ファーストキスを奪い合った女子高生二人は初心で面倒くさい

白河夜船

☆プロローグ☆

 「ファーストキスってレモンの味じゃないらしいよ」

 「はあ……」


 放課後の教室で突然そんなことを口にする彼女に対し、私はぶっきらぼうな反応を見せた。

 そんな私の反応を見るために、彼女はスマホから目線をあげる。

 私と目線を合わせると、すぐにむくぅと頬を膨らませた。

 言わなくてもわかる。

 なにかしらの不満があるのだと。

 わかるからそんな目で私のことを見ないで欲しい。


 「な、な、な、なによ……なによ。そんな露骨に私可愛いでしょみたいな顔しちゃって」


 あははは、と苦笑しながら指摘した。


 「雛乃ひなのは毒があるなぁ」

 「可愛い自覚がないとそういう反応はしないんだよ。だから毒じゃなくて正論って言って欲しいね」


 私は可愛くないから頬をむくぅと膨らませたりはしない。

 私がむくぅと頬を膨らませたとしよう。気持ち悪いと思われる……のならまだマシだ。痛い子とか思われたら死ねる。

 心に鋭利な刃物が突き刺さって抜けなくなるだろう。

 需要がないことなんて本人が一番わかっているのだ。


 一方で彼女はどうだろうか。可愛いし、様になっている。

 世の中は顔なんだよ、と教えてくれる。もっとも、本人にそんな説教じみたことをしている自覚はないのだろうけれど。

 だからこそ質が悪い。


 「でも幼馴染が可愛いってのは鼻が高いかも」


 私ってこんな可愛い可愛い月岡唯華の幼馴染なんです〜、って自慢できるわけだし。

 もしかしたら、唯華ゆいかに寄ってきた男のおこぼれを貰えるかもしれない。これは役得だよね。ある意味ステータスでもあるだろう。

 もっともそんな出汁に使うようなことしたくはないし、するつもりも毛頭ないのだけれど。最低な人間になったつもりはない。


 「私、そんなに可愛い可愛いって言われるほど、可愛いとは思えないけどー。うーん。うーん……?」


 そう言いながら、スリープモードになったスマホの画面を見つめている。

 画面に反射する自分の顔でも見ているのだろう。

 スマホの画面を見つめて、こてんと首を捻ったり、目を細めたりしている。


 一つ一つの行動があざとい。

 あざといのだけれど、嫌なあざとさではないのだ。

 可愛さがふわふわと感じられるようなあざとさ。

 結果としてただ純枠に可愛いだけ。卑怯だ。


 「可愛いって言われるのは本当にめっちゃくちゃ……アイドルとか、モデルさんとかそういう可愛さだけでお金が貰えるような人か、全く可愛くない人だけだよ。普通に可愛いくらいだと皆わざわざ言わないから。可愛いだなんて」


