第26話 夜の寝室

*アヴァロン王子視点です*




 一晩、まったく寝付けずに時間が過ぎた。


 目を閉じてもいつまでたっても眠気がやってくることはなく、頭にはスミレの乙女のことばかりがぐるぐると渦巻いていた。

 彼女の拒絶を思い出すたびに心が悲鳴を上げ、私はベッドの上で転がり、うめく。


 いつだって、私と彼女はすれ違う。

 彼女のことを勘違いして怒りをあらわにしたことがあった。使用人を土下座してせせら笑うような悪女だと、そう誤解したことがある。

 彼女が、本当は心優しい人物だと、そう思いなおしたつもりだった。


 けれど、スミレの乙女は理不尽なまでに私を突き放す。


 一体、私が何をしたというのだろう。

 ……本当に、何かをしたのだろうか?

 まさかスミレの乙女が何か誤解をしているのでは――


 固く拳を握り、自分に言い聞かせる。

 落ち着け。

 スミレの乙女のことになると思考が突っ走りがちになってしまう。

 冷静に、冷静に考えなければならない。


 もう眠ることができる気はしないため、あきらめて起き上がる。

 水差しからグラスに水を注ぎ、一息に飲み干す。それでも、自分の中にある渇きは癒えない。

 まるで心が渇いているよう――自分の発想に苦笑が漏れる。


 私は、これほどまでに女々しい男だったのか。


 椅子に腰かけ、改めてスミレの乙女について考え直すことにした。


 まずは、スミレの乙女との出会いについて。

 彼女は精霊に見放された土地に、まるで散歩でもするかのように踏み入っては魔物と戦っているようだった。実際、それくらいの頻度で騎士たちから報告が上がっていた。

 最近では頻度こそ減ったが、やはり時折目撃情報が入る。


 スミレの乙女は、魔法使いだ。それも、若いながらにかなりも腕前。

 老獪な、精霊との意思疎通を何十年と行ってきた者を思わせる、完璧な疎通を図ることのできた攻撃。彼女の魔法は美しく、思わず目を奪われるものだった。


 そして、スミレの乙女は王城で目撃された。

 なんでも使用人が毒を盛ろうとしたとかで、逆にその毒入りの紅茶を使用人に飲ませるような人間だと、最初は思った。まあ、土下座して詫びる使用人の絶望しきった様子からは客観的に見ただけでの判断だ。

 残虐かと思えば、事実は違うようだった。

 彼女は毒と分かっていて紅茶に口をつけるような女性で、けれど毒を盛った使用人を責めることはなかった。


 問題はそこではない。

 スミレの乙女が王城にいて、庭園で紅茶を楽しんでいるという状況こそが、私にとっては大きな問題だった。


 彼女が王城にいて、しかし私の知らぬことであるということから、私は彼女が陛下の――父の愛妾ではないかと考えた。

 父王の行為の理由はわからないでもない。

 スミレの乙女は麗しい。

 その理性を宿した淡い紫の瞳が私を映すだけで、どうしようもなく舞い上がる。薄い唇で私の名前を呼んでもらいたくて仕方がなくて、いつ私の名を呼ぶのかと、唇から目が離せなくなる。揺れる長いまつげの些細な動きに心揺さぶられ、黄金を溶かしたような髪は、なるほど、彼女をこれ以上ない美へと成すことに成功していた。


 だが、スミレの乙女が父王の女であるかもしれないと思うだけで、胸の内にどす黒い感情が湧き出すのだ。


 他の誰にも、彼女を奪われたくない。

 他のどんな男をも、その目に映してほしくない。


 私は、狂おしいほどに彼女を求め、彼女がその目に映すだろう誰かに、激しく嫉妬していた。


 そうして私は、その瞬間を見てしまった。

 軽薄な男と、スミレの乙女がともに歩いていた。その男は婚約者がいたらしく、引きずられながらもそれでもスミレの乙女に愛を叫んでいた。

 男と抱き合っていたスミレの乙女は安心しきった様子で、そして、その瞳には涙があった。


 そんなスミレの乙女たちを見て。

 このままではいけないという、強い焦りが生じたのだ。

 彼女のための装飾品探しをしている場合ではなかった。

 一刻も早くこの胸の思いを吐露して、彼女に私を見てもらわねばならない。そうせねば、彼女はほかの男のもとへ行ってしまう。


 ああ、その両翼を手折り、籠の中に閉じ込めてしまいたい――傲慢で、冷酷な男が顔をのぞかせる。


 違う。

 私は、スミレの乙女に愛されたいのだ。強制された、愛なき関係に、中身無き言葉に興味などない。


 ただ、いとおしむようにその唇で名前を呼んでほしい。熱くうるんだ瞳で、私を映してほしい。

 私と、ともにいてほしい。

 ただ、それだけなのだ。


 これが、恋か。

 これが、愛なのか。

 そんなもの、わからる日は来ないと思っていた。そんなもの、自分は決して手に入れられないと思っていた。

 けれど今、手を伸ばすところに、届く距離に、彼女がいる。

 この千載一遇の好機を逃しては、私は――


 チチチ、と窓の外で鳥が鳴きだす。

 視線を向ければ、カーテンを陽光が透かしていた。


 椅子の上で苦悶するうちに、気づけば朝が来ていたらしい。

 何度、スミレの乙女について思考を巡らせたことだろう。同じところをぐるぐると回り続けたことだろう。

 それはまるで、果てしない円運動を続けるラットのごとき生産性のなさ。


 まだ、使用人の一人も来ない時刻。

 立ち上がって窓を開ければ、湿り気を帯びた涼しい影が室内に舞い込む。

 髪は室内のほうへと揺れ、スミレの乙女のことを考え続けて熱を帯びた頭が冷やされていく。


 その風に、ふと、花の甘い香りを感じた。


 そういえば、スミレの乙女と王城で出会ったのは、庭園でのことだったか。

 もし今赴けば、彼女はそこにいるだろうか。

 一人、または毒を盛るような使用人とともに、寂しく花を見ているのだろうか。

 あるいは陛下か、はたまたほかの誰かと、一緒に笑みをたたえながら花をめでているのだろうか。


 彼女の隣に私ではない男が立っている――それを想像しただけで、心臓が嫌に軋んだ。


 今すぐに、いかねばならない。

 たとえそこにスミレの乙女がいないとしても、居ないことを確かめなければ、執務にも手がつかないことは確かだった。


 使用人を呼ぶためにベルを鳴らす。

 手早く着替えを澄ませ、食事もそこそこに部屋を出る。


 執務室へ向かうのは後だ。まずは庭園、そこに彼女の姿がないことを確認せねばならない。

 あのガゼボに、今日も彼女は居るのだろうか。

 もし居たら、彼女は私を見てどのような反応をするだろうか。


 冷たい目で見てくるのだろうか。

 それとも怒りがにじんだまなざしを向けてくるのだろうか。


 少なくとも、愛を宿した目でないと、そう分かってしまうことが悲しかった。

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