4-39 悪魔祓いの時間だ

◇ 


 朱音の姉らしい振舞いを見た後、俺は素直に従ってベッドの方まで戻っていった。特にやることは見出せず、不思議と冴えわたっていた意識については容易く眠らせることができた。


 翌日、目を覚ました時には身体の感覚が軽くなっていた。不自然なほどに重力が身体にのしかかっていたはずなのに、それをすべてなかったことにするように身体は容易に動かすことができた。三日間寝ていたという事実もあるのかもしれないが、それでも目覚めのいい朝を俺は迎えていた。


「大丈夫そうだね」と天音は俺を見て呟いた。


 窓辺から垂れてくる日射が目に刺さる。それを苦しいと思う自分もいるし、心地がいいと感じる自分もいる。ここ最近は正しい日射というものを見られていなかったからかもしれない。ずっと夜の中にいるような、そんな感覚からようやく逃れることができたようだった。


 俺がきちんと目を覚ましているか、天音はそれを確認しに来たらしい。先ほどの言葉をつぶやいた後、天音は「わたしの血のおかげ」と言葉を発した。俺はそれに気まずい笑顔を浮かべることしかできなかった。





 作戦決行の時間まで余裕があった。だいたい人が魔法で拉致される時間帯は夕方から夜、ということらしい。アトランダムではあっても、基本的にその時間が主体となっていることを朱音は話していたので、夜に俺たちは活動することになっていた。


 散歩をするのも悪くないかもしれない。そんなことを思っていたけれど、無暗に外へと出ることは控えておいた。無駄に体力を消耗するよりも、きちんと備えておいた方が不安要素は少ない。


 だから、暇な時間は携帯を眺めることにした。


 充電器を持ってこないままイギリスに来たために、バッテリーの残量は少なくなってきている。寝ていた三日間は操作していないので、これでも持ちこたえているほうなのだろうが、それでも二十パーセントという数字は携帯の使用を制限されているように感じる。


 何件か通知が来ていた。その一部は携帯会社から発されるどうでもいいメッセージ。そして、そうではない通知は……。


「葵か」


 久しぶりにも感じる幼馴染の名前を吐き出して、その久しい感覚に驚いてしまう。いや、別に数日前に彼女と話し始めたばかりだから、そこまで日数については経過していないのだけれど、それでも呆然と過ごしていた時間を思うと、どれだけの時間を無駄にしたのだろう、とか考えてしまう。


 ぼうっと独り言を吐き出しながら、俺は通知の画面をタップして、その文面を覗いてみる。


「げんきですか」


 たった六文字の言葉、それだけでもその文面がうれしく感じるのはなぜなのだろう。


 さっそく返信をしなければな、と思う。思うけれど、途端にいつか見た夢の内容を頭の中で反芻してしまう。


 過去の葵と、今の葵の比較。してはいけないことを、ずっと頭の中で考えてしまう。今の葵の中に昔の彼女はいないのに、それでも寄りかかってしまいたくなる衝動、それでいて寄りかかれば過去の彼女を求めてしまう矛盾みたいな感情。そのギャップにさらわれて落胆する身勝手さ。それが俺に返信する気力を削がせてくる。


 俺は彼女に期待をしてしまっているのだろう。過去の彼女を知っているからこそ、そうでない彼女にそれらしい振る舞いを求めてしまっているのだ。だから、こうして俺に向けてメッセージを、優しいメッセージをくれることに喜びが隠せない。


「返信しなきゃな」


 誰もいない独りだけの空間で、俺は決意とともに言葉を出して、そうして操作を始めてみ──。


(っていうか、これ三日前に届いている?!)


 届いたメッセージ日時を確認して、俺は慌ててそれに「元気です!!!」とあまりなじみのないビックリマークを連続で送り付けた。





「いよいよだな」


 太陽が世界の奥に沈もうとしている。夕焼けが近づく気配とともに、空が月に支配されて暗くなる時間が近づいてきている。


 朱音はそんな黄昏時に朱音は静かにつぶやいている。


 今いる部屋は朱音の部屋。その部屋に俺と天音と朱音は集合して、ぼんやりと時間を過ごしている。まだ動き出す時間には少し早くて、ただ空を見つめているだけの朱音に、俺と天音は頷くだけを繰り返している。


 葵に対する返信をした後、特に連絡が来ることはなかった。時差についてはよくわかっていないけれど忙しくて返信できていないのか、俺が三日も返信をしてなかったことに呆れているのかもしれない。


 はあ、と俺はため息をついた後、携帯の電源を落とす。これ以上、携帯の画面を眺めていても連絡は来ないだろうし、そうこうしているうちにバッテリーが切れてしまう。この後には大仕事が残っているわけだし、いろいろなことはそれが終わった後でいい。


「さて」


 朱音は外の夕陽が沈む姿を見て声を出す。俺と天音はそれに顔を上げた。


「悪魔祓いの時間だ」


 行くぞ、という彼女の掛け声に頷いて、俺たちは現場へと向かっていった。


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