 めっちゃ可愛い人はもう言わずもがな。

 腐るほど言われ続けてきているのだろう。

 言われ過ぎて、可愛いという言葉に魅力すら感じていないかもしれない。


 ただ、あんまり可愛くなかったり顔立ちが良くない人はお世辞で「可愛いね」と言われることが多い。

 その結果勘違いしちゃって、時折モンスターと呼ばれるような手に負えないような女性が爆誕する。

 ワガママだらけだったり、自称サバサバ系だったり、男女共に嫌われるような人間ができあがってしまう。

 でも普通に可愛い人には可愛いとか言わない。普通に可愛いよね、とか言っても嫌味にしか聞こえないだろうし。


「だから唯華は可愛い。以上。QED!」


 証明終了と叩きつける。


 「うーん、そうかな。雛乃の方が可愛いと思うけど」

 「おー、面白いこと言うじゃん」

 「面白い……?」


 唯華は不思議そうに首を傾げる。

 私が可愛いだなんて天と地がひっくり返ったとしてもありえないことだ。

 あー、違うな。あれだね、あれ。

 ブルドッグとかパグを「可愛い」って言う感覚に近いんだと思う。

 ブサカワってやつだね。ああはは、はぁ。

 唯華は私のことを犬だと思っているのだろうか。


 「雛乃は可愛いでしょ」


 私っておかしなこと言ってる? と言いたげな様子。

 そういう眼差しをつーっと向けられる。

 思わず私は顔を顰めてしまう。

 本気で私のことを可愛いと思っているのが伝わってくるから。

 自分自身のことを可愛いとは思っていないし、客観的に見ても可愛いとは思えない。だからこそ、他人に可愛いって言われると気分を害する。


 「可愛くない」

 「うーん、私は可愛いと思うけどなぁ」


 口元に手を当てながら、そうつぶやく。


 「で、それよりも」


 これ以上可愛い可愛いと言われ続けると、どうにかなっちゃいそうなのでパンっとわざとらしく手を叩いてから話を切り替える。


 「さっきのはなんなの」

 「さっきのって?」

 「ファーストキスが云々って言ってたでしょ」

 「言ってたね」


 うんうんと頷く。

 そして目線をスマホに落とすと、ささーっと操作する。指を止めると同時にほいっと画面を見せつけてきた。


 そこには、


『ファーストキスはレモンの味って本当?』


 という丸っこくて可愛らしいフォントで書かれているタイトルが表示されていた。その下には、


 『まず結論から申し上げますとファーストキスはレモンの味ではありません。では、一体どんな味がするのか。キスをしたことがない――』


 という本文が書かれている。


 だから、なんだ。なんなんだ。

 真っ先に得た感情はそれであった。


 「らしいよ」


 唯華はそう言うと、すっとスマホを片付ける。


 「ファーストキスはレモンの味じゃあないんだってさ」

 「ふーん、そうなんだ」

 「そうそう」


 私の微妙な反応を気にすることなく、唯華はうんうんと激しく頷く。

 イマイチ掴むことができない。掴むことができないから、こんな微妙な反応をすることしかできない。

 一体、唯華がなにを考えていて、なにを求めているのかがわからないのだ。

 沈黙を埋めるためだけの意味のない会話をしたいのか、それとも意図と意味を持った会話をしたいのか。

 前者は沈黙を嫌うような関係ではないと否定できるし、後者は今の会話に意味もなにもないよねと思う。

 どっちも否定できる要素が多いだけに、答えを見失ってしまう。

 結局なんなのか。

 それすらも良くわからない。


 「ちなみに」


 唯華は沈黙を破る。別に居心地の悪い空気ではなかったのだけれど。


 「ファーストキスってどんな味がするか知ってる?」


 私に投げかけてくる。

 彼氏という存在なんてできたことのない私には、その答えは出すことできない。

 わからない。わかるわけがない。

 キスなんてしたことがないんだから知るわけがないのだ。それくらい唯華だってわかっているはず。意地悪な質問をしてくるなぁ。


 「知らない」


 ふるふると首を横に振った。


 「だよねー」


 知っていましたと言いたげな様子で唯華は表情を綻ばせる。

 唯華にはそんな意図は一切ないのだろうけれど、なんとなく煽られてたような気分になる。

 ムスッとしてしまう。

 もちろん頬は膨らませない。

 さっきも言ったけれど、私がやっても気持ち悪いだけだからね。


 「じゃあ唯華はわかるわけ? ファーストキスの味」


 とんとんと唇を指で叩きながら、意地悪な問いを投げる。

 さっきやられた分の仕返しである。

 意地悪な質問であると理解しているからこそ、自然と口角が上がってしまう。


 「わかるよ」


 首肯する。想定していた答えではなかった。

 すんと上がった口角は下がる。

 わからないという言葉を期待していた。

 というか、その答え以外ありえないと思っていたのだ。


 だから本気なのと吃驚してしまうし、嘘だろと訝しんでもしまうし、なんの冗談だと苦笑してしまう。

 ジロリと睨むように、唯華を見つめる。

 唯華の目の奥を見つめるように、瞳を見る。

 それでも唯華は動揺することはない。

 堂々と振舞っている。

 目線を泳がすようなこともない。


 「わかるんだ」


 ファーストキスの味を知っているということはつまり、キスの経験があるということ。

 当然のことを繰り返してしまったが大事なことだ。

 私と唯華は幼馴染であり、幼稚園に入園した段階では既に仲が良く、常にくっついて行動していた。

 そういう記憶が点在しているということは、物心つく前から一緒にいたのだろうと思う。もっとも、両親から過去の私たちについて詳しく聞いたことなんてないので、実際のところどうなのかはわからないけれど。


