4-21 アリクトエアル


「……飛行機に乗るのでは?」


 俺は目の前にある白色に眩暈を覚えながらも、静かにそう言葉を吐いた。


 そうして連れ出されたのは、教会の奥のほうにある、教会側の『空間』。以前、俺が葵と一緒に侵入をした場所であり、今となってはあまり行く機会のなかった場所。


 ここに来るだけで思い出したくもない記憶が蘇るような気もするし、その記憶を受容してこそ色々なものに報いるのだと、そんな風にも考えて、感情がごちゃごちゃになる。


 俺の言葉を、うんうん、と朱音はうなずいた後、そうして言葉を続ける。


「いやー、そうしたいのはやまやまなんだけどさ。ほら、環ってパスポート持ってないじゃん?」


「まあ、持ってるわけがないね」


 今まで外国に行く機会なんてなかったわけで。旅行という機会にも恵まれなかったわけで。ともかく、日本という国から出ていく、というのはここ最近以外では考えてこなかったもので。


「よくわかんないけど、パスポートって一日とか、長くても二日くらいで取れたりしないの?」


 俺がそういうと、朱音はあからさまに呆れたようなため息をつく。そして、この『空間』に来る途中で、俺と同じように腕を惹かれた天音も、呆れたような視線をこちらに向けてくる。


「……お前、パスポートってめちゃくちゃに面倒くさいんだぞ。最低二週間くらいはかかりやがる。私はそこまでお前を待てないし、イギリスも待ってはくれないだろうさ」


「……マジか」


 他国に行く経験が皆無だからこそ、俺にはよくわからないけれど、パスポートってそんなに時間を食うものなのだろうか。


「まあ、パスポート関係で無理っていうのはわかるけどさ、それならどうしてここに?」


 見覚えのある空間。この空間にくれば、否が応でも魔法について意識をしてしまうけれど、悪魔祓いには魔法というものは通じない。


 悪魔祓いの性質のようなものであり、あらゆる魔法は反発する。そして魔法を扱うことができない。


 頭の中に一瞬過ったのは、天音が転移の魔法を使うことで、俺や朱音をイギリスに連れて行ってくれる、という作戦ではあるけれど、それについても失敗に終わるだろう。実際、自身のことを魔法使いだと思い込んでいた最初の時期、葵と一緒に転移しようとしたときにも、反発をして失敗したのだから。


 だからこそ、ここに来た意味がよくわからない。ここに来たところで、ここからイギリスに続くわけでもないだろうに。


「うーん、そうだなぁ」と少しばかり困ったような声音をあげる朱音。天音は特になんのリアクションをすることもなく、ただ呆然と白い景色を見つめている。


「とりあえず私から言えることがあるとするならば……」


「……するならば?」


「──今から不法入国をするっ!」


 ……まあ、パスポートがない時点で、なんとなく察してはいたんですけどね。





「不法入国とかはもういいよ。なんとなく察していたし。けれど、問題はどうやってイギリスに行くのか、ってことじゃないの?」


「……当たり前のように犯罪を受け入れてるの、それはそれでどうかと思うんだけどな」


 俺は頭の中の疑問点を整理しながら、そうして朱音にそのまま質問をしてみる。


「うーん、説明するの面倒くさい」


「……そこは何とかしてくれないと」


 説明もなしにイギリスに行く、というのも悪くはないかもしれないけれど、原理の分からないものに対して身をゆだねたくない、というのが自分の性分だ。というか、魔法教室で染みついた性質だ。だから、何かしらの説明を聞かないと、納得することは難しい。


「それじゃあ、まずここに来たことの説明から始めようか」


 朱音は諦めたようなため息をついた後、改まってそう言葉を吐いた。


「そもそもアリクトエアルの説明はしなくともわかるよな?」


「……ありくとえある」


 一瞬、聞いたことのない単語だと思ったけれど、対極で問題が発生した段階で朱音からその単語を聞いたような気がする。


 アリクトエアル、もとい『空間』。


 この空間というものは、魔法教室での説明をそのまま借りるならば、数学上における立体空間だとか、なんとか。


「無限の空間? とか、無限の体現とかって聞いたような気がする」


 立花先生はそんなことを説明していたような気がするけれども、実際には詳細に覚えているわけではないし、立花先生も説明しようと思って説明しているわけではないから、そんな抽象的な言葉しか出てこない。


「まあ、そうだな。それでな、ここの空間をうまく利用すればイギリスに転移できるんだよ」


「……悪魔祓いでも?」


「うーん、まあ、うん。悪魔祓いでも」


 含みのある言い方をしながら、朱音は言葉を続ける。


「まず、このアリクトエアルというものは、どこにでも存在する無限という概念を、単純に空間として広げただけの代物だ。だが、それ故に利用できるものがある」


 朱音はそう言いながら、白い空間を歩きだしている。天音もそれに続くので、俺も朱音の言葉に耳を傾けながら、そうして一緒に歩んでいく。


「私たちが視認できる世界っていうのは、基本的に三次元的な空間にのみ限られるわけだが、どんな次元にも必ず座標というものが設定されている。まあ、設定というか、もともとあった、というかだな」


「……座標?」


「……ここまでは中学数学の単語しか出てないぞ。流石に大丈夫だよな?」


 ……なんか、いつも非現実的な話になると、いつも数学の話をしているような気がするのは、気のせいなのだろうか。


 大丈夫、と取り繕った声を出すと、朱音はあからさまに不安そうな息を吐き出した後、そのまま言葉を続ける。


「ともかく、私たちが暮らしている地球にも座標がある。母さんがすんでいる家にも、お前が通っていた学校にも、そして遠くにあるイギリスの近くにも。


 そして、この無限を体現しているアリクトエアルにも座標がある。現実の世界とは違う別の座標がな。……なんというか、ええと、まあ、次元違いの空間というか、なんというか……」


「……それだけ聞いていると、なんか別次元に飛びそうな感じがするけど」


「いや、そうはならないし、そういうわけじゃない。ええと、私が言いたいのはだな──」


「──の」


 天音が、その詳細を説明するように、言葉を続ける。


「アリクトエアルと現実世界の座標はリンクする。だから、アリクトエアルの座標は一つの目安といってもいい」


 ……わからない、と正直な声を上げたくなったけれど、ここでそんなことを言ってしまえば話は進まないので、俺は言葉を呑み込みながら、彼女らの話の続きを待った。


「アリクトエアルは無限の空間。別に地球だけに座標は限定されるわけじゃない。アリクトエアルは無限だからこそ、あらゆるすべてにつながってる。


 座標を遠くにして考えれば、別の惑星につながるかもしれないし、さらに遠くの座標を考えれば、きっと他の銀河系につながるかもしれない。そんな風に、アリクトエアルと現実はリンクしているの」


「……へえ」


 もう、よくわかんない。


 ひげんじつのせかいって、なんかめんどうくさいなぁ……




「たまき、なんか諦めた顔をしてる」


「……放っておきな。原理の説明があってもなくても、辿る結果は同じだからさ」


 天音と朱音は呆れた顔をしながら俺の方を見てくる。俺はそんな視線から顔を背けることしかできなかった。



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