第12話 手紙(三つ目の扉)

 暗い部屋に、しゃがみこんだ人物。


「やっぱりね」

 男は笑った顔のまま、苦しそうに息を吐く。


 身体の空気全てが出たと思うほどに空っぽにして、彼女と視線を合わせる。彼女の方からも見えているのではないか、というほどにかち合うそれに、何だか面白さが込み上げた。彼女は僕をきちんと見つめたことはなかったのに。

 どこか助けを求めるような、盾を下げきった彼女は、目一杯に涙を溜め込んでいた。


「あきら」


 すがる声で呼ばれたのは、男の名ではなかった。


 後ろを振り返ると、想像通りの人物がいた。誰よりも男前で、引っ込み思案な僕にも優しく、ふんわりとした人懐こい笑顔をぶつけてくるのだ。


「幸せにな」

 未練も何も、なくなってはいないが、僕はそう呟いて部屋を出ようと扉に歩き出す。

 ふと目に入ったのは、レースがきれいに結ばれたピンク色の香水瓶。

 それを手に取り、彼は振り返ることなく、いつも通りに部屋を出た。



 よくある打ちっぱなしのアパートの一室。その扉が後ろで閉まる。

 すぐに和やかな青年が先程と全く同じ直立の姿勢で行儀良く立っていた。

 最初に一瞬だけ見せた、猫背の青年はどこへ行ってしまったのか、少し残念に思った。


「おかえりなさいませ」

「ただいま」


 改めて姿勢を正し、九十度の深すぎるお辞儀をする。

「ありがとうございました」

 目を丸くした青年は、すぐに荘厳を崩す。楽しそうに笑った。


「僕が何かをしたわけではありませんよ」

 青年の言葉に、それでもです、と再度頭を下げながら、声に力を込める。正しく伝わりますように、と祈るように。


「そばにいてくれたことが、とても心強かったので」

 そういうものですか、と不思議そうに無表情を変えずに首を傾げる。

 声と身体から感情が伝わりすぎていたため気付かなかったが、初対面の無表情から、少しずつしか変化がないようだった。顔の筋肉が固いのだろう。


 男も人のことを言えた義理ではないが、言うならば、僕が言われたこともあるように、顔に表情を張り付けたままで人形のようだった。


 僕に向けられたその言葉は勿論バカにした響きがほとんどだったが、あながち悪いものでもないのかな、と青年を見ていて心が変わっていく。


「綺麗ですね」


 さらりと出てしまった言葉だったが、にこりと笑って言えた。

 前のように後ろめたく、眉をへの字にすることが金輪際ないとは言えないが、きっと前よりは背を伸ばして生きられるだろう。


 心の底から、そう思った。

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