 とにかく、私と唯華は常にセットだった。ハッピーセットとか揶揄されたこともあったなぁと思い出す。

 まぁ良いや。

 とにかくそういうわけだから、過去形なのか現在進行形なのかという疑問点は一旦置いておいて、彼氏がいた、その事実に震えてしまう。

 唯華について知らないことがあったんだ……という驚きとでも言えば良いだろうか。

 心を動かすには十分過ぎるくらいの衝撃だ。


 本来そういう相手が居るというのは喜ばしいことなのだろうけれど、あまり気分の良い事実ではない。

 少なくとも素直に喜べはしない。

 唯華は私の隣をずっと歩いていると思っていたのに、実は私よりも一歩も二歩も私よりも先を歩いていて、置いてかれてしまったという孤独感に襲われるからだ。

 嫉妬というよりも、己が滑稽に思えてしまう。それが嫌だった。


 でも、まあ、唯華は可愛いし、彼氏が居るのだとしても、なにも不思議ではない。

 むしろそれが正常だとさえ思う。

 今まで唯華ほどの可愛い人に男の影がなかったのがおかしいのだ。


 「ふーん、じゃあどんな味がするの」


 私は心情を奥底に押し付けて、毅然とした態度を演じる。

 知っているのなら教えてみろ、というやっつけ半分誤魔化し半分。


 「うーんと、イチゴの味?」


 唯華はそう口にしてから、こてんと首を傾げる。

 ハッキリとしない言い方だった。

 私は思わず苦笑する。


 「なんでそんなに曖昧模糊なの」

 「イチゴの味、って……アイスじゃないんだからって思ってね」


 クスクスと唯華は笑う。

 私は置いてきぼりにされてしまう。

 唯華がどんどんと奥の方へ行ってしまう。手を伸ばしても、届かないような。掴みたくても掴めないような。

 そんな感じがする。

 というか、どことなく他人事のような口調だ。

 気のせいだろうか。気のせいかもしれない。


 「なんか他人事のような気がするけど」

 「んー、そうかも」


 唇に軽く指を当てると、こてんと頷く。

 自分の経験談なのに他人事なのか。違和感マシマシだ。

 目を細め、うーんと考える。


 「というか、実際他人事だし」


 私の目線に気付いた唯華は苦笑気味にそう答える。


 「なんか勘違いしてない? してる。ううん、絶対にしてるよね。雛乃ったら勘違いしてるよ」


 唯華は怪訝そうに目線を私に送る。

 かと思えば、うんうんとわざとらしく何度も頷く。

 なんというか忙しないなぁ。


 「書いてあっただけだよ。さっき雛乃に見せたページに。ファーストキスはイチゴの味だってね」

 「さっきのって……あーあれね」


 ファーストキスはレモンの味だとかなんだとか書かれていたあのページのことだろう。


 「そう。あれあれ」


 なんだと安堵する。

 なんで安堵しているのだろうと不思議に思う。

 胸に手を当てて、少し考えてみるが答えはでてこない。

 けれど、まぁ、そういうもんかと適当に自分の中に落とし込む。


 「ファーストキスはイチゴの味なんて痛いこと私言ったりしないからね。少女漫画じゃああるまいし」

 「私そこまで言ってないよ」


 と言いながら、目を逸らす。

 言われてみればたしかに、ファーストキスはイチゴの味って痛々しいなぁと思う。まぁ、レモンの味も大概だけれど。


 「あ、目逸らした」

 「違う。これはそういうのじゃなくて」


 弁明しようと試みるも、痛々しいと気付いて目を逸らしてしまったので、弁明に失敗してしまう。

 なにか言えば言うほど怪しくなるなぁ、と気付いて私は口を噤む。


 「本当はなんの味がするか気にならない?」


 ぐいっと身体を寄せる。長くて黒い髪の毛が私の頬を掠める。


 「ファーストキスが?」


 わかっていて、問う。


 「うん」


 唯華は間を空けることなく頷く。


 気になるか、気にならないか。

 その二択であれば気になるになるのだけれど、ファーストキスの味なんて確かめようがない。

 確かめる術がない。

