☆終わりのキス☆
最後のキス。
これですべて終わり。
今まで築き上げてきたものも、重ねてきたものも。
すべて終わり。
せめて、忘れないように。脳裏に焼き付けたい。
雛乃に恋をした。焦がれて、悶えて、楽しくて、幸せだった恋をした。
けど、もう終わり。
これ以上はきっと私の気持ちを隠せないから。滲み出てしまって、溢れて、雛乃を困らせてしまうから。
好きだし、付き合いたいとも思う。一生、永遠に雛乃と一緒に居たいとさえ思う。
重たいかもしれないけど、それが私の本心だから。
それほどに激しく、重たく、大きな恋をしたのだ。誇っても良い。精一杯恋をしたと。
こんなに雛乃のことを思っているし、手に入れたいとも思っている。けど、一番したくないのは雛乃に迷惑をかけることである。
雛乃は優しいからきっと私の気持ちに気付いたらずっと気にかけてくれるはず。
それだけだったらまだマシだ。
自分の気持ちを押し殺して、私のために恋人になってくれる可能性だってある。情なのか、なんなのかはわからないけど。雛乃なら、そういうことを平気でしてきそうだと思ってしまう。そして私はそんなことは望まない。雛乃の優しさに甘えて、抱きついて、雛乃を不幸に導く。そんなことはしなくない。好きな人には幸せになって欲しいと……そう、願うから。
だから、自分の気持ちは殺さなきゃいけない。抑えなきゃいけない。だけどもう限界なのだ。
――これ以上は無理。
無理だから最後のキス。
お互いに幸せになれるように……幸せになれるのかな。
わからない。
もしかしたらどちらも不幸になるのかもしれない。けど、雛乃のことを考えると今からやろうとしていることこそが最善策だと思ってしまう。
私のエゴなのかもしれない。というか、多分エゴだ。利己的なんだろう。
自己満足とでも言えば良いだろうか。
罪の意識に苛まれたくないから、こうやって繋がりを絶とうとしている。
私と雛乃の繋がりが無くなれば、きっと雛乃が私のことで不幸になることはない。
雛乃にだって友達がいなくなる。十何年と付き合ってきた友達と別れる。そういう辛さあるのかもしれないけど、付き合い続けて訪れる未来のことを考えれば、優しいものだ。
大きな不幸を待ち続けるか、小さな不幸を使って私の手ですべてを終わらせるか。
どちらかしかない。
それなら後者の方が良い。
私はここから立ち直れるかはわからないけど、雛乃は立ち直れる。友情と恋愛感情という差があるから。
それに雛乃は強いから。立ち直ってくれる。
きっと大人になって、おばさんになって、老いぼれた時に、あぁ……月岡唯華っていう幼馴染が昔居たなとふと思い出してくれる。そのくらいの存在に私はなっているはずだ。そうじゃなかったら流石に泣いてしまうなぁ。
辛いのは今だけ。恨まれるかもしんないけど、それも今だけ。
月日が経過すれば、これで良かったんだなぁとお互いに思うはず。
色々な思い出が蘇る。口付けを交わし、舌を絡ませ、唾液を交錯させる度に記憶がふつふつと蘇る。
出会った頃から、今までたくさんのことがあった。本当にたくさんのことがあった。麗しいとか、懐かしい思い出とか、そういう何気ない簡単な言葉では纏めきれない思い出たちだ。
心の底が沸騰するように熱くなる。
キスをしているのに泣きそうになる。泣かないけど。泣いたから負けだから泣かない。泣いたらすべてが無に返すから泣かない。
鼻の奥がつーんとして、目頭に熱が籠るけど、寸のところで耐えれる。
意識を背けるために雛乃の口の中で舌を暴れさせる。粘膜を舐めとるように、雛乃の口内の水分を吸い取るように、一心不乱にキスをする。
我ながら獣みたいだなぁ、と思う。
キスを喰らう猛獣。
なんておっかないのだろうか。
一方的な愛。愛を与え、押し付ける。
最後のキスが終わる。舌が離れ、唇も離れる。徐々に雛乃との繋がりが途切れていくようなそんな気がする。
乱雑に分断されているわけじゃない。一個一個、解いていくように。優しく、丁寧に、そして慎重に、だ。
蜘蛛の糸のように雛乃の唇から、私の唇へと唾液の糸が伸びる。
煌々たる汚くも繊細で、私にとっては華麗な糸は細々と痩せ細り、儚くも萎むように散っていく。
