第38話 満ちる
満月の夜。
カーテンを透かす光は強く、室内はいつもよりもやや明るい。
光源の一つもないにも関わらず目視でおぼろげに室内を見回せるのは、いつもとの違いにわたしの心を浮足立たせる。
ベッドの中に入るものの、わたしは期待と不安で全く眠れずにいた。
もちろん眠る気なんてなかったからいいものの、そんなわたしを最初、フィナンは少し不思議そうに見ていた。
そのフィナンも今は部屋にはいない。
つながった使用人用の控えの部屋にいるか、あるいは使用人用の宿舎にいるか。
どちらにしてもぐっすりと寝入っている気がした。
よだれを垂らして意味の無い寝言をつぶやいている姿を想像して、少しだけ気持ちが落ち着いた。
フィナンは、わたしにとって一種の精神安定剤になっているみたいだった。
明かりの消えた部屋、しばらくベッドの中で転がり、人の気配がすっかり消えたところで体を起こす。
わたしに対する殿下の関心が低いというのは、今日という日においてはむしろプラスに働いた。
わたしが普通の妃だったら、きっと部屋の外や使用人用の小部屋には常に護衛が待機していて、何か物音でも聞きつけると飛んできただろう。
けれど蔑ろにされているわたしには、夜間にずっと侍っているような忠誠心の高い人はない。
おかげで、気にすることなく夜に動ける。
体を伸ばし、手早く服を着替える。
明かりをつけなかったのは念のため。まあ、月明りのおかげか、あるいは闇に慣れた目のおかげか、特に不自由はしなかった。
着替えにいつもよりももたついたのは、おそらくは最近フィナンたち使用人に着替えを任せているから。
高貴な者は身の回りのことを使用人にさせる。自分で行わないのが一種のステータスらしいものの、正直わたしの価値観とはそぐわない。
それでも郷に入っては郷に従えとばかりに世話を任せているのは、余計な報告をされて面倒事を持ってこさせないため。
中途半端な立場にあることを自覚している身としては、出る杭として目を付けられないように注意を払う必要がある。
……部屋から何度も脱走をしている身で言えることじゃないけれど。
シャっとカーテンを開けば、外はいつもよりも明るい。
雲一つない空には美しい月が輝いていて、遍く世界を照らしていた。
真ん丸な月が降り注ぐ秋深い世界は、色づいた葉が光をすかし、闇の中にぼんやりと浮かび上がって趣ある姿を見せていた。
こうして夜の森を前に初めて秋の到来に気づくのだから、わたしはかなり視野が狭いのかもしれない。
季節の変化を感じたせいか、寒いとは思っていなかったのに小さく体が震えた。
それはあるいは、これから起こることへの期待感からくる身震いだったのかもしれないけれど。
闇と光。
景色にまぎれたコントラストに胸を打たれながら、わたしはそっと動き出す。
白い外套に身を包み、履きなれた革の靴を履く。最初は王城にあるサイズの合ったものをくすねたけれど、すっかり履きつぶしてくたびれ、代わりにわたしの足にぴったりと合っている。
……装備品がいくつか消失したと騒ぎになり、やれ王城に窃盗が入ったとか、使用人が粗相をしたとか、管理者に罰が下ったとか噂があったけれど、知らない。
悪いとは思っているけれど、反省はしていない。
何しろ処罰された相手の余罪が発覚して、その内容の一つがわたし――つまり王子妃への資金の着服だったから。
その一件で、まだ王城に入りたてで右も左もわからなかったわたしに与えられていたスズメの涙ほどだった資金、それが悪意によって減らされていたものだと判明したのだ。
以来、お金に関しては最新の注意を払っている。まあ、それでもスズメの涙がスズメの額くらいになった感じで、妃として十分にやっていけるには到底足りない金額なのだけれど。
これはあれだ。アヴァロン王子殿下とともに公務をする必要が無いその代償だと思っている。
実際、接待などに必要なドレス代などを含めた値段らしいから、それらの装飾品を必要としないわたしにとっては国から支払われる金額の大小はあまり問題にはならない。
国から多くの資金がもらえれば、魔法の研鑽もはかどるのだけれど。
そう思いながら、取り合えずローブのポケットに甘味を放り込む。
先日、フィナンと一緒に購入してきた飴を中心としたお菓子だ。
予想通り大半が精霊への捧げものになりそうだというのは、乙女としてこれでいいのか、と少し悩まずにはいられない。
甘味を食べるより魔法を発動する方が楽しいからいい。
甘味だって好きだけれど。
外套の下は、森に向かう際のいつもの防具。
あとは腰にナイフを括り付ける。少し迷って、剣は置いていくことにした。
甘味は必須。いくら何でも、精霊に見放された土地に向かうのに、魔法無しで居られるほどわたしは肝が太くない。
そもそも、目的地が精霊に見放された土地でいいのかも、今のところ確証はないのだけれど。
今日は別に、戦いに行くわけじゃない。
敵意を示さないためにも、余計なものは持っていかないほうがいい。
ポケットに入りきらなかった沢山の甘味と、それから今日向かう場所のチケットを鞄の中へ。
魔女を自称する魔法使いのハンナからもらった紙面は、今日も特に変わったところはない。
試しに窓ガラス越しに月光を透かしてみても、何も変化はなかった。
てっきり、月光を浴びると光の文字が生まれるような、そんな物語のような展開を期待していただけに拍子抜けだった。
そんな童話の魔法使いのようなことをどうやって行うのだという話だけれど。
精霊にどうすれば物語の中に登場する魔法のようなことが頼めるのか、少しもイメージできない。けれど、そうした作戦を練るのは楽しいし、ひょっとしたら精霊も、意外と面白がって話を聞いてくれるかもしれない。
物語、特に絵本などは意外と脚色なく真実に近いという話もあるし、案外何かしらの方法があるのではないかと期待している。
「……後で挑戦してみるのもいいかな?」
頭の片隅にメモをしながら窓を開く。
ベッドの足に括り付けたロープを軽く引っ張って、ほどける気配がないことを確認。
長いそれを窓の先に垂らし、ロープを伝って降りていく。
もう何度も挑戦しているし、慣れたもの。
ここが地上から十メートう以上の高所だと考えれば少しだけ怖くなるけれど、わたしには魔法だってある。
その気になればロープもなしに数メートルくらい飛び降りられるのだから、恐怖するほうがどうかしていた。
それでも、吹き付ける冷たい風でこわばっていたのか、手がロープをしっかり握れずに滑った時には冷や汗をかいた。
心臓がどくどくと早鐘を打っていて、口から飛び出してしまいそうだった。
風にあおられたフードがめくれる。その動きか、飛んでいく自分が落下するのを想像させた。
耳元で風がうるさい。
冷たい夜風のせいか悪寒がした。何やらよくない気配を感じ取って周囲を見回したけれど、闇に沈む王城には、特に変化は見られない。
少なくとも、
そうして着地して、恋しい地面に心から安堵する。
高所からの脱走は心臓に悪い。他のことがあれば気を散らすことができて、あまり恐怖を感じることは無いのだけれど。
……きゃあきゃあと悲鳴を上げて騒がしいフィナンが居ればきっと恐ろしさなんて感じることは無かったのに。
身に染みるように感じる孤独を振り払うべく頬を軽く叩き、わたしはいつものように森に向かって歩き出した。
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