 だって、誰かとキスしないとわからないのだから。

 ということは、だ。

 つまり私は今から誰かとキスさせられるのだろうか。

 好きでもない男にファーストキスを奪われるっていうのはちょっと、いいや大分嫌な気分だ。

 面白くはない。


 白馬に乗った王子様がいつか迎えに来てくれるから……みたいな夢物語を脳内で描いているわけじゃない。

 純粋にファーストキスというのは特別なものであって、簡単に失って良いものではないと思っているだけ。

 これももしかしたら夢物語で理想が高いのかもしれないけれど。

 でもそれくらいは抱かせて欲しい。せめて好きな人とさせて欲しい。

 もっとも好きな人なんて居ないんだけれど。

 でもそれはそれ、これはこれ。

 一人の女の子並みの望みは持たせて欲しいと願う。


 「なら、してみよっか」


 唯華は止まることはない。そう口にする。

 やはり誰かとキスさせられるらしい。

 なぜ私がそんな目に遭わないといけないのか。

 唯華が言い出しっぺなのだから、私ではなくて、唯華が確かめるべきではないだろうか。

 この状況に悶々としてしまう。

 やっぱりどうも納得できない。


 「……」


 私は睨む。

 唯華はニコッと笑う。白い歯を見せて、屈託のない笑みを見せる。

 図太いなぁと思う。

 私だったら睨まれただけで怯むのに。


 「唯華がすれば良いでしょ。キス」

 「うん? するよ?」


 お前はなに寝惚けたことを言っているんだ。

 と、言っているような眼差し。

 私の頭にはいくつものクエスチョンマークが浮かび上がってくる。

 あれ、私なにかおかしなことを言っただろうか。

 というか、話が噛み合っていないような気がする。

 いいや、噛み合ってはいるのかな。

 もうそれすらも良くわからなくなってしまう。

 思考回路が渋滞して、こんがらがって、すべてを投げ出したくなる。


 「これから唯華がキスするところを見せつけられるっていうことか」


 状況を整理する。

 ついでに声も出す。

 言葉にする前からわかってはいたのだけれど、こうやって声に出してみると改めてそのおかしさだったり、不自然さであったり、そういうものを認識させられる。


 「そうかな」


 眉を顰める。ん、と口も尖らせる。


 「そうかも」


 私が答える隙もなく、唯華はそうやって納得する。

 自問自答だ。

 私を置いて先に行かないで欲しい。


 「雛乃は私のファーストキスを見ることになるし、私は雛乃のファーストキスを見ることになるはず」

 「どういうこと?」


 スルーできない言葉が聞こえてきた。


 「そのままの意味だけど」

 「そのままの意味だったとしても意味がわからない」

 「そう?」

 「そうでしょ」


 唯華の言っていることをそのまま受け取るのだとすれば、私も唯華もお互いにキスを見せつけることになる。

 ファーストキスの見せあいっこ。意味がわからない。

 わかるわけがない。

 仮にキスの見せあいっこをするのだとしよう。

 まあ、もうこの時点で一億歩くらい譲歩しているのだけれど。

 仮にね、そうだとしよう。

 だとしても、緊張でファーストキスの味なんか気にしていられないと思う。

 というかファーストキスなんて人様に見せるものじゃないだろう。

 うん? というか、そもそもキス自体、誰かに見せるようなものではないんじゃなかろうか。


 「ずっとしかめっ面だけど、そんなに嫌なの?」


 唯華は沈むような表情を浮かべる。

 そんな表情をされると渋っている私がおかしいのかなとか思い始めてしまう。

 でも一度冷静になると、私が正常だよなと正気になる。

 こんなムチャクチャな提案を拒否されて落ち込んでいる唯華がおかしいんだ。


 「嫌でしょ。普通は嫌だよ」


 好きでもない人にファーストキスを捧げるっていうだけで嫌だと言うのに、あろうことかそれを幼馴染に見せつけなきゃいけなくて、同時に幼馴染のファーストキスも見なきゃならない。

