♡狡♡
インターホンが鳴る。さっき唯華にメッセージを送ってから既読もついていない。
つまりこのインターホンは唯華が鳴らしたものではないはずだ。
長年の付き合いから考えるに、唯華はまだパジャマでのんびりごろごろしているのではないだろうか。その姿が簡単に想像できてしまう。
となると、誰なのか。わからない。
はてさてと「うーん」と唸りながら、歩く。
モニターを覗くと大きなお菓子を抱えた唯華の姿があった。
スマホを確認する。やはり既読はついていない。
吃驚してスマホを落としてしまったり、スマホを拾ってからバランスを崩して壁にぶつかり頭を殴打してしまったり、それでよろけて今度は机に足の小指をぶつけて悶えたり、かと思えばクッションに足を滑らせ尻もちをついてしまったりと災難に災難が重なってしまった。
ひぃひぃ言いながら玄関へと辿り着く。ゆっくりと扉を開く。唯華が目の前に現れる。
ドキッとしてしまう。不可抗力だ。
「お、おまたせ」
己の気持ちに蓋をしながら、軽く手をあげる。
「なんかやけにうるさかったけど」
「油断していただけ」
「油断?」
「連絡待っていたから」
嘘ではない。そう、決して嘘ではないのだ。
油断していたからこそ、スマホを落としてしまったわけであって、スマホを落としてしまったからこそ壁にぶつかり、机に小指をぶつけ、クッションに足元を掬われることになったのだ。
根本を考えれば油断していたのが原因なわけである。
あちこちぶつけていたというのが恥ずかしいからではない。
そう。本当に違うのだ。
必死に心の中であれこれと言い訳をしていると、私のスマホはぶるりと震える。
危ない。また落としてしまうところだった。あのような災難は二度とごめんだ。
平然を装いながらスマホに目線を落とす。澄ました顔をしているつもりだ。もっとも唯華にどう思われているのかはわからないけれど。
メッセージを受信していた。唯華からだ。内容を確認する。
『今来たよ。しちゃう? キス』
想像していなかったメッセージだった。
今更送信してどうするんだろうという気持ちや、私の心を躍らせるような面白いメッセージだとか、キスはしたいかもとか、色々な要因が絡まって、思わず頬を弛緩し、ふふっという柔らかな笑い声を溢してしまう。
恥ずかしくなって、唯華から目を逸らす。
私の方からキスをしてしまおうかとさえ思う。けれど、目線の先にいる唯華のお母さんと目が合って、その思考はすぐに消えた。
ひらひらと手を振る唯華のお母さん。私は苦笑しながら軽く会釈をする。
「とりあえず上がって」
そして唯華にそう伝える。
ここでキスをされてしまえば、面倒事になるのは明白だった。
絶対に面倒なことになる。唯華のお母さん伝手に私の両親にもキスをしていたということが伝わるだろう。
それは避けなければならない。
「あれ?」
唯華はニヤニヤしている。なんとまぁ呑気なことなのだろうか。
煽られているのだろうけれど、滑稽過ぎて怒りすら湧いてこない。呆れてしまう。
私はピシッと唯華のお母さんの方へ指を差す。
唯華はなんだなんだと言いたげな様子で振り返る。
振り返ってから動きを止める。固まったという表現の方がもしかしたら近しいのかもしれない。
唯華はこちらに顔を向けると呆れたような、申し訳なさそうな、その両者の狭間みたいな顔をしていた。
「うん、入ろうか」
罪悪感でも覚えていそうな声色だ。
「おじゃましまーす」
という声も若干元気がないように感じる。気のせいかもしれないけれど。
玄関の扉を閉めたところで、ため息を漏らす。
「なんか……ごめん」
唯華は悪くないのだけれど。確かに雰囲気は壊れてしまったなぁ、と思う。けれど、これはこれでなんだか懐かしい感じになるし、私は悪くないのではないだろうかと思う。
唯華にとってはそうじゃないのだろうけれど。
だから、私はこの気持ちを心の中にしまっておく。
やっぱり人に自分の気持ちを押し付けるのは気持ち良くないからね。
私の部屋へ行くように声をかけた。今更案内なんてしない。案内しなくたって私の部屋がどこにあるかはわかっているし。
だからお茶の準備をしておく。本当は来る前にしておきたかったことなのだけれどしょうがないよね。
お茶を持って部屋へと入る。唯華はなんだか落ち着かない様子だった。ソワソワしている。
「どうかした?」
そんな唯華を不思議に思いながらお茶を出す。
「どもども」
と、他人行儀に受け取った。疑問は深まる一方である。はてさてどうしたのだろうか。
唯華はお茶をずずずと呷る。
そこそこの量を入れていたはずなのに、一瞬でコップを空っぽにしてしまった。
えぇ、と困惑してしまう。
「もう一回持ってこようか?」
「ん、大丈夫、大丈夫。うん、大丈夫だから」
唯華は空っぽになったコップを見ながら苦笑いを浮かべる。
「それよりもさ、うーんと、どうしたの?」
「あ、そうそう」
そういえばまだ用件を伝えていなかった。勝手に伝えた気になっていた。
「昨日の映画そこまで面白くなかったでしょう?」
「えぇーっと……」
「隠さなくて良いよ。素直に、ね?」
「うん……」
「やっぱり」
「てか、なんで知ってんの? もしかして昨日言ったっけ。でも記憶ないし」
目をぐるぐるさせる。そんな唯華を見て私は頬を綻ばす。
「顔に出ているからね」
「顔かー」
納得するようにうんうんと頷く。
「やっぱり顔に出るんだね。そんなに出ちゃうと困るなぁ」
あはは、と頬を触っている。
「人よりはわかりやすいよ。喜怒哀楽が特にわかりやすい」
「えー、そんなに?」
「そんなにだね」
「どこがよ」
「楽しいことがあると笑っているし、怒っていると眉間に皺を寄せているし、哀しいことがあると俯きがちだし、嬉しいことがあると目元も口元も笑っているし」
「楽しいことと嬉しいこと同じでは?」
「違うよ」
「笑ってるだけなのに違うんだ」
「段階が違うんだよ。楽しそうな時はただ笑っているだけ。けれど、嬉しい時は心の底から笑っているの」
「わかんない」
「でしょうね」
自分の顔など見えるはずもないのだから当然だ。
「じゃなくて」
話が逸れてしまった。
閑話休題。
「昨日唯華があまり楽しくなさそうだったから、唯華の好きな映画でも見ようかなぁと思ってね」
じゃじゃーんとブルーレイディスクを見せつける。
唯華の好きなアニメ制作会社の作品だ。
アニメ映画の歴史を語る上で絶対に外せない作品である。唯華はあまり映画とか観るような人ではないというのは長年の付き合いで知っているのだけれど、この映画は一味も二味も違うのだそう。本人曰く、これなら一週間は続けて観れると豪語していた。
「おー」
「観よっか」
「うん」
子供のようにキラキラした瞳をしている。
昨日はこんな瞳をしていなかったなぁ……なんて少し寂しくなる。
「私のために考えてくれたんだ。ありがと」
唯華は私の唇を奪う。あまりに突然だったので思考回路が止まる。
そんな私の脳みそのことなど知る由もない唯華はにこにこしながらクッションを抱えて座る。
私の幼馴染狡すぎる。本当に狡い。そんなことを思いながら固まっていたのだった。
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