虚しさを覚える。
唇に籠っていた熱も冷たさに変わる。体温は簡単に移り変わる。そんな簡単に移り変わって良いものではないと思うけど。
それならいっそのこと気持ちも簡単に移り変わって欲しい。そうすればこの虚しさも、悲しさも、苦しさも、感じずに済んだのに。
けど、そう上手くはいかない。あって困らないものはサラサラと消えていき、失いたいものはずっりしりと残り続ける。そして自らを傷付け、重たさとなる。
「あぁ……」
これから私は煢然と生きていかなければならない。
そう思うと、声にならぬ声が抜けるように出てしまう。
覚悟と躊躇が交錯する。交ざり合って、ぐちゃぐちゃになって、懊悩する。
「もう終わりだよ」
己に言い聞かせるように、私は紡ぐ。
けど私の心は「嫌だっ!」と強硬に大叫喚する。
一人で盛り上がって、盛り下がって、苦しくなって、辛くなって、そしてそういう自分に気付いて嫌気がさす。
ぐるぐるとした悪循環。偽っても、これが良い循環とは言えない。強がることすらできない。
「なにが?」
雛乃は不思議そうに首を傾げる。愛おしいその姿。
あぁ、今からこの子を傷付けてしまうんだ。
心に浅い傷を負わせてしまうんだ。
罪悪感で押し潰されそうになる。
せっかく正当化したのに、この状況が実際に目の前へやってくると良心が躍り出てくる。
決心が揺らぐ。元々強固なものはなかったんだけど。いいや、なかったからこそ、より揺らぐのだ。
「全部かな」
「全部?」
「うん、全部」
うだうだしていてもなにも変わらない。変わらない未来に幸せはない。
やらなきゃいけない。私がやるしかない。
「全部終わり」
だから引き戻せないところまで深いことを考えずに歩みを進める。
もしかしたら後悔するかもしれないけど、今の私はこれが最善だと判断した。
「キスが?」
雛乃はあまり状況を掴めないというような感じだ。そりゃそうか。突然そんなことを言われたってなんのことだって感じだもんね。
「そう」
頷く。頷いて、さらに雛乃の唇を奪う。軽くキスをしてすぐに離す。驚いてる間に私はまた喋る。
「今のが本当に最後のキス。もうこれからはしないし、することもないよ。きっと……ううん、違うね。絶対に」
「でもキフレ? でしょ」
「それもおしまい」
「え?」
雛乃は動揺する。目線を右往左往する。そんな様子を見て、若干私も動揺してしまうが一つ深呼吸をして冷静さを取り戻す。
「キフレもおしまい。言ったでしょ私さっき」
「うん?」
「全部。全部終わりって」
「なんで?」
雛乃の問いは至極真っ当だと思う。
今まであったものが突然、なんの脈絡もなく消滅する。まぁ、私の心の中では散々悩んでいたんだけどね。そんなの雛乃は知ったことではない。疑問として浮かび上がってくるのは自然な流れと言えるだろう。
本来ならばしっかりと説明するべきだ。
けど、説明をしてしまえばこうやって無理矢理関係を断ち切ろうとした意味がなくなってしまう。
「うーん、とね」
だからこうやって微妙な反応をしてしまう。自分でも相当酷いなぁとか思うけど、でも誤魔化すしかないなと思う。もっとも雛乃を誤魔化せるのか、否かというのはまた別問題なんだけど。
「もしかして嫌いになった?」
雛乃は俯き、声を震わせる。想像していなかった言葉に私は上手く反応することができなかった。なにか捻りださなきゃと思って無理矢理捻りだした言葉は「なんで」という心の籠っていない言葉である。
自分のことながらなんなんだコイツと思う。本気で。
「そんなことはない」
私は全力で否定する。訝しむような目線を雛乃は送る。変な間を開けてしまったから気を遣っているとか思われてんだろうな。
どうやったら本当にそんなことはないよって思っていると伝わるのだろうか。
「じゃあ、なんで全部終わりなんてことを言うの?」
雛乃は私の裾を掴む。手は震えてる。小刻みに、生まれたての小鹿みたいにプルプルと震えてる。
「私のこと嫌いだから終わらせようとするんでしょ」
雛乃は力を失ったように手を離す。
逆だ。全部逆だ。好きだから。大好きだから。好きで好きで仕方がないから。だからすべてを終わらせようとしてる。