 嫌じゃないわけがない。

 こんな混沌とした状況を望んで、好むのなんて相当歪んだ性格やら性癖を持っている人しかいない。

 少なくとも私はそうじゃない。

 私は至ってノーマルな人間だ。

 変なものに興奮はしないし、したこともない。人にキスを見られて興奮することもないだろうし、人のキスを見て……ましてや幼馴染のキスを見て興奮することはない。

 断言できる。


 「嫌かぁ……」


 唯華は困ったように笑う。

 そして、そっか~と声を漏らしながら、額を指で撫でるように触る。


 「無理矢理するつもりはないから良いんだけどね。強要するのは本望じゃないし。残念だけど仕方ない」


 唯華はほいっと立ち上がる。反動で私の机はがたんと揺れた。

 立ち上がった唯華は気持ち良さそうにぐぐぐーっと背を伸ばす。

 んんっ……と漏れ出る声はとても気持ち良さそうだった。

 釣られて私も背を伸ばしたくなる。


 「ファーストキスしたいだけなら唯華だけやってくれば良いんじゃない? わざわざ私を巻き込む必要もないでしょ」


 私がやらないからって、諦める必要はない。

 唯華だけでやれば良い。

 単純明快な話だ。


 「巻き込む?」


 唯華は私の隣までやってきてから、はてと首を傾げる。

 ついに日本語すらわからなくなってしまったのだろうか。

 英語で喋った方が良いのかな。

 まぁ、私は英語なんてまともに喋れないんだけれどね。


 「うん」

 「雛乃は私一人でキスをしろって言うの?」

 「そういうもんでしょ。キスって」

 「そういうものではないと思うけど」

 「いやいや……」


 苦笑する。価値観があまりにも違いすぎで吃驚する。

 同じように過ごしてきたのに、ここまで価値観って違うものなのだなぁと、感心すらしてしまう。


 「キスは見世物じゃないし」

 「そりゃそうだねぇ」


 こくりと唯華は頷く。


 「いや、さっきと言ってること違うじゃん」

 「え?」

 「え?」


 私と唯華は見つめ合う。


 「だってさっき見せあうって……」


 言っていたよなぁ、うん、間違いなく言っていた。


 「結果的に見せあうような形にはなるけどってことね」

 「最初から見せ付けあうわけじゃないの?」

 「そんなわけないでしょ」


 唯華はクスクスと髪の毛を揺らしながら笑う。


 「それじゃあ私が変態みたいじゃん」

 「だから変態なのかと」

 「えー、雛乃さいてーじゃん」


 指を差す。

 責めるような声色ではない。

 おちゃらけて楽しそうに指を差す。


 「というか、そういう考えが浮かぶ雛乃の方が変態なのでは……」

 「なわけないでしょ。私は純粋無垢なんだから」

 「純粋無垢な子はファーストキスを見せあうなんてとんでもなハードなプレイ思いつかないよ」

 「連想させたのはそっちだけれど」

 「勝手に連想したんでしょ」

 「まぁ、それは……そうだね」


 その通り過ぎて言葉を失う。

 見失うが正解かな。


 「そうでしょそうでしょ」

 「うるさ」

 「幼馴染が変態だと困っちゃうなぁ」

 「変態ではない」

 「じゃあなに? ファーストキスを見せあおうだなんてハードなプレイを思いつくなんなの?」


 唯華は嬉々としている。私を弄るのが心底楽しいという感じだ。イキイキとしている。水を得た魚のようだ。こんなのでイキイキしないで欲しい。


 「発想力と想像力が豊か?」

 「物は言いようだねぇ」


 腕を組んでふむふむと頷く。


 「じゃあ、結局あれはどういうことだったの?」


 とりあえず私が意図を間違えて受け取っていたことは理解した。

 正直それはかなり納得できる。

 あまりに不自然だし、どこがって言われるとわからないけれど、引っかかる部分もあったし。


 「んー、それはね」


 唇に指を当てて、頬を弛緩する。


 「秘密とか言わないでね」

 「わあ、なんでバレた?」

 「そういう雰囲気が漂っていたから」

 「なるほどね」


 本当にわかっているのか微妙な返事だ。

 ちなみに私はわかっていない。

 雰囲気ってなんなんだよって言ってから思った。


 「ちなみにだけど」


 腫物でも触るかのように丁寧かつ慎重に、突っつく。


 「ファーストキスは失いたくない?」

