令嬢でここまで髪が短い女性はいない。それだけでも、自分が侯爵令嬢だったなんて気づく人はいないだろう。そう思ったら、追い立てられるものも無く気持ちも楽だった。

 

「できた! 結構短くなっちゃったけど、とっても可愛いわ。どうかな?」

 

 アリスは、カゴから手鏡を出して見せてくれた。鏡の中の自分は、とてもスッキリした表情をしている。短く揃えてもらった髪型は、とても可愛い。

 だけど、頬にある大きなガーゼだけが異様だ。改めて、どう見ても訳ありにしか見えない自分を受け入れてくれたものだ。自分だったら、こんなに気軽に声をかけることなんてできなかった。

 

「ありがとう。元の髪は長かったから、すっきりして嬉しい」

 

 キャロルから、本当に感謝の気持ちが溢れてくる。

 

「あのね……。この修道院は余裕がある訳じゃないからギリギリの生活だけど、でも安心はできるから。大丈夫だからね」

 

 アリスが、キャロルの目を見て力強く言ってくれる。きっと、ここに来たばかりで不安に思っているかもしれないキャロルを励ましてくれたのだ。

 自分よりも年下に見えるのに、キャロルを心配するアリスの瞳はとても優しく思いやりを感じる。素敵な女の子だなと、キャロルはアリスに対して、にっこりと微笑んだ。


 アリスが自分の部屋に戻って行った後、キャロルはもう一度さっきのことを思い浮かべた。どうやって計算を教えるかについて。

 ふと、マリーの方を見る。さっきから熱心に本を読んでいる姿を眺めるに、もしかしたら計算もできたりするのかしら? と考えが浮かぶ。

 二人とも既に寝る準備が整っていて、修道服から白い寝間着に着替えていた。


「マリー、ちょっと聞きたいのだけれど……。マリーは、計算ってできる?」


 キャロルは、思ったことをそのまま聞いた。平民の知識がそもそもどの程度なのかわからない。授業の準備をして下さいと言われても、何から準備するべきなのかわからなかったのだ。それだったら、マリーに聞いてみるのも一つの手だ。


「け、計算ですか……? 買い物するときに、数字は必要だから読めるけれど……。計算はできないです……」


 マリーは、突然自分に話を振られて驚いているみたいだった。今日も、自信が無さそうにぼそぼそとしゃべっている。その答えを聞いたキャロルは、ちょっとびっくりした。

 もしかしたら、数字が読めない子もいるってこと? 軽くカルチャーショックを受ける。キャロルの人生では、幼い子供でも数字が読めるのは当たり前だったから。


「計算ができないってことは、買い物の時ってどうするの? おつりとかわからないじゃない?」


 キャロルは、ふと疑問に思った。


「お、お店の人任せです……。言われた金額を払います。お釣りを貰っても合っているのかは、わかりません……」


 マリーは、俯きながら話をするのでキャロルと視線が合うことがない。聞いていると、それが当たり前でなんの疑問も抱いているようではなかった。だが、キャロルには衝撃だった。


(ってことは、店の人が悪い人なら釣り銭を騙していることもあるってこと? 信じられない……)


「もし、計算が習えるって知ったらマリーはどうする?」


 キャロルは、率直に意見を聞く。どれくらいの人が、希望するのか検討もつかない。


「わ、私が計算ですか……。私なんかが、計算なんてできるんでしょうか……」


 マリーは、自分になんて理解できるはずがないと決めつけているようだ。キャロルは、その答えを聞いて苦手意識と言うよりも、自分たちが理解できるものだと考えていないことに気づく。

 これは、物凄く大変なことかもしれない……。考え混んでしまったキャロルを見て、マリーが申し訳なさそうにしている。


「……すみません」


 マリーが、恐縮しきった顔をしている。


「違うの。マリーが謝る必要なんてないの。私の考えが甘かっただけなの。実は、修道院長に計算を教えてもらえないかって頼まれたの。でも、どこから教えるべきなのがわからなくて……。とりあえず、数字から教えることにする。もし良かったら、マリーも講義を聞きにきて。絶対に理解してもらえるように頑張るから!」


 キャロルは、初歩の初歩から行こうと心に決める。きっと計算ができるようになったら、色々なことに役立つはず! もしかしたら、マリーにもできるって分かってもらったら自信になるかもしれない。


「か、考えておきます……」


 マリーは、驚きつつも否定はしなかった。キャロルは、きっと来てくれる! と信じる。ここにいる人たちの為に、頑張ろうと気合を入れる。

 その気持ちを胸に、部屋の外に目を向けた。まん丸の月が出ていてとても綺麗だ。誰かの為に頑張ろうなんて、きっとカロリーナは考えたことないだろう。

 こう言う経験の積み重ねで、これからの行く道に対する答えがでるかもしれないと月を見ながら思う。

 キャロルはまだ、この世界でどんな風に生きていくのか何も決めていなかったから。

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