4-16 左手の紋章
◇
そうして俺は葵を無理に連れ出して、商店街のほうまで歩いて行った。
道中、会話が生まれることはなかった。
以前であれば、……あの時のままの葵とならば、そんな会話がない状況についても、沈黙についても安寧を抱くことができたのかもしれない。でも、今目の前にいる彼女はそわそわしく不安な様子を見せてくるので、俺はなんとか会話を紡ぎだそうとした。
けれど、今の彼女に対して、どのような話題を提示すればいいのかわからない。結局、黙りこくって、目的地までの道を静かに歩いていく。そんな空気感の中で、今の葵に、これからどのように話をしていけばいいのかを、何度も頭の中で考えを巡らせた。
◇
喫茶店は、朱音と行き慣れている場所を選ぶことにした。もう一個知っているお店として、オシャレさを醸し出している店に行くこともできたけれど、自分らしくない場所へ行っても、緊張して話ができなさそうだから、きっとこれでよかった。
喫茶店の空調は温く感じる。外であった肌寒いと感じる気候とのギャップを覚えて、額に汗が滲む感覚がする。
俺はそれを手で拭いながら、とりあえず彼女の好みだったはずの甘めの飲み物と、自分が飲むための珈琲を注文して、奥のほうにある窓際の席に座り込んだ。座り込んだ後に、葵自ら注文してもらった方がよかったな、とかそんなことを思い返したけれど、俺のした注文に不服はないらしく、特に文句の一つが出ることもなかった。
窓から覗ける外の世界、太陽の影が今にも沈んで隠れようとしていることを認識する。時間としてはまだ夕方なのだろうけれど、深夜に魔法教室というイベントもあるだろう葵を、長い時間連れまわす、というのは本意じゃない。
「……それで」
葵は重たい空気にさしこむように、ぽつりと口を開く。ここに来るまでの道中、一切の会話などなかったから、久しぶりに感じてしまう彼女の声に、俺はドキッとしてしまう。
「なんで、私の名前を知っているんですか」
……まあ、彼女の中の一番の疑問としてはそれがあげられるのだろう。予測していたことではあったものの、いざ実際に予想通りに言葉が来ると、かえって戸惑ってしまう自分がいる。
……さて、さっきは思い切って彼女の名前を呼んではみたものの、その理由についてどう応えればいいのか、正直自分でも理解していない。
咄嗟の声掛けだった。衝動的なものだったから、そこに思慮など及んでいるはずもなかった。
だからこそ、彼女は足を止めてくれて、ここまで一緒についてきてくれたのだろうけれど。
まず、どこから話すべきなのだろうか。
彼女に悪魔祓いのことを教える、というところから始めるべきだろうか。……いや、そもそも悪魔祓いという関係に巻き込まないために彼女の記憶を消したというのに、それらを言葉にするというのは本末転倒が過ぎる。……でも、悪魔祓いにとって禁忌とされている魔法使いとの関係作りを行おうとしている僕が、今更このことについて隠すのはどうなんだ? ……頭がごちゃごちゃになる。
悪魔祓いは魔法使いと関わってはいけない。その理由として、悪魔祓いは魔法使いを殺さなければいけない、という絶対的な命題があるからだ。
彼女に、俺が悪魔祓いであるということを教えてしまえば、自ずと対極の位置に立つことになってしまう。ああ、駄目だ。それは駄目だ。そもそも、そうならないための記憶の封印だ。その封印を無駄にするわけにはいかない。
だとすれば、どうすればいい。
ここでの会話のデッキに迷い続けている自分がいる。俺が彼女の幼馴染だ、とシンプルに伝えたい気持ちもあるけれど、今の葵にその言葉の意味を理解することはできないだろうし、俺が頭のおかしい人間に見えてしまうかもしれない。それで今後会ってくれない可能性が高まるのなら、焦って無理に会話をつなぐのは得策ではない。
だとすれば、どうすればいいんだ。
すべての真実をさらけ出したい。そもそも、記憶の封印だとか消去だとか、そんなものをとっぱらって、今までの葵と同じように会話をしたい。
そんな叶うわけもない現実を妄想する。妄想するだけして、ふう、と俺は息を吐いた。
ここで止まっていては、声をかけた意味も、天音に対して告白した言葉も、何も意味をなさなくなってしまう。
何のために天音に言葉を告げたのか。何のために啖呵を切って踏み出したのか。何のために俺は葵をここまで連れてきたのか。
──それは、彼女の涙を許せなかったからだ。
「──えっ」
彼女は、驚きの意を示すように、息を孕ませた声音を出す。
俺は、左手の甲を彼女に見せた。
いつもは黒い手袋で隠している。他の人に見られてしまっては、刺青だとかタトゥーだとか、そんな誤解を受けることがあるかもしれないから。
でも、葵はそれを誤解とは受け取らないだろう。
『黒の宿り木』、悪魔祓いの紋章が露になる。
──葵や立花先生が個の紋章を見た時、俺の素性を魔法使いだと思って疑う様子はなかった。魔法使いの紋章は右手の甲に宿るのが一般的らしいが、それでも彼らは俺のことを魔法使いだと思ったのだ。それならば、この紋章を見れば、彼女は俺のことを魔法使いだと誤認してくれるかもしれない。
……嘘をついているような気がしないでもないが、とりあえず黙っていることにする。勝手に勘違いをしてくれることに、心のどこかで期待をしながら。
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