 「え、どういうこと?」


 今更すぎる質問だ。


 「ファーストキスっていうのをどのくらい大事にしてんのかなぁって」


 なんで今更、という疑問には答えてくれない。


 「まぁ、それなりには?」


 言葉にしようとすると一気に難しくなる。

 大事だし、簡単に失いたくないけれど、じゃあ一生守りたい代物かと言われればまたそれも違う。

 言語化が難しい。大事だけれど大事じゃない。

 今の私の力で言語化するのなら「それなりに」という言葉以外なかった。


 「そっか」


 淡泊な返事。

 唯華がなにを考えて、その質問をぶつけてきたのかも、今彼女がなにを思っているのかもわからない。


 「すっごく大事ってことじゃないなら良いか。十何年の付き合いだし、というか幼馴染なんだし許してね」

 「え、なにを……」


 唯華は私の正面に回った。

 そして、両肩に手を置く。

 距離はぐんと近付く。

 教室の照明が反射する瞳。

 乾燥とは無縁な潤いだらけの唇も。

 若干早目な呼吸。

 シャンプーの柑橘系の良い香り。

 そういうある程度離れたところだと感じることのできないものを大量に感じる。

 情報として私の脳内に蕩けて駆け巡る。


 唯華は黙る。

 なにも喋らない。

 喋れない体になったのか、死んでしまったのか、目の前に唯華が居て、すべて否定できるのにも関わらずそう思ってしまうほどに静かだった。

 さっきまであんなにおちゃらけていたのが嘘かのようになにも喋らない。

 ずっと口を噤む。

 躊躇することなく、顔をどんどんと近付ける。

 私の視界はどんどんと唯華一色になっていく。


 このままだとキスしてしまう。


 唇を奪われる。

 ぶつかる。

 避けられない。

 逃げられない。


 それでも唯華は止まらない。


 「嫌なら逃げな」


 唯華はそう口にする。

 そうして、彼女は目を閉じる。


 私は……どうしたいのか。


 別に唯華なら良いか。


 これが答えだった。


 だから受け入れる。

 唯華の唇が私の唇に触れる。

 互いの吐息は聞こえなくなる。


 柔らかい。

 弾力がある。


 私の唇のかさつきが際立つ。

 一応薬用リップとか塗ってはいるのだけれど。

 そういう小手先のお手入れだけじゃあ足りないということか。


 唇の合間から温かいぬるっとしたものが入ってくる。

 それは私の舌に絡まる。

 その瞬間に私の唾液はハンバーグの肉汁のように溢れる。


 ディープなキスだった。


 されるがまま。

 完全に受け身だ。


 蕩けそうなほど私はほぐされていく。

 気持ちは驚くほどに高揚していく。

 ぐんぐんと上がって、上がって、下がることなく上がっていく。


 するりと、私の口から舌は抜ける。ぷはぁと唯華は音を出す。

 目の前に見える唯華はとても妖艶で、色気と色気とあとは……色気。とにかく妖しさしかない。


 「うーん」


 唇に付着した液を腕で拭いながらそんな声を出す。


 「レモンの味も、イチゴの味もしなかったなぁ」


 唯華の言葉で本来の目的を思い出す。

 一人で舞い上がって、興奮して、高揚してしまったことを恥じる。

 一度目を瞑って、思考回路をリセットする。そんなんで切り替えられたら人生苦労しないのだけれど。

 リセットしようという気概が大切なのだ。

 なんの味がしたかなぁ、とさっきのことを思い返す。

 レモンの味でもなければ、イチゴの味でもない。

 というかそもそもフルーツの味でもなかった。

く強いて言うのならば、コーヒーの苦味が少しあったかなぁという感じだろうか。

くそれもはっきりと感じるっていうレベルではない。

く本当に微かにするだけ。

 大半を占めるのは未知の味であった。そうだなぁ、ここで無理矢理答えを出すのならば、……あぁ、そんなの言えるはずがない。

 言ってしまったらファーストキスはイチゴの味とか言っているサイトよりも痛い子認定されてしまうかもしれないから。

 ちょっと……というか、かなりそれは嫌だ。

 だから心の中にだけ留めておく。


 ――ファーストキスは唯華味だった。

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