その秘密は胸の中

黒月水羽

知られないから美しい 上

 あまりの美しさ故に監禁されている患者がいるらしい。


 その噂を聞いた時、俺は探してみようと思った。本当に人が監禁されているなんて信じていなかったが、噂になるような何かがあるのだろうと考えたのだ。どうせ暇だし、恋も出来そうにない。暇つぶしにはちょうどいいだろうと気楽な気持ちで俺は虫籠の探索を始めることにした。


 俺が入院している病院は蝶乃宮病院、通称クピドの虫籠。

 そう呼ばれる理由はこの病院がクピド症候群という奇病を専門に治療する病院だからだ。このクピド症候群というのは七年前に発見され未だ多くの謎に満ちた病気だ。病気の特徴は人の背中に蝶の翅が生えること。人間以外の発症例はなく、十代の子供以外は発症しない。

 唯一分かっている治療法は恋をすること。投薬、手術による翅の切除は現状の技術では不可能とされている。なんでもクピドの翅は人間の体に複雑につながっているらしく、神経を傷つけずに翅を切り離すことはできないだろうと言われている。推測で終わっているのは手術した例がないからだ。恋さえすれば後遺症もなく治る病気でわざわざ九割九分死ぬ手術を受けたいと思う患者、許可を出す家族がいるはずもないので、推測から断定に変わることはないだろう。


 そんな病気を発症してしまった俺は一週間で虫籠に飽きた。

 クピド症候群の患者は病院に閉じ込められる。理由は患者の保護のため。クピド症候群は世界一美しい病気と称されているうえ、今のところ国内でしか発症が確認されていない風土病である。世の中には変態が多いようで、クピド症候群が世間に知れ渡ると同時に誘拐事件が頻発した。同時に翅を使って空を飛んだことによる落下死、翅を損壊したことによる死亡事故なども発生し、クピド症候群患者を早急に保護しなければいけないという世論が広がった。


 発症者が十代の子供たちだけというのも世論を大きく煽ったとクピド症候群についてまとめたネット記事に書いてあった。特に同じ年頃の子供を持つ親の声は大きかったらしい。クピド症候群は誰がいつ発症するか分からない。明日は自分の子供が発症し、不遇な死を迎えるかもしれないというのは親にとって相当なストレスだったようだ。

 そのため患者は早急に保護され、専門病院に搬送される仕組みができあがった。俺もその仕組みによって身の安全を確保されたわけだが、代わりに自由を失った。高校に入学して数ヶ月たらずで俺は親、友達、生まれ故郷から引き離されて、見知らぬ土地で見知らぬ人間と共同生活を送る羽目になったのである。


 こういうと地獄みたいに思えるが、まあまあ楽しんではいる。脱走さえ企てなければスタッフは親切だし、同世代が多いので気楽だ。ゲーム、スマートフォンは一日一時間なんてルールもないので、自由気ままに過ごすことは出来る。

 だが、過ごす時間が長くなるにつれて代わり映えしない日々に飽きてしまうことは避けられなかった。


 そんなときに舞い込んできた面白そうな噂。これは便乗するほかない。

 本当に監禁されている患者いるとすれば病院棟はあり得ない。病院棟は患者が自由に歩いて良い空間で、入院初日に隅から隅まで案内される。患者が寝泊まりする病室は使用者がいない部屋は鍵がかかっていて入れないので、ここに誰かがいるというのも考えられない。監禁されているにしては物音がしないし、スタッフが食事を運んでいる痕跡もないからだ。


 となれば候補は患者が入れない立入禁止区域。ここは病院スタッフしか出入り出来ない場所だが、この病院、スタッフしか入れない場所が妙に広い。ホームページに乗っている病院の外観やストリートビューを見ると、病院棟よりも奥にそれなりに広い空間があることが分かる。スタッフが寝泊まりする施設やクピド症候群の研究に使用している施設にしては広すぎるので、何かしらの秘密があるのだろうとは前々から思っていた。それを確かめたい気持ちもあったので、立入禁止区域に忍び込む決意はあっさり固まった。


 決行は深夜。懐中電灯の代わりにスマートフォンをポケットに突っ込んで、病室を抜け出す。太陽光を取り入れるために天窓が多い病院内は月明かりで照らされていてスマートフォンがなくてもよく見えた。スタッフが見回りを行っているという話は聞いていたので物音を立てないように慎重に進み、立入禁止区域と病院棟を区切るドアまでたどり着く。

 ドアを一枚開けるだけで知らない場所につながっているという事実に妙にドキドキした。鍵がかかっていたらどうしようかと思っていたが、意外とドアはあっさり開いた。誰かが閉め忘れたのか、管理が適当なのかと考えながら体が通れるギリギリほど開けたドアから中へと滑り込む。


 ドアを閉めた途端、暗くなった視界に驚いた。理由が分からずにしばし周囲を見渡してから気づく。この空間には天窓がないのだ。


 病院棟に天窓が取り付けられているのは翅が太陽光を好むためである。クピド患者は定期的に太陽光を浴びないと体調を崩すことが分かっているため、病院棟は至る所から日差しが入るように設計されている。

 つまりここから先は患者が入ることを想定して作られていない。


 その事実に俺の胸は高鳴った。未知の空間に入ったのだという高揚感、入ってはいけない場所に入っているというスリル。幼い頃に忘れてしまった冒険心に胸を躍らせながら俺は暗い廊下を進む。


 病院棟に比べて立入菌区域はとても殺風景だった。病院棟は患者の気持ちをケアするために植物、絵画、インテリアなど、様々なものが置かれているが目の前の廊下には左右にドアのみが並んでいる。一番手前のドアを開いてみると倉庫だった。俺たちが日頃使っている日用品が並べられているのを見て、ここから持ってきたのかと妙な関心を覚える。急に物が現れるわけがないのでどこかに備蓄してあるのは考えれば当然のことなのだが、見える範囲になかったために意識していなかったのだ。

 病院棟から出た事がない患者は備品がどこから持ってこられるのか知らない。大多数が知らない事実を知っているという優越感に俺は満足した。


 だがそれも、ドアを開けても開けても倉庫しかない現実にだんだん冷めてくる。監禁されている患者の気配など欠片もない。

 信じてはいなかった。本当に監禁されている患者がいるとしたら大事だ。先生や親に子供と言われる俺だってもう高校生。そのくらいのことは分かる。それでもそう呼ばれるなにかくらいはあるものだと信じていたので、正直がっかりだった。

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