第9話 魔王の残り香
マーガレットは足早に死んだ帝国兵に歩み寄って、立て膝をついた。そのまま迷うことなく被せた布を取る。
「これは……」
怪訝した声にギリオンがマーガレット越しに死体を見下ろす。
「これはまた興味深いですな」
普段から、魔物に襲われた者の無残な姿はたくさんみてきた。人の形をしていない者……つまりに肉の塊になった物をたくさん見ている。その損傷具合から魔物の正体を導き出す。それを元に対策を打つのがフェレン聖騎士団だ。
マーガレットは死んだ帝国兵をまじまじと見つめ、死に至らしめた原因を見定めようとした。眼球、それから首筋に手を当て、次に胸部、腹部、足先、肌に変色がないか、と隅々に調べていく。怪訝した顔をした。
「目立った外傷はありませんね」
この瞬間から外部からの攻撃を受けたことで死んだことにはならなかった、とわかった。思案したあとマーガレットがぼそついた。
「ということは物理でも魔法でもない……?」
意見を求めるようにギリオンへ視線を向けた。
「うーむ。しかし、騎士長、こんなキレイな死体を見るのは初めてだ」
「私もです」
物理攻撃ならわかりやすい。また別の攻撃手段として、魔法攻撃を受けたのであれば、その痕跡が残る。例えば、雷系攻撃ならば、皮膚は黒く焼けたような跡が残る。火系攻撃なら火傷、炭化もありえる。
基本的にこの物理攻撃と魔法攻撃の二つの方法があるが、もう一つ、攻撃方法があった。
マーガレットも昔、図書館で古い書物を読んでいた時に書かれていた事を思い出す。帝国兵の死体にまとわりついている黒い霧も記載と一致する。嫌な予感がした。
「…まさか、闇系の魔法? それも即死魔法か?」
即死魔法―――闇属性の魔法の一種で、その名の通り、対象者を即死させることができる最上級魔法である。ただし、フェレン聖騎士のように魔法耐性をつける訓練を行っている者には効かない事がある。帝国軍の一般兵は騎士とは違い、通常訓練しか受けておらず、魔法耐性を持っていないため、即死魔法攻撃を受けたらひとたまりもない。
ギリオンが顔をひきつらせた。冗談でも言ってはいけないフレーズだった。マーガレットと共に働いて、性格をよく知っているつもりで、真面目な彼女はあまり冗談を言わない。そのため、本当にそう思って、言っているのだと知ると深刻な事態が起きているような気がした。
「即死魔法……ですか? 騎士長、仮に本当に即死魔法だったのならそれは総本部に報告しないといけないレベルですよ?」
「まだ仮説です」
マーガレットがおもむろに並べられて安置されている死体へと視線を向けた。そこに帝国兵士が立っているのが見えた。
「そこの方、少し尋ねたいことが」
「えぇ。なんでしょうか?」
「この兵士たちを殺害した者の目撃者とかはいたりしませんか?」
少なからずも、帝国軍は数千規模の兵士で動いていたはずだ。
目撃者の一人や二人いてもいいはずだ、とそう思った。
「えっと……一人だけ生き残りがいます」
ギリオンがおぉ、と期待の声を漏らす。目撃者がいれば、即死魔法を使った魔物の容姿や正体がわかるため、対策を講じることができる。そして、マーガレットの頭の片隅にあるある者の存在を否定したかった。その為にも確認を取りたい気持ちが強い。
「ただ……」
「ただ?」
「まともに会話ができない状態ですよ」
「というと?」
「かなりの錯乱しているようで、五人がかりで取り押さえたほどです。騎士長殿が直接会うのは危険かと」
マーガレットが立ち上がり、膝についた土埃を叩き落とす。
「私は構いません。その兵士のところまで案内して下さい」
真っ直ぐに向ける瞳に気圧され、どうしたらいいのか困った帝国兵は上官へ助けを求めるように視線を向ける。それに上官は顎で指示する。帝国兵は案内する事を決めた。
「わかりました。騎士長殿、こちらです」
引き連れていたフェレン聖騎士らを待機させて、マーガレットは副官のギリオンと共に帝国兵の後を追うことにした。
街は破壊しつくされており、機能を失っているように見える。
どの家屋も焼け落ちていた。
街の中心地にある兵舎の近くには、帝国軍の臨時の幕舎が建てられており、そこへ向かう。垂れ幕まで来ると足を止める。
そこには左右に二人の帝国兵が見張り役としてついていた。
幕舎の中にから悲鳴が漏れ、マーガレットは急いで幕舎の中へ入る。
するとそこには一人の若い帝国兵が頭を抱え、まるで亀のようにうずくまり、唸り声を出している。異様な光景だった。その帝国兵に白衣を着た軍医たちが困り果ていた。
「来るな…やめろ…来るな…死にたくない…」
マーガレットたちに気が付いた白衣の軍医たちが慌てて敬礼する。それにマーガレットは返礼した。報告をする為に白髪の男が歩み寄ってきた。深刻そうに眉をひそめる。
「……彼はもうだめです」
軍医の表情から察した。
「そんなに酷いのですか?」
「えぇ。精神が崩壊してます」
白髪の軍医が哀れみの視線を向けた。医師としてなんの治療もやっていないと思われたくないと思ったのか、言い訳をしてきた。
「一応、治癒魔法を施しました。しかし、精神面までは無理です。これ以上の手の施しようは……」
首を左右に振った。お手上げ、ということだった。
「来る……こっちに来る……あいつが、闇が迫ってくる……」
マーガレットも悲しげな顔で帝国兵に歩み寄ろうとした。それにその場にいた全員が止めようとしたが手で大丈夫と合図を出して、下がらせた。ギリオンは顔を強張らせていたがマーガレットの指示に大人しく従う。マーガレットがしゃがみ込み、帝国兵の背中に手を添えた。小刻みに身体を震わせているのが伝わる。
「大丈夫。もう何も怖くない」
マーガレットが優しく背中をさする。小さな声が漏れた。
「……やつがくる」
「ん?」
聞き取れなかったため、耳を帝国兵の近くへ近づけた。ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「闇が、闇が、あの赤い瞳をしたあいつが睨みつけてくる」
「赤い瞳?」
赤い瞳という言葉にギリオンが目を細める。
「相手はどんなやつだった?」
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