第43話 老人の剣士

「ほう、嬉しいことを言ってくれるのう」


 ロウコウは嬉しそうに笑みを浮かべる。正直、最悪な相手だった。魔王ロランが率いる魔族の軍勢の将軍の一人だ。魔王ロランへ挑んだ多くの勇者はすべてがロランの待つ魔王の城までたどり辿り着けた者はそう多くはない。なぜなら、魔王城を守る守護者であり、魔族の軍勢を指揮する選ばれた将軍たちによって、志半ばで命を落としているからだ。ロランにたどり着いた勇者はまともに彼らと戦っていないか、運よく席を外していた時にロランに戦いを仕掛けることができた者たちがほとんどだ。


 ロウコウはもともとは人間だったと言われている。剣を極め、強者と戦うことを好む戦士であった。強く、もっと強く。彼が求める先にあるものは強さのみ。彼は強くなり、さらに強いものを求めて続け、気が付けば数千人の人間を殺していた。人の世界に強さを見いだせなくなった彼は、ついには魔王ロランへ挑んだ。しかし、結果はロランの圧勝。人間の限界を知らしめらえたロウコウはロランに懇願する。どうか、わしを魔物にして欲しいと。そして、ロウコウは魔王軍に加わった。


 そんな人間をやめた剣豪のロウコウを相手にするとなると、自分たちだけで勝てる可能性は低いとエイラムは判断した。最上級フェレン聖騎士数人がまとまって戦っても、勝てるか怪しい。ここは逃げるが勝ちだ。エイラムはアリシアへ手でジェスチャーを送った。それは言葉が発せない時、または相手に悟られないように自分たちだけわかるような合図だ。それは撤退という意味がある。それを察したアリシアは魔法を唱えた。エイラムもすぐに魔法を唱え、そして、二人は同時に魔法を発動させる。


『――フラッシュライト―――』

『――テレポーテーション――』


 強烈な光が二人の身体から発せられ、ロウコウの視界を奪った。


「ぬ?!」


 そして、二人がその場から消える。



「逃げ足だけはやはり早いの。人間どもめが」



♦♦♦♦♦





エイラムとアリシアはどこかわからない森の中へとテレポートしていた。辺りを見渡す。拓けた場所へと移動し、エイラムは周囲を警戒しつつ、木の陰に隠れながら、ここがどこなのかを推測しようとする。少し小高い山の上にいるのがわかった。ソリアの街が一望できるほどの高さの場所にいるようだ。


「また、変な所へ飛ばされたな」


 エイラムは「また」と言いながらそう呟く。


 以前にも予定していた移動先から数キロ離れた場所に転移したとこもあり、不安であったが、案の定、よくわからない場所だった。


「エイラムさんがいきなり撤退だ、なんて合図を送るからでしょ! そんないきなり瞬間移動なんて言われても、どこに逃げたらいいのかなんて想像がつかないし!」


 アリシアは不満げな表情を見せる。咄嗟の判断で、魔法の発動時にどこかへとにかく移動せよ、という魔法では精度があまりにも低いのはわかっているが、それでも文句の一つくらい言いたくなる。


 だが、エイラムのあの反応はアリシア自身も理解できた。もしここでロウコウと戦い続けていれば、いずれ殺されてしまうだろうということに気付いていたのだ。


 ロウコウの強さは桁違いだった。あれは自分たちの手に追えるものではない。そして、ロウコウは魔王ロランの配下の一人。つまり、魔王ロランが動いているという事を示している。確固たる情報は得られなかったが、魔王ロランの配下がこの近辺にいることだけは確かだとエイラムは確信していた。


 ロウコウが追いかけてくる気配はない。エイラムはほっとした。


 だが、まだ油断はできない。ロウコウが自分を追ってこなくても、他の魔族の将軍が襲ってくるかもしれない。そう考えると、早くこの場所を離れた方がよかった。


 エイラムたちのフェレン聖騎士たちは街を挟んだ反対側の方で待機させていた。まずはそこに行く必要があるのだが、問題はどうやってそこまで戻るかだ。街を突っ切るわけにはいかないだろうし、街を迂回して戻れば時間がかかりすぎる。


 どうしたものか、と考えていたその時、遠くのほうから大きな足音が聞こえた。重量のある足音にエイラムは嫌な予感を覚える。


 アリシアとエイラムは顔を合わせると、音のする方角を見る。すると、木々の間から大きな体躯のオークの姿があった。両手で戦斧を握りしめている。エイラムはその姿を見て、息を飲む。


 ロウコウがこちらに向かってきているのかと思ったが、そうではなかった。ロウコウとは比べ物にならないほどの威圧感を放っていたからだ。


 そのオークはロウコウよりも体格が大きく、身に纏う鎧はまるで鉄塊のように鉛色の光沢を放っていた。それだけで普通のオークとは違うことがわかる。


 エイラムとアリシアは息を殺し、木影から一体のオークの様子を伺っていた。


 オークは戦斧を握りしめながらゆっくりとした足取りで、のそのそと歩き、鎧を擦り鳴らす。


 何かを感じ取ったのか、その歩みを止めた。


 エイラムはアリシアに人差し指で物音を立てないようにと合図を出したあと、目を細めて、相手の動きを伺う。


 まだはっきりとはわからないが、相当の強さを表す魔力が体から溢れ出ているのがわかった。


(――――あいつもあいつで相当ヤバいな……)


 さっきまで魔王軍の将軍ロウコウと戦ったばかりで、逃げてきたのに、ロウコウと同等、もしくはそれ以上の魔力を持つ魔物と遭遇するとはつくづくついていないと思ってしまう。


 それともここへ来ることをあらかじめ予測していたのか。それとも、転移魔法をそのままここへ来るように誘導されたのか。それはわからなかったが、ここで戦えば確実に殺されることはわかる。


 目の前にいるオークもまた、魔王ロランの配下の一人なのではないか、とエイラムは睨んだ。気づけば、頬に冷や汗が流れ、全身に鳥肌が立っていた。


 エイラムは多くの魔物と対峙したことがある。


 死んだ人間の魂が彷徨い、あるべき場所へ帰ることなく、この世に未練を残し、やがて怨念となって現れる幽鬼と対峙した時よりも、目の前にいる毛むくじゃらのオークの方がよっぽど恐ろしい。


 はかりし得ない強さを感じ、今すぐに逃げろ、と本能がそう言っている。手が震え、足も竦んでいる。


 エイラムは視線をアリシアにチラリと向けた。アリシアもオークの魔力の強さを感じているようで、顔を引き攣らせていた。


 どうするんですかこれ? と目で訴えかけるように見てくる。それに対して、エイラムはオークを一瞥した後、またジェスチャーで合図を送る。


 合図の内容は『先手必勝』というものだった。


 正気?という顔をしたが、もう一度、同じ合図を出す。それにアリシアは渋々ながらも従う。


 魔物である以上、こちら側の話を一切聞き入れてくれるはずがない。


 エイラムたちがそうだったからだ。


 命乞いをする魔物に正義の裁きだといい、剣を振るってきた。


 魔物は悪。この世界から一掃されなければならない、それがフェレン聖教会の教えた。それにエイラムは従ってきた。


 であれば、魔物たちも同様、フェレン聖騎士は自分たちを狩る憎き存在であり、永遠の敵。


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