4-31 買いに来ました


「……本当にイギリスなんだなぁ」


 それにしても、という言葉を口頭に置きながら、俺は目の前の景色についてそうつぶやいた。


 視界の中に広がっている景色の中に、日本らしき要素はない。アスファルトだったり、家屋だったりは似たり寄ったりな雰囲気のものもあるけれど、道路に印字されている文字や看板、そして空気の匂いさえもがどこか異なる。俺は改めてというべきか、ここが日本ではない場所、ということを認識した。


「そーだね」と天音は間延びした声を返しながら、身体の力を抜くように腕を天に伸ばして、ゆっくりと息を吐く。俺としては、どこか違う環境に身を置いていることについて、浮つくような感覚がぬぐえないけれど、天音は俺のように動揺する気持ちは特に感じてはいないみたいだった。


「来たことあるの?」


「ん。四回くらい」


「……」


 四回ともあれば、確かに彼女の現在の振る舞いのようになれる要素はあるのだろう。俺は無言で納得をして、そうして目の前に広がる景色を何度も何度も頭の中に入れる。入れる、というよりかは、味わっている。


 こうして遠出というものをしたことが俺にはない。葵と出かけるときも、自転車などを使った近場までのサイクリングくらいだったし、自分が住んでいた場所の近隣以外に足を運ぶことはなかった。そんな余裕もなかったし、そんな時間を見出そうとしたこともなかった。だから、目の前にある見慣れない景色というものが、非現実的ではない目の前の現実が真新しく感じて、ずっとそわそわとした気持ちが心の中に張り付いている。


 ……ちなみに朱音はというと。


『というわけで、私にできることは今のところなさそうだから、とりあえず時差ボケが治らないうちは寝ることにするわ。お前らは好きにしてくれ』


 と言葉を残して、埃が片付いた寝具の中で横になった。そして数秒もたたないうちに寝息が聞こえてきた。


 俺もかすかな眠気を感じていたけれど、浮ついている感覚がぬぐえないのと、世界が暗闇に落ちていないのに眠ることに違和感を覚えたから、天音を誘って適当に周辺を散策している、というような状況。天音は俺の提案を快く受け止めてくれて、ニコニコとした表情で一緒に歩くことを許してくれている。


「昔はね」


 天音は言葉を吐いた。


「お父さんもこのあたりに住んでたんだよ」


「お父さん? ……天音の?」


「んーん。たまきの」


 俺はその言葉を咀嚼したけれど、一度でその意味をとらえることはできなかった。言葉は理解しているはずなのに、まるで人ごとのように捉えてしまう自分がいた。


 ……まあ、でもそうか。この場合のお父さんという単語は、俺の父についての言葉か。俺は一人で納得をする。


 お父さん。


 聞き馴染みのない言葉。


 聞き馴染みはないけれど、いつだって意識をしていた言葉。


 意識をせずにはいられなかった単語。


「よくね、たまきの話をしてくれたよ。ほら、昔のたまきはやんちゃだったから、手のかかる子だったって思い出話をよくしてくれてたかな」


「……そっか」


 父の記憶を、今はきちんと思い出すことができている。


 対極が持っていた薄れていた記憶は、確かに俺の中に受容されている。その中で思い出されるのは、たまに変な下ネタを言って母さんに怒られながら、それでも楽しそうに振舞っていた父親の姿。いつもいきなり遠出をを行い家族を置いてきぼりにして、帰ってきたときにはくたびれた顔を提げているのに、それでも俺にかまってくれた、そんな思い出。


 父はここで仕事をしていたのだろう。ここで仕事をして、任務を果たすたび、俺にかまってくれていたのだろう。


 懐かしいような、懐かしくないような。対極を受容したのがついこの前だったからこそ、記憶は新鮮なままであるし、それゆえに懐かしむゆとりもないような気もする。


 けれど。


「それなら、俺も頑張らなきゃな」


 俺は気を引き締める一言を吐いて、それを自分自身の中に刻み付ける。


 家族の深い事情は分からない。けれど、父が同じようにここで働いていた、悪魔祓いとして活動をしていたのならば、それを善い行いとしてなぞりたいような気がする。


 そうだね、と天音は相槌を打つ。俺はそのまま彼女と一緒に道を歩いて行った──。





「──どうしてここなんでしょうか天音さん」


 だんだんと俺が先導していた道筋は、慣れている天音が代行をして前を進んでいった。その道先に何があるのかを俺は知らなかったけれど、適当な散歩道だろう、ということで俺はそのままついていった。


 他愛のない会話を繰り返した。俺が持っている携帯なんかをつけてみたりして、どこか観光気分で写真を二人で撮ってみたりした。


 そんな時間の過ごし方をしている中でたどり着いたのは、住宅街らしき道の中に潜むようにある、どこかの雑貨屋みたいな場所だった。


 看板の文字はよくわからない、英語だったのならまだしも、少し東洋の国の文字が入っている雰囲気で、その一部でさえも読み取ることはできない。緑色の看板を引っ提げており、天音は俺の手を引いてその店の中に入っていった。


 店の中に入って、様々な道具が視界に入る。


 台所で使う用具であったり、釣りで使う用具であったり。キャンプで使う用具であったり、ともかく、サバイバルに関連する道具が目白押し、という感じ。


 店の中の全体としても、基本的な柄としては迷彩柄が主体となっており、ここがなんとなくアウトドア専門の店なのだろうか、ということは憶測が付く。けれど、それにしたって、どうしてこんな住宅街に潜むようにこの店があるのか、という点と、なぜ天音は俺をここに連れてきたのか、という疑問が残る。


「ええとね」と天音は呟く。しばらく考え込むような様子をとりながら、間をおいてから彼女は言葉を放つ。


「たまき、今ナイフ持ってないでしょ。だから、買いに来ました」


「……なーるほどぉ」


 俺はまた少し苦手意識を持ってしまった血を想像して、消え入る声でそう返した。


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