って、言えれば良いんだけど言えない。
自分の中に明確な答えがあるのに、口にすることはできない。これほどに辛いことはない。目の前で好きな人が泣きそうな顔をしてるのに、嘘を吐き続けなきゃいけない。ほんとに辛い。ただただ辛い。
「そういうことじゃないけど……」
どうすれば良いのかわからない。ほんとのことを言う以外に上手く纏める方法が見つからない。あると思って必死に探してるけど、本当は存在しないのではないだろうか。
ありえる話だなぁとは思う。
だとしたら、私は一体どこで踏み間違えてしまってんだろう。最初から間違えていたのかな。少なくともキスをしなければ、こんな辛い気持ちは抱えることはなかったのかな。
あれやこれやと、たらればを考えてしまう。
「どういうこと?」
雛乃の目線が痛い。そんな表情で、そんな目で私のことを見ないで欲しい。
「嫌いならちゃんと言ってくれないとわからないよ。嫌いなら嫌いだって。唯華のためなら嫌いなところちゃんとするから」
捨てられた子供のように、縋る。
好きな人がそんな顔する。心はぎゅっと締め付けられる。雑巾でも絞ってるんじゃないかってくらいにギュッと。
「嫌いじゃないから」
「じゃあなんで」
「なんでって言われても……」
「嫌いなら嫌いってはっきり言ってくれないとわかるものもわからないから。変な配慮される方が惨めだよ」
「だから違うんだって」
「唯華はずっとそればっかりじゃん。何年一緒にいると思っているわけ? それくらいわかるから」
「わかってないよ。雛乃はなんにもわかってない」
「わかってるよ」
「わかってないよ」
わかってんならこれ以上言わないで。なんにも言わないでよ。
雛乃のことが嫌いなわけないじゃん。それくらい雛乃だってわかるでしょ。嫌いな人にキスなんてしないもん。
ちょっと考えればわかるはずなのに。私のワガママかもしれないけど。でもやっぱり考えればわかるはずだから。
雛乃は私のことをわかってない。
「私のこと嫌いなんでしょ」
なんでそういうことを言うの。そんなわけないのに。
こんなに私は雛乃のことが好きで、好きで好きで好きで好きでもうどうしようもないくらいに胸は焦がれて、締め付けられて、唇の虜になって、朝から晩まで頭のどこかしらでは雛乃のことを考えてる。考えて、やっぱり好きなんだなって思ってる。愛してるとか、好きだとか、そういう簡単な言葉では表せないくらいには恋してるのに。
雛乃は真逆だって言う。わかってないじゃん。なーんにもわかってい。
「わかってないじゃん。わかってないよ。雛乃はなにもわかってない。なに一つわかってない」
「なにが!」
「だって私は雛乃のことが好きだもん。大好きだもん」
「やっぱ――好き……?」
雛乃は目を丸くする。そして戸惑うように言葉を紡ぐ。
私は一瞬思考回路がストップする。反射的に口元を抑え、今自分がなにを言ったかを思い出す。
私の脳裏に再生するさっきの記憶。私は大声で「だって私は雛乃のことが好きだもん。大好きだもん」と叫んでる。
血の気が引く。やってしまった。勢いに任せすぎた。
あんだけ頑張っていたのがすべて水の泡だ。
終わりだ。これこそほんとに終わりだ。どうしよう。どうしようもないけどどうしよう。
焦燥感だけが加速する。自分でぶっ壊してしまった。時は戻せない。壊れた関係が目の前に転がる。
「違くて」
手をパンっと合わせたり、ひらひらさせたり、顔をぶんぶんと横に振ったり、目線をあっちこっちに泳がせたり、とにかく落ち着きなく動かす。
「そのこれは違くて、そういうわけじゃなくてね。そう、違うの。違うわけであって、そう違うから」
とりあえずなにか言い訳をしないとと思うのだが、これという言い訳がでてこないので同じことを何度も繰り返す。
滑稽な状況であることは言われなくともわかるんだけどどうしようもない。
あれこれと考えすぎて、そして焦りすぎて、頭が痛くなってきた。気のせいかな。あぁ、ダメだ。頭がずきずきする。
意識が遠のく。
